2019年8月13日 (火)

「燃えよ剣」は忘れてはいません。~土方歳三役No1の栗塚旭氏の近況!

ブログ更新をサボり続けています(苦笑)。

 

ときに本日、デイリースポーツのWeb版において、

そのお元気そうな写真とともに

栗塚旭氏のインタビュー記事がアップされています。

URLはこちら。

ミスター土方歳三役 俳優・栗塚旭は記念館設立目指す 82歳、今も映画出演/あの人~ネクストステージ/オピニオンD/デイリースポーツ online

 

新選組ファンならずとも、往年の時代劇ファンには、たまらない記事ですので、

ぜひ御一読を。

で、今回はこれにて「おしまい」です。(笑)

| | コメント (0)

2019年6月22日 (土)

忘れようとして(35)~沖田総司と「燃えよ剣」<補遺>。

Img_20190413_101144

前回を、沖田総司についての最終回とするハズだったのですが、

気が変わりまして(笑)、

本日は、書き残したことを少し、記しておくことにしました。

 

 

  • 「総司」の読み方

考えてみれば、“今さらながら”の話なのですが…

 

「沖田総司」の名前の読み方についてです。

これは、【そうじ】と読むのが正しい。

沖田本人の手紙に、自分の名前を

「沖田総二」と自署したものが残っていることからも

証明できます。

ところが、1970年のTV映画では、【そうし】と発音していました。

その理由とは…。

 

3/21の拙ブログ

「一番隊隊長の沖田総司を島田順司(じゅんし)がそれぞれ扮していました。」

と書きましたように、総司役を務めた、

かの名優:島田順司の名は、【じゅんし】と読むのです。

 

これを知った脚本家の結束信二(だったと思います)が、

「そっちの方がいい」ということになり、

【そうじ】ではなく、

濁らずに【そうし】と呼ぶようにした…

 

とまあ、そんな経緯があったということを、

どこかで聞いた記憶があります。

 

私はTVで沖田総司を知ったのですから、

長らく、【そうし】と読むのが正しいのだと、思い込んでいました。

今でも、個人的には濁点なしで呼びたい気分ですし、

沖田総司というキャラクターには、

そっちの方が合っているのでは、という感想を持っています。

 

と、いうことは…

1970年の「燃えよ剣」より遡ること5年、

1965年のTV映画、「新選組血風録」が、

ほぼ同じスタッフ・キャストで制作されていますから、

「血風録」でも既に、【そうし】という呼び方になっていたのかもしれません。

 

既述のように、私は「血風録」は観ていなかったのですね…

 

このシリーズ、まだモノクロ映像ではありましたが、

「燃えよ剣」に劣らず、なかなかの出来栄えだったそうです。

 

中でも、

沖田総司と、彼の佩刀とされる、

名刀「菊一文字則宗」を題材にとった、

7話の『菊一文字』は、

視聴者はもちろん、スタッフからも、

(今ふうに言えば)“神回”と絶賛されたと、聞いています…。

 

当時の映画を観ることは困難でしょうが、

司馬遼太郎の原作は、今でも読めますので、ぜひご一読を。

七百年の時を生きてきた、「菊一文字則宗」と、

天才剣士:沖田総司との運命的な出逢いとは……

 

15話からなる「新選組血風録」ですが、

司馬は、その最終章に、この『菊一文字』を配置しています。

 

 

  • 「菊一文字」

さて、上にも書きました、沖田総司の佩刀についてです。

近年は、「刀剣乱舞」というゲームが大流行しているそうですね。

(私、こういったジャンルには、“チンプンカンプン”でして)

確か、このゲーム(演劇にもなっているらしい)

のキャラにも「菊一文字」が登場しているような噂を、

聞いたことがあるような、ないような…(苦笑)。

 

 

一般に、

「沖田総司の刀は、『菊一文字則宗である』」と言われていますが、

これについては、

司馬遼太郎の創作、ということが定説となっています…

………………………………

と書き始めたら、“ある一文”がネットで目に入りました。

 

 

曰く、

 

「この件の“ルーツ”は、そもそも、

子母澤寛が彼の著作『新選組始末記』にて、

『沖田総司の刀は菊一文字細身のつくり』と書いたことに始まる」

 

というのです。

 

 

どうせ、私のアタマなんぞ、アヤフヤなものですが、

“それは知らなかった”と、あわてて、

「始末記」を再読しました。

 

が、そんな記述は見当たりません。

ならばと、念の為に、同じ著者の、

「新選組物語」「新選組遺聞」にも目を通しましたが、

やはり、そのようなことは、どこにも書いていません。

このブログを書くにあたって、

何十年ぶりかに、新選組に接したのですが、

気分は、浦島太郎のような(笑)。(こんな比喩でいいのかな?)

 

 

そんな中、たどり着いたのが、

松帆神社様(←リンクを貼っています、御参照のほど

20173月のブログでした。

そこに引用されているのは、

結喜しはや(京都生まれの幕末維新研究家)の論です。

 

詳細はそちらをご覧いただくとして、

要は、「菊一文字」と司馬遼太郎を結びつけたもう一人の人物として、

忘れようとして(29でご紹介した、

医師・作家の森満喜子のお名前が見られるのです。

 

 

この説が“決定打”かどうか、私には判断できかねますが、

非常に有力であるかもしれません。

 

 

ということで、そろそろ締めないと(苦笑)。

ここは松帆神社様の言をお借りして、

 

 

総司が主に使った刀は加州清光、総司が愛した刀は菊一文字

 

 

ウン、これが一番いいかもしれない、と思うのです。 (つづく)(文中敬称略)

 

新選組血風録 新装版 | 司馬 遼太郎| 通販 | Amazon

| | コメント (0)

2019年6月15日 (土)

忘れようとして(34)~沖田総司と「燃えよ剣」<6>。

Img_20190504_132525

(前回からのつづきです)

 

1970年のTV映画では、土方歳三役の栗塚旭が、

フランスの陸軍服に身を包み、夜の闇に紛れて、

島田順司が扮する病床の沖田総司に、

会いに来るシーンがあったような、かすかな記憶があるのですが…。

 

既に近藤勇は、千葉の流山にて、

新政府軍に捕えられ絶命しています。

もちろん、そんなこと、総司には口が裂けても言えません。

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

「総司、おらァ、これから蝦夷に行く」

「蝦夷へ?」

「そうだ。蝦夷で薩長の奴等に、一泡も二泡も吹かせてやるさ」

「フフ…土方さんは、いつも元気だな」

「おまえも早く元気になれよ。待ってるからな、総司」

「なりますとも。必ず待っていてくださいよ」

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 

そんなセリフが結束信二の書かれた脚本にあったかどうか、

これもまた、今となっては“謎”ということで…

 

 

あと、司馬遼太郎の筆による“伏線”を追記しておきます。

 

前回、総司がお光に手を差し伸ばす場面を

原作から紹介しました。

 

時は、さかのぼって、

鳥羽伏見の戦いで幕府・新選組が敗れた直後、

彼らは大阪へ敗走しましたが、そのときのこと。

総司は既に、到底戦える体ではなく、

その身を、よこたえていました。

歳三が、その痩せた総司の手をとろうとしたとき、

逆に総司は、その手を引っ込めてしまいます…

                                  (「燃えよ剣」(下)『大坂の歳三』)

 

司馬は、そんな総司の奥深い心理も、描写していました。

 

 

TV映画の「燃えよ剣」に戻ります。

 

歳三と別れ、それからお光と別れて、

総司はついに一人になってしまいます。

 

そして…(私の記憶によると)

最後の画面で、“沖田総司死す”の文字がアップになり、

23話(最終回より3週前)「沖田総司」の回は終わります。

 

 

あと、司馬遼太郎の「燃えよ剣」ではありませんが、

以前にご紹介した大内美予子の小説「沖田総司」を開いて、

沖田総司の最期の場面を読んでみようと思います。

 

大内は、前回の記事に紹介した、

子母澤寛の、黒猫のエピソードを“下敷き”にしつつ、

“沖田総司が小鳥を飼っていた”という挿話を交えて描いています。

総司は、息を引き取る直前に、その小鳥を逃がしてやるのです。

 

~~~~~~~~~~~~~~

総司は鳥の影を追う視力がすでになくなっているらしく、

「飛んで行った?」

とたしかめるように聞いた。(中略)

夕刻、もう一度かすかに目を開いて、

庭の方角をさぐるようにしていたが、

「あの猫、また来てるかな?」

はっとするほど、明るい声で言った。

「小鳥はもうういないのに……」

それが、総司の最後の言葉になった。

~~~~~~~~~~~~~大内美予子「沖田総司」『水車』より

 

この小説を通読して、あらためて、

「この書は、大内氏の沖田総司に宛てた、ラブ・レターなんだな」

って思いました。

 

 

長々と沖田総司について書いてきました。

 

繰り返しになりますが、彼の“美しいまでにミステリアスな魅力”

を再掲しますと、

 

「剣術は天才的」「子供好きな明るい性格」「25年の短い人生」

 

ということなのですね。

 

名優:島田順司をはじめ、

これまで数え切れないほどの多数のスターが、

沖田総司を演じてきました…

例えば、草刈正雄、田原俊彦、有川博、東山紀之、藤原竜也、

“変化球”では、牧瀬里穂(←なんと女優が!)… 

もう、キリがないのでやめますが、今回の映画では、

山田涼介が出演されます。

 

 

以前の記事でも書きましたが、

そもそも沖田総司の役は難しいし、

長くても2時間程度であろう、と思われる

映画自体の時間的な制約もあるでしょう。

でも、“どこかキラリと光っているような” …

 

山田涼介には、彼ならではの沖田総司像を期待しています。

                                                       (つづく)(文中敬称略) 

 

*大内美予子「沖田総司」は、新人物往来社刊から引用しました。

| | コメント (0)

2019年6月 8日 (土)

忘れようとして(33)~沖田総司と「燃えよ剣」<5>。

Img_20190324_173615

(前回からのつづきです)

 

沖田総司山南敬助について、色々と書き連ねてきましたが、

さて、私が観ておりましたTV映画の「燃えよ剣」(1970年放映)では、

このシーンがどう描かれていたか、となりますと、

“忘れようとして”としてどころか、完全に忘れ切っております(笑)。

 

山南敬助が旅籠(はたご)の二階から、

追ってきた沖田総司を見つけて声を掛ける―

というパターンだったかな…

調べてみますと、山南を演じた俳優は河上一夫、とあります。

申し訳ないですが、名前もお顔もまったく記憶にありません(苦笑)。

 

 

でも、沖田総司の最期の場面は

おぼろげながら、覚えております。

 

新選組隊士の中で、沖田のように、

畳の上で生涯を終えた者は、多くはいません。

 

 

姉のお光が、

京から江戸に帰ってきた、死期の近い総司を訪ねます。

お光は実在の人物。

写真が残っていない総司とは違い、彼女の晩年の写真は存在します。

 

お光に扮した女優は、ずっと光本幸子だったと思っておりましたが、

(名前の“光”つながりのカン違いでしょうか)

この度調べてみますと、葉山葉子だったと判明。

お二人とも、当時の時代劇女優のトップスターでした。

 

 

“沖田の最期”というと、子母澤寛が「新選組物語」に著した

黒猫のエピソードがあまりにも有名です。

ご存知ない方のために、ご紹介しますと、

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

沖田総司が死ぬ三日ほど前、急に元気になって、

植木屋の庭に出たところ、見たことも無い黒猫がいる。

何を思ったか、彼はその猫を斬ろうとした。

が、どうしても斬れない。

次の日も、またその次の日も、同じことであった。

 

ついに沖田は、

「ああ、俺ア斬れない、俺ア斬れない」

と叫んだきり倒れてしまう。

ある日の昼頃、目を閉じたまま、

「ばアさん、あの黒い猫は来てるだろうなァ」

を最後の言葉にして、息を引き取った。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

かなり要約したのですが、これが子母澤寛が、

介抱していた老婆が沖田の兄夫婦に語った実話として書いた

天才剣士:沖田総司の最期です。

 

詳しい理由は存じませんが(苦笑)、

このエピソードも、子母澤による創作ではないか、

といわれています。

 

 

一方、司馬遼太郎の「燃えよ剣」では、この黒猫の話については、

“伝説”という言葉で、1行だけ記しています。

その司馬が描いた、

総司とお光との別れのシーンのごく一部を。

 

~~~~~~~~~~~~~~

「総司さん、私どもは庄内へ行きます」

といった。

総司の微笑が、急に消えた。

が、すぐいつものこの若者の表情にもどり、

「そうですか」

と布団のなかから手をさしのばした。

おそろしいほどに痩せていた。

お光はその手をみた。

どういう意味だか、とっさにのみこめなかったのである。

~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『沖田総司』より

 

沖田総司の臨終の場面は、「燃えよ剣」の下巻の中でも、

最重要箇所のひとつだと思いますが、

さすがに、司馬の筆の運びは的確で無駄がなく、

それでいて、涙があふれてきます。

 

TV映画では、総司に扮した名優:島田順司の淡々とした演技が、

いっそうのこと、見る者の切なさを募らせていたように思います。

 

では、このシーン、原作に倣って、

総司がお光に手を差し出す演出があったのか、ということですが、

「たぶん」あったと思います。

よほど葉山葉子の美貌に気をとられていたようでして(笑)、

今となっては、“謎”であります。

 

ときにですが…「黒猫」は登場していません。

 

 

言うまでもなく、土方歳三は、

沖田総司にとっては兄のような存在でした。

原作本にはありませんが、

TV映画では、夜の闇に紛れ、

歳三役の栗塚旭が、フランスの陸軍服に身を包み、

総司に会いに来るシーンがあったような気がします。 (つづく)

                                                        (文中敬称略)

 

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版から引用しました。

| | コメント (0)

2019年5月 5日 (日)

忘れようとして(32)~沖田総司と「燃えよ剣」<4>。

Img_20190328_125224  

                ↑

(沖田総司を題材にした作品はいっぱいあります。

小説・戯曲・TV・マンガ・エッセイ・イラストetc

上の写真は、大内美予子の小説「沖田総司」新人物往来社1972年刊)

 

 

(前回からのつづきです)

 

実は、山南敬助は「脱走」したのではなかった―

そんな異説があります。                

 

当時、新選組内部に権力抗争があった、というのは事実のようです。

そして、土方歳三は、山南を排除するために、

ある策略をめぐらした、というものです。

つまり…

 

総長の山南は「公用である」と、新選組屯所から外出していった、

そこで、彼と一番仲の良い沖田総司を呼びに行かせる、

帰ってきたところを、「脱走」の罪をデッチ上げて、山南を処刑した―

 

山南の「公用」については、

仕組まれた“罠”か、あるいは、実際にそうであったのか、

両方ともあり得ると思いますが、

この仮説なら、前回に挙げた、

この事件の矛盾点は解消されそうに思います…

 

 

ただ、如何せん、真実のほどは、不明です。

 

 

司馬遼太郎の「燃えよ剣」では、通説どおり、

「脱走」説に基づき、描かれていますが、

山南と沖田との会話は、驚くほど簡潔なものです。

 

また、沖田総司を扱った小説は数多く存在する中で、

手元にある大内美予子の小説「沖田総司」を開きますと、

(お察しのとおり、総司ファンには、女性が多いのです)

こちらも「脱走」説ではありますが、

司馬作品と比べ、非常に長い二人の会話が続いていきます。

 

ただ、沖田の発する言葉に共通点が見られるのですね。

 

「燃えよ剣」では、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「山南先生が、どうしても江戸に帰りたいとおっしゃるなら、

刀をお抜きください。私はここで斬られます」

~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『憎まれ歳三』より

 

次に、大内の描く沖田。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「私は、ここで死んでもいいのです。

だが、山南さんにはどこかで生きていてほしいのです」

~~~~~~~~~~~~~大内美予子「沖田総司」『山南敬助』より

 

沖田総司は、自分が病気(=結核)であることから、

そう長い命ではない、ということを自覚していた―

だからこそ、山南に対して上のような言葉を言わせしめたのですね…

 

山南の無念の想い、またそれが解り過ぎるほど解っている沖田…

胸がしめつけられるような辛い場面ではあります。

 

司馬遼太郎は山南の切腹の場面に続けて、彼の“愛人”であった

明里(【あけさと】、又は【あきさと】)との別れについても書いています。

この経緯は、子母澤寛の「新選組物語」の『隊士絶命記』に

微に入り細にわたる記述があるのですが、

現在、この山南と明里のエピソードは、

子母澤寛の創作ではないか、という説が有力だそうです。

その理由としては、

 

1.山南は、「岩城升屋事件」の斬り合いの際にケガをしていたから、

 遊郭へ通える時間などなかったのではないか

2.当時の京都島原の遊郭の名簿を見ても、

 太夫→天神→芸妓(これは、遊女の“ランク”。左方が上位)

のいずれにも 「明里」の名前は無い

3.子母澤の著わした『隊士絶命記』に登場しているのが、永倉新八

彼は山南から明里宛ての手紙を預かったとあるが、

彼の書き残した書物(彼は維新後も生き延びた)には、

このことは一切触れられていない           等々。

 

忘れようとして(29において、

「子母澤寛の書いた『新選組三部作』は、

内容的には、主に“聞き書き”といった手法で構成されています」

と、私は書きましたように、

子母澤のフィクションの部分もあったりするそうです。

 

これは司馬遼太郎の「燃えよ剣」も同様で、

いかにも史実のような文章でありながら、

創作(或は勘違いか)とおぼしき箇所も混じっている、とのことですので、

歴史の専門家でもない小生には、誠にタイヘン(苦笑)。  (つづく)

                                                              (文中敬称略)

 

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版、

大内美予子「沖田総司」は、新人物往来社刊からそれぞれ引用しました。

| | コメント (0)

2019年4月23日 (火)

忘れようとして(31)~沖田総司と「燃えよ剣」<3>。

Img_20190409_145703

(前回からのつづきです)

 

沖田総司が没したのは、25歳あるいは、26歳ともいわれています。

これは、彼の生年が確定していないからです。

前回ご紹介した子母澤寛の『新選組三部作』を開いても、

「新選組物語」は“25歳説”ですが、

「新選組遺聞」では“26歳説”になっている、という状態。

 

ついでに言いますと、沖田の亡くなった場所も、

「新選組始末記」では“松本良順(将軍に仕えていた医師)の私邸”とあり、

「新選組遺聞」では“植木屋の平五郎(旗本の出入り業者)宅”と、

二通りの記述がありますから、当時からハッキリしていなかったのですね。

(明治政府に見つかると直ちに処刑されますから、身を隠さざるを得なかった)

 

いずれにせよ、沖田総司が近藤・土方に従って、

京都に上り、新選組隊士となったのが20-21歳の頃ですから、

実に短い生涯ではありました。

一番隊組長として、最前線で剣を振るっていたのが、約4年間。

この間、新選組が関係した殺戮の場面で、

彼の名前は、非常に頻繁に登場しております。

 

ところが、これも「ふしぎな若者」と言われる所以のひとつですが、

沖田に対しては、なぜか、近藤勇土方歳三と比較して、

官軍側からの非難・悪口が少ないことを、特筆しておきます。

 

 

先に「新選組が関係した殺戮の場面」と私は書きました。

沖田総司との関わりと言う点から、私が真っ先に思い出すのは、

“池田屋事件”よりも、むしろ“山南敬助脱走事件“です。

 

前々回に、

「今回の映画化では芹沢鴨伊藤英明が演じる」と書きましたが、

“悪役”のイメージが色濃い芹沢を演じるよりは、

私としては、伊藤英明には、

新選組総長:山南敬助の役のほうがふさわしい、と思いました。

そして、「芹沢暗殺事件」を脚本に組み入れるよりも、

奥深い人間心理が交錯する、

「山南『脱走』事件」を描くほうに、よほど興味があります。

 

 

山南敬助も、土方歳三、沖田総司らと同じく、新選組創立以来の仲間。

仙台藩を脱藩してきたといわれ、

“腕っぷし”のみが優先された隊士の中では、

珍しく文武両道に秀でた人物でありました。

しかし、隊内の内部抗争の中、

「脱走」の罪により、切腹を命ぜられてしまいます。

このとき、山南を介錯(首を斬り落とす役目)したのが、

ほかならぬ沖田総司でした。

沖田自身は、近藤・土方に対するのと同じくらいに、山南を慕っていたそうなのですが―

 

 

この事件、どうも“腑に落ちない”点があります。

 

 

1.「脱走」した山南を捕えるために差し向けた隊士が沖田ひとりだった

2.山南は何ら抵抗せずに、沖田と一緒に帰ってきている

 

 

<1>については、ひょっとしたら、

土方も山南を逃がす意図があったのでは、という見方も可能です。

追跡者が一人だけ、というのはいかにも不自然。

<2>に関しては、山南も北辰一刀流の使い手、

刀を抜いて斬り結ぶことになれば、

相手は天才剣士:沖田であっても、斃せる見込みは皆無ではないはず。

一体、二人の間にどんなやりとりが交わされたのでしょうか…

 

 

実は、山南敬助は「脱走」したのではなかった―

そんな異説は次回に。                  (つづく)

 

                                     (文中敬称略)

| | コメント (0)

2019年4月18日 (木)

忘れようとして(30)~沖田総司と「燃えよ剣」<2>。

Img_20190404_152935

(前回からのつづきです)

 

さて、司馬遼太郎の「燃えよ剣」です。 

 

彼はこの小説、及び「新選組血風録」に登場する沖田総司を、

前回ご紹介した、

森 満喜子が挙げた「3条件」を踏まえつつ、描いています。

以下に再掲しますね。

 

  1. 天才的な剣の使い手であったこと
  2. 不治の病(結核)に侵されていたこと
  3. にもかかわらず、非常に明るい性格であったこと

 

 これらを“司馬遼太郎流”に統括すると、

ふしぎな若者」ということになるのでしょう。

テーマの「燃えよ剣」ではないのですが、氏の別の小説から引用します。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いま一ついえるこの若者のふしぎさは、剣術練磨者にありがちな

偏執者的性格をいささかももっていないことだった。

「総司は生れたままのような男だ」

と、副長土方歳三がよくいった。

~~~~~~~~~司馬遼太郎「新選組血風録」『菊一文字』より

 

 

その泣く子も黙る副長:土方歳三ですが、「燃えよ剣」においては、

沖田総司にだけは、“好き放題”に言われているのです。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「新選組も、同じですな」

沖田はくっくっ笑って、

「土方さんなど、狂人の親玉だ」

「なにを云やがる」

こわい顔をしてみせた。

が、沖田は、新選組の隊中で鬼神のように怖れられている

この歳三が、ちっともこわくない。

~~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『池田屋』より

 

 

この屈託のなさと、剣を手にした時の強さとの“落差”に

惹きつけられますね。

当世流行中の“ギャップ萌え”の原点はここにあります(笑)。

 

 

この「ふしぎな若者」という雰囲気を、

役の上で表現し切るのは、なかなか困難なことでしょうが、

私の中の沖田総司”といえば、

やはり島田順司なのですね…。

 

前回のブログに記しましたように、彼は、

1965年の「新選組血風録」、

1970年の「燃えよ剣」に沖田役で出演していました。

加えて、オールド・ファンならば、“もう1本の映画”の存在を

ご存知のはず。

 

1967年4月から9月まで26回にわたり放送された、

「俺は用心棒」です。

頃は幕末、栗塚旭が主役の素浪人を演じ、

島田順司が、沖田総司に扮しましたが、彼はあくまで“脇役”でした。

つまりWikipediaを見ますと、出演回は、全体の半分くらいにとどまります。

このTVも好んで見ていましたが、島田順司の現れるシーンには、

いつも、“総司のテーマ”といった感じの爽やかな音楽が

流れていた記憶があります。

 

ともあれ、島田順司は、TV映画の3作品、

通算すれば、1年半(!)にわたり沖田総司役を務め上げたことになるので、

私のように「沖田総司=島田順司」といったイメージをお持ちの方は、

多いのではないでしょうか。

 

 

そんな私の“映像の沖田総司“の思い出としては、

島田順司が、ニコニコと笑いながら、

お寺の石段(階段?)に腰を掛け、

邪魔になる刀は、帯から抜いて、

肩にもたれさせるように、立てかけています。

そうして、子供たちが遊んでいるのを眺めている…

着物は紺の「かすり」だが、あの派手な新選組の羽織は着ていない…

 

 

以上のような感じかな(笑)。

 

 

子供は好きだった、ということも間違いのないところです。

現実に沖田総司と遊んだことのある、古老の言葉が残っていますね。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この沖田が近所の子守や、私たちのような子供を相手に、

往来で鬼ごっこをやったり、壬生寺の境内を駆け廻ったりして遊びましたが、

そんなところへ井上源三郎(筆者注:六番隊組長)というのがやって来ると、

「井上さんまた稽古ですか」

という。井上は、

「そう知っているなら黙っていてもやって来たらよかりそうなもんだ」

と、いやな顔をしたものです。

~~~~~~~子母澤寛「新選組遺聞」八木為三郎老人壬生ばなしより

 

 

確かに、“立ち回り”のシーンの記憶はあまり残っていないのです。

そういえば森 満喜子も、

「島田順司は、沖田総司役をほぼ完璧に演じているが、

“剣の天才”という点だけはどうか」

といったニュアンスのことを言ってらしたような…。(ウロ覚えなので)

 

但し、このことには、俳優個々の技量もさることながら、

沖田総司の殺陣の場面に関しては、独自の工夫を加える、

ということも必要なのでしょう。

 

 

「沖田総司のキャスティングは難し過ぎる」

と、私は書きましたが、その“ポイント”は、

ふしぎな若者

というキーワードに秘められているように思えます。 (つづく)

 

                                                                  (文中敬称略)

 

*子母澤寛「新選組遺聞」は、中公文庫版から、

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版、

「新選組血風録」は角川文庫版から、それぞれ引用しました。

| | コメント (0)

2019年4月 6日 (土)

忘れようとして(29)~沖田総司と「燃えよ剣」。

Photo_2

(前回からのつづきです)

2020年公開予定の司馬遼太郎原作の「燃えよ剣」ですが、

監督・脚本は、原田眞人。

発表された配役は、このブログを書いている時点で5人です。

 

 

岡田准一が、主役の土方歳三を演じることは前回書きました。

発表されている他の4名は、

局長:近藤勇には、鈴木亮平、

一番隊隊長:沖田総司を、山田涼介

新選組初代局長:芹沢鴨を、伊藤英明、

そして、

お雪(司馬遼太郎の創作人物)には、柴咲コウ、

それぞれが扮します。

 

私が「お!」と感じたのは、岡田准一、鈴木亮平、柴咲コウといった

“絶妙”な配役を見て、制作者側の「本気度」を確信したのです。

ただ、芹沢鴨を伊藤英明が演じることについては、

“あ、そこか…”と思いました。

 

新選組を扱った場合、ほとんど「芹沢鴨暗殺」のエピソードが

挿入されるのですが、そこの部分に貴重なフィルムの“尺”、

つまり(上映の)時間をいくばくか費やしてしまうことになります。

私なら“芹沢鴨抜き”でのドラマ進行を考えたいのですが…。

1970年の2クールにわたるTV映画のように、

時間に余裕があれば別ですが)

 

さて、沖田総司に扮する山田涼介については、

私、何も知らないのです(苦笑)。

いわゆる“ジャニーズつながり”での配役でしょうか…。

“まあ、誰でもいいよね”というのが、私の第一感でした。

これは、「批判」でもなんでもありません。

つまり、「沖田総司のキャスティングは難し過ぎる!」

というのが、正直な私の想いなのです。

 

 

“沖田総司を演じるための3条件”というのを

お聞きになったことがありますでしょうか。

これは、沖田を主題にして多くの小説を著した、

医師で作家の森 満喜子が挙げていました。

 

  1. 天才的な剣の使い手であったこと
  2. 不治の病(結核)に侵されていたこと
  3. にもかかわらず、非常に明るい性格であったこと

 

上記の3つの要素が、“沖田役”にとっては必須、であると。

 

この「3条件」は、

子母澤寛の書いた『新選組三部作』にその原型が存在します。

彼がその著作を発表したのは19291931年で、

その頃は、まだ明治維新を生きてきた人々が存命中でしたから、

内容的には、主に“聞き書き”といった手法で構成されています。

 

では、沖田総司についての記述を、

その『新選組三部作』から、ちょっと読んでみましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

丈の高い痩せた人物、肩がぐっと上がり気味に張って、

頬骨が高く、口が大きく、色は黒かったけれども、何処かこう、

いうに云われぬ愛嬌があった。

~~~~~~~~~~~~~~~子母澤寛「新選組遺聞」より

多くの人々が抱いている“イケメン”という雰囲気ではなさそうです。

 

同じ本から子母澤寛の“聞き書き情報”をもうひとつ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

江戸へ戻る富士山艦の中でも寝たきりであったが、他の病人達と

相変わらず戯談口を利いて、笑ってばかりいた。

「笑うと後で咳が出るので閉口するな」

といったのを近藤が聞いて、

「あんなに死に対して悟りきった奴も珍しい」

と、後で、牛込廿騎町の自宅で妻のつね女へ話したことがある。

~~~~~~~~~~~~~~~子母澤寛「新選組遺聞」より

こういったところが、沖田に対する“イメージ”の

「原点」を構成しているのでしょうね。

 

さて、沖田総司の剣技についてです。

これについては、沖田家に、

「総司が12歳のとき、藩の指南役と試合をして、勝利した」

という古文書が現存しています。

“そんなの、作り話じゃない?”って、思いますよね(笑)。

でも、強かったのは、紛れもなく真実でした。

 

新選組創立以来の同志で、二番隊組長を任ぜられた、

(ちなみに沖田総司は、一番隊組長)

永倉新八の残した言によりますと、

「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが

竹刀を持っては子供扱いされた。

恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと

皆が言っていた」

と語っていることからも証明できます。

 

 

さて、司馬遼太郎の「燃えよ剣」です。    (つづく)

 (文中敬称略)

 

*子母澤寛「新選組遺聞」は、中公文庫版から引用しました。

| | コメント (0)

2019年3月21日 (木)

司馬遼太郎原作の「燃えよ剣」が映画化されます。

燃えよ剣」が2020年公開を目指して、

製作されることが発表されました。

映画化は54年ぶり、とのことです。

私が、新選組副長の土方歳三の生涯を描いた、

この小説を知ったのは、TV映画からでした。

Wikipediaで調べてみますと、そのTVの放送時期は、

197041 - 923日」とあります。

“第1次オイルショック”の頃ですね。

ちなみに、以前に映画化されたのは1966年といいますから、

いずれにせよ、古いハナシではあります(笑)。

TVの放映回数は、全26回だったということですが、

このように、当時は2クールにわたるドラマが普通だったように思います。

阪神淡路大震災により、持っていた書物の多くを失いましたが、

幸運にも「燃えよ剣」の文庫本は、今も手元に残っています。

私の習慣で、購入年月日と書店名を書いていますので、

あらためて見てみますと、「1973910日 ○○書店」。

ということは、購入したのは、放送を見てから3年後。

その本屋さんは家の近くにあり、実によく通ったものですが、

震災で、商店街自体が無くなったと思います(現地に行ってないので)。

その本の写真もアップしようと思ったのですが、

3/19より、「ココログ」のフォームが全面改訂になり、

私のような、小学生以下のIT知識では、写真の表示が、

どうやってもうまくいかないので、アキラメました(苦笑)。

新潮文庫です。(←リンクを貼りました)

「カバー:池田浩彰」とあり、このデザイン、なかなかいいのですね。

映画のタイトル文字にも使えそうです(笑)。

先日、外出した際、現在の本も、手にとってみました。

配色は異なりますが、同じ意匠で、

(タイトル・著者名の配置とサイズ・色は若干異なります)

「映画化決定」の文字が躍る“腰巻”(=帯)が付いていました。

いずれ、主演の岡田准一の写真も印刷されることでしょう。

あと“こぼれ話”ですが―

不世出の左腕投手、江夏 豊(阪神-南海-広島-日本ハム-西武)は、

36歳にして、メジャーリーグに挑戦のため、渡米しますが、

そのとき、彼の荷物の中には、愛読書の

この「燃えよ剣」を入れていたと聞いています。

きっと幾度となくこの本を開いては、

ご自分の闘志を奮い立たせたことでしょう。

2020年の映画では、主演:岡田准一」と記しました。

そのとおり、彼が土方歳三を演じます。

私は、適役である、と大いに期待しています。


1970年のTV映画ではどうだったでしょうか。

土方歳三を、栗塚旭(あさひ)、

局長の近藤勇に舟橋元(げん)、

一番隊隊長の沖田総司を島田順司(じゅんし)がそれぞれ扮していました。

この3人、これまた見事なくらいにハマっていましたね~。

(と書いても、若い方は、ご存知ない俳優ばかりでしょうなー)

それも道理、この“トリオ”、1965年のTV映画

「新選組血風録」(これも全26回)(同じく司馬遼太郎原作)でも、

まったく同じ配役で出演しているのです。


「新選組血風録」については、殆ど記憶が無いのですが、

(これは、モノクロ作品でしたね)

「燃えよ剣」のTVは、毎週見ていたと思います。

この“トリオ”によるTV映画2作品のヒットにより、

「新選組ブーム」も決定的なものとなりました。


ただ、“ブーム”はいいのですが、

「土方歳三」=「栗塚旭」というイメージがあまりにも

強くなり過ぎた、という面も否定できません。

ですから、その後の俳優活動の上で、

栗塚旭ご本人も、ずいぶんとご苦労されたこともあっただろうと推察。


当然、岡田准一も、今回の映画化にあたって、

栗塚旭のTV映画のことは、知らされているはずです。

だからこそ彼が、また新しい魅力に溢れた土方歳三を、

創り出してくれるに違いない、と考えています。

土方歳三は、1869年(明治2年)511日、

北海道は函館の五稜郭の戦いで、戦死しました。

享年34歳。

今年は彼の死後、ちょうど150年にあたりますね。


そんな想いとか、この新作映画へ寄せる期待とかも含めつつ、

「燃えよ剣」について、ちょっと記してみるつもり。  (つづく)

                                                         (文中敬称略)

| | コメント (0)

2018年10月24日 (水)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(15)~メディアと政府。

(前回からのつづきです)

 

§小川アナ、「報ステ」卒業にウラ側?

TV朝日の小川彩佳アナウンサーが、約7年務められた

「報道ステーション」を「卒業」される、というニュースでした。

 

なぜ、そこに至ったか、

週刊誌ネタとは異なる原因がある、と言われています。

引用文(紫色と赤字の部分)は「LITERA」(https//lite-racom)から。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(前半略)

周知のように小川アナは、東日本大震災の直後、古舘伊知郎がキャスターを務めていた20114月から出演しているが、単なる「添え物」的存在ではなかった。社会問題への強い関心とジャーナリスティックな視点をもち、取材にも積極的に出かけ、要所要所では的確なコメントを発していた。政権に不正や問題が起きると、臆することなく厳しい発言もしていた。

 

 たとえば、昨年2017年の総選挙前に安倍首相が『報ステ』に出演したとき。自分勝手な話を延々垂れ流す安倍首相に、富川アナ、後藤謙次がせめあぐねるなか、小川アナは「先日の国連での総理の演説を聞いていましても、対話ではなく圧力ですとか、トランプ大統領と歩調も口調もひとつにするような言葉が相次ぎました。逆に危機を煽ってしまうのではないか、危機を招いてしまうのではないかという不安を覚える方も多いと思いますが」と突っ込み、安倍首相を憮然とさせた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

こんな“事件”があったとは知りませんでした。

安部首相の憮然とした顔を見たかったものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 また、印象的だったのは、核兵器禁止条約をめぐる取材だ。ICANがノーベル賞を受賞した際には、オスロに赴き、授賞式で感動的なスピーチを披露した被爆者のサーロー節子氏に単独インタビュー。今年1月、来日したICANのメンバーに対して安倍首相が面会を拒否したときも、小川アナはベアトリス・フィン事務局長にインタビューを行い、こうした取材やレポートを通して、核兵器禁止条約に反対する安倍政権の姿勢を厳しく批判した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

なるほど、彼女は行動力をお持ちなのですね。

MBSアナウンサーの水野晶子氏がおっしゃっていた、

「報道は、“地べた”を這って!」(←合ってたかな?)

と通じるところがあるようです。

cf希望はあなたを捨てません,

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ほかにも、今年4月に発覚したテレ朝女性記者のセクハラ被害問題や、2016年のやまゆり園の障害者大量殺害事件でも、存在感を発揮し、一貫して弱者の立場に立った解説や取材を行っていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

以下は、TV朝日公式ブログと、インタビューからの証言。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 こうしたスタンスはスタッフの指示やそのときの空気に流されたものではない。小川アナは、昨年2月、テレビ朝日の公式ブログで、メディアの使命についてこう綴っていた。

 

メディアが期待されていること…というのを私が語るのはとてもおこがましいのですが、ニュースを伝える、ということだけでなく、権力を監視する、埋れている事実を浮き彫りにする、そして時に、声をなかなかあげることができない人の立場に立ち、寄り添う、ということでもあるんじゃないかな、と個人的には思っています。〉

 

 また今年2月には、朝日新聞デジタルのインタビューでキャスターとしての姿勢について、こんなことも語っていた。

 

「原発問題の報道のときは非難もたくさんありました。しかし、古舘さんはぶれずにこだわり続けられた。言葉以外にも、表情で訴えていました。私は古舘さんの姿勢から、強い気持ちがあれば、言外に滲むものが必ずあり、それは視聴者にも伝わるということを気付かされました」 

(以下略)~~権力監視の必要性を語った小川彩佳|LITERA/リテラより引用

 

§メディアが果たすべき役割。

私は観ていませんのですが、

“最近は「報ステ」が内容的に、政権批判の色が薄まってきた”

との“情報”をよく見聞きしていたものです。

この原因は、テレ朝のトップ=会長の指示で、番組を担当のプロデューサーが、

“自民党寄り”の人物に代えられたことにあるようですね。

その人事異動の一環として、この小川彩佳アナの「卒業」が実行されたと。

なるほど、これで、「点と線」がつながったように思います。

 

小川アナが、TV朝日公式ブログで語っておられること(赤字の部分)は、

確かに、ジャーナリズムの本質を突いておられると思います。

こういう方が、最近はずいぶんと少なくなりました。

 

それは、考えてみますと、マスコミの“体幹そのもの”が、

権力の方にすり寄っている(いわゆる「忖度」)、

―あるいは、権力がマスコミに圧力をかけている…

いや、その<両方>かもしれない―ということが原因ではないか。

 

 

当然のことながら、上記の「LITERA」の記事の内容が100%正しい、

とも言い切れるものではないですが、

昨今の、メディアと政府との関係を、注意して見ていると、

非常に肯けることでもあるのです。

 

財務官僚のセクハラ事件のとき、

テレビ朝日は、被害に遭った自社の社員を

“見殺し”にしました。

また、NHKは、従来から“国営放送”とさして変わりない。

(ただ番組の手法は民放の“マネ”がやたらと多くなってきた)

TBSは、オウム真理教事件のときと、

同様の大罪を犯していたことが、つい先日明らかになりました。

201311月、警察密着番組を取材中、鹿児島県警管内の警察官が、

酔っ払いの男性を取り押さえた際、死亡させた。

その映像を、警察に引き渡している)

「TBSは死んだ」再び。映像の押収を公表せず

 

 

例証は枚挙にいとまなし、なのですが、

これでは、総体として、日本のメディアが、

“官邸のアンダーコントロール”―ということになってしまいます。

権力への「批判精神」を持ち合わせるメディアの存在こそが、

健全な民主主義の確立への第一歩ではないでしょうか。

以前にも書きましたが、この点において、

日本は、やはり米国には遅れをとっていることを、認めざるを得ない。

 

こんなことをとやかく言っているのは、私だけではありません。

「客観的な目」―海外記者たちの評価を見てみましょう。

報道の自由度、日本は67位:朝日新聞デジタル(2018.4.26)

対外的に、こんな評価をされて、

日本のマスコミは、恥ずかしくないのかなあ…

 

再度書きますが、「報道・言論の自由」は、

民主主義の根本であるわけです。

戦後70年余をかけて育てようとしてきた、

我が国の民主主義そのものが、

今こそ、問われているのではないでしょうか。

 

 

ところで、10月から元NHK有働由美子氏が、NTV系で

ニュース・キャスターとしてデビューされているそうです。

有働氏の独立時に、“先輩”の池上彰氏は、

「簡単にジャーナリストと自称してほしくない」と、

ややキツい発言をなさっておられましたが。

どこまで小川アナの域に迫れるか―ですね。

 

話が“脱線”ばかりでしたが、今回はこれまで、ということで…

長文乱文及び妄言多謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧