2023年9月30日 (土)

忘れようとして(63)~ジャニーズ事務所の件ですが

「戦艦『大和』反転の真相」のつづき、の前に少しだけ・・・

忘れる前に、書いておきます。

 

~~~~~~~~~~~~

くだらねえな、どのTV #ジャニーズ 事務所の会見ばっか。これを #体制翼賛 TVの見本という。それより、なぜTV局が当初この事件を無視してきたのか、そっちのほうが大問題。社長が代わろうが、社名が変更されようが、枝葉末節。#東山紀之 #藤島ジュリー景子

 

9/3の #サンモニ(#TBS)でも #ジャニーズ 事件に対し局の姿勢を言ってたが、ならば #松野官房長官 の #関東大震災 の直後に起きた #朝鮮人 殺戮について「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」との発言をスルーするか?当日の特集「関東大震災から百年」だったんだぞ!

~~~~~~~~~~~~

 

以上、9/7tweetしたつぶやきです。

あ、現在は“ポスト”って言うのですね。

時間を置いて、もうひとつのポスト。

 

~~~~~~~~~~~~

#NHK は当時この問題について認識が薄く、その後も取材を深めてニュースや番組で取り上げることはありませんでした」嘘!#木原官房副長官 の問題を取り上げないのもそうなの?#ジャニーズ 事務所及び、政権への忖度。#松野官房長官 の #関東大震災 に関する発言も酷い。

~~~~~~~~~~~~

 

さて、あの「大政翼賛会的TV中継」(TV東京のみ別路線w

から、数日経ちましたが、

「大山鳴動して鼠一匹」状態であると私は思っています。

 

ジャニーズ事務所は、大きく改革されるとは思えない。

メディア側も、今後の報道姿勢が変化するかといえば、それも「No」である。

 

まず、ジャニーズ事務所について。

社長は替わりましたが、藤島ジュリー景子氏の「院政」は続くと思います。

彼女が株式を保有し続けるというのもその一因。

東山紀之氏に、会社経営の実務はありません。

が、会見の席上、「性加害者」の一面があったらしい、ということが

暴露されてしまったのは、皮肉なことでした。

 

そしてメディア側の問題。

三つ目のtwNHKが出したコメントを引用しましたが、

たぶん、他のTV局も似たりよったりのことを発表するのでしょう。

 

“当時この問題について認識が薄く”というのは大嘘で、

要するにジャニーズ事務所側から、

「貴社にはウチのタレントは出演させない!」

そうなることを恐れて、報道してこなかった、

それが本当の理由のハズです。

 

それは、NHKのみならず他の民放各局も同じこと。

ジャニーズに縁を切られたら、

あらゆる番組(バラエティー・音楽・ドラマ)が

制作出来なくなってしまいます。

そのことを怖れて、ジャニー喜多川を批判できなかった―

これが正解。

 

今ではどうでしょう、

ジャニーズ事務所のタレントのCM打ち切り等が相次ぎ、

まさに、「バスに乗り遅れるな」----

 

―この言葉は、日本がドイツ・イタリアとの三国同盟を

締結する直前の頃、つまり1940年に

日本国内で軍部を中心に、国民全体にも沸き起こった流行語だそうです。

つまり、“欧州戦線で勝ちまくっているナチス=ドイツと手を組もうじゃないか”

ということ。

この「三国同盟」が英米との開戦の原因の一つとなったのは、

皆様、ご存じのとおり。―

 

ジャニーズ事務所を支持する気持ちは

1ミリもありませんが、CM打ち切り等の連鎖を見ていると、

この「『バスに乗り遅れるな』状態」を思い出してしまいました。

あたかも“熱病”のように、

人々が一斉にある方向へ走り出してしまうことには、

十分な注意が必要です。

 

ところで、TBSNHKが今回の件

―以前にもブログに書きましたが、

30年も前から故北公次氏がその著書で

ジャニー喜多川の犯罪を明らかにされていました―

で、コメントを出しているようですが、

私は、まったく信用していません。

 

BBCの報道以後、かなり時間をおいて、

ようやく各局がジャニーズ事務所に対し、

批判の声を上げ始めましたが、その一方で----

たとえば、木原元官房副長官の疑惑については、

TV・ラジオ・新聞、いずれもその報道は皆無なのです。

 

だが、ジャニーズ事務所はとにかく叩く、

「バスに乗り遅れるな」の風潮の如く、一斉に叩く。

 

 

BBCの報道を待つまでもなく、

特に芸能関係のTV番組製作者の多くは、

ジャニー喜多川の事件を周知していたと思われます。

なぜ、“これは犯罪では”と

声を上げなかったのか、または上げられなかったのか。

そこが重要なポイントです。

 

同様に、木原元官房副長官の疑惑についても、

なぜ、“この事件はおかしいよね”と、

報道しないのでしょうか。

あるいは報道できない事情があるのでしょうか。

 

更に、驚くべきことに、今頃になって、

渋谷のNHK放送センターの内部に、

ジャニー喜多川専用の“リハーサル室”があった

ということが判明しました。

更に、同様の部屋はテレビ朝日にも

六本木の旧社屋時代にあったというのです。

 

9/7のNHKの声明が、

いかに嘘にまみれたものであったことかが、判明しました。

 

―こうなると、東京キー局すべてに

同じような施設があったのでは?と想像してしまいます―。

 

 

10月のジャニーズ事務所の2回目の会見より大事なのは、

メディアは、これまでの、

ジャニーズ事務所に対する誤った対処を、公開・猛省すること。

 

同時に、木原疑惑の事件に象徴されるように、

安倍首相時代より殊に顕著になった

政権への忖度・自主規制の体制を改め、

「権力の監視役」の立場を守ること。

 

が、なにより、

有権者=国民が、もっとしっかりしないとね・・・

ということになるのですが。

私は、総選挙は近いのでは、と予想していますが、

自民・公明・維新・国民民主には決して

投票しないことですね。

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2023年7月30日 (日)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(35)~~~~~~~~~ 「戦艦『大和』反転の真相」深井俊之助氏(その1)

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Amazon 戦艦「大和」反転の真相

この本の副題は「海軍士官104歳が語る戦争」、

宝島新書より20187月の発行ですから、わりと新しい本です。

(単行本は2016年発行)

 

6月24日、プリゴジン氏の率いる軍事組織「ワグネル」が、

モスクワへの進軍を、「反転」ではなく、突然に中止しました。

もしも、ロシア国内で内乱が発生したならば、

それが、ウクライナ戦争の停戦の契機になるかも、

と勝手に想像していましたが、シナリオは別の方向に進んでいきました。

 

プリゴジン氏に何が起きたのか、

まだよく分からないのが現状ですが、

このたびのことで、

元軍国少年の私が思い出したことがあります。

 

それは本書の題名のとおり、

第二次世界大戦の「レイテ沖海戦」(1944年)における

「栗田艦隊 謎の反転」でした。

 

その前にそもそも、レイテ沖海戦とはなんぞや、

ということなので、簡単な説明を。

 

第二次大戦末期の194410月、フィリピンを奪回せんと攻め込んできた

連合軍の進攻を阻むために、

日本海軍が一大作戦を企図したのです。

その目的はレイテ島(ルソン島から見て南東部にあります)への

米軍上陸阻止。

 

しかし、なぜかレイテ湾を目前にした、

「大和」を旗艦とする栗田艦隊は、進入せずに反転してしまいます。

この事件が、今次大戦の最大の謎でした。

 

偶然、図書館の書架で見かけたのが本書。

まず、目を引いたのが表紙の戦艦「大和」の写真です。

これは、有名な写真で、

(といっても、「大和」の写真は数多く残っていません)

モノクロでは見慣れていましたが、

ここでは着色補正が施されています。

 

撮影月日は判明していて、19411020日、

高知県宿毛湾沖で、完成時に行われた公試運転中のもの。

最高速度は、27.46ノット、つまり50.9km/時を計測しました。

 

実は、従来の白黒写真では気づきませんでしたが、

煙突とマストの中間の下方にも、

副砲の砲身が見てとれます。

大和・武蔵の世界最大の、直径46cm主砲は有名ですが、

15.5cm副砲は、前後に各1基と、

写真のように左右にも各1基が配置されていました。

PC画面上で見えるかどうかは微妙)

 

しかし1944年、

ということは、レイテ沖海戦の直前に

航空機による攻撃に対抗する改装工事として、

左右の副砲は撤去され、対空兵器が増設されました。

ですから、(私の知る限りですが)

「大和・武蔵」の市販の模型キットは、

改装後の外観が採用されています。

 

…………………………

2019年のこと、

『アルキメデスの大戦』という映画が、公開されました。

大和型戦艦の建造をめぐってのストーリーですが、

劇中、艦の計画段階に、出てきた模型が、

(当然ながら)副砲を4基備えていまして、

あらためて“へぇー、これが最初のビジュアルなんだね”

と思ったものです。

 

この映画の原作は三田紀房氏の漫画だそうです。

そのオリジナルは存じませんが、

映画のほうは、“失敗作だな”というのが私の感想。

「数学で戦争を止めようとした男がいた」

という広告のコピーに惹かれて観たのですが、

現実に「大和」は完成してしまったし、

戦争も実際に起きてしまいました----

では、“なぜ、そうなったのか”

この点の掘り下げがなされていなかった、と思いました。

 

映画の骨格にも私は不満がいっぱいで、

やはり、普通にオープニングとエンディングのCG映像は

入れ替えたほうがよかったのではないでしょうか。

…………………………

話が脱線しましたが、

なぜ「大和」の副砲にこだわっているかといえば、

本書の著者の深井俊之助(ふかい・としのすけ氏は

レイテ沖海戦時、

「大和」の副砲長を務めておられたのです。       (つづく)

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2023年4月30日 (日)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(32)~~~~~~~~~本日、八つ当たり。

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◇◇ゴマメの歯ぎしり。

 

4/28、久々に新聞を買ってみました。

1面の見出しが「入管法改正案が衆院委可決」とのこと。

この法案、国際的にも批判を浴びているのですが、

2年前に、この法案が初めて提出されたとき、

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が

『非常に重大な懸念』という旨の

見解を示していました、もちろん今回も)

自公政権はそんなこと、お構いなしらしい。

 

昨年12月の拙ブログより。

中津燎子氏が、我が国を覆い尽くす「無責任体制」を

痛烈に批判なさっています。

その“ベスト10”の内の4番目がこちら。

~~~~~~~~~~

日本の難民・移民受け入れ体制全般の非人間的扱い方と、

入国管理局職員の排他的無責任

~~~~~~~~~~

20年前の中津氏のご指摘です。

 

私も約半世紀前くらいに、「入管問題」があったと記憶していますので、

魔女は眠らない、聖女は眠れない(29)SAPPARI WAYA

この問題の本当の発端は、さらに過去へと遡るはずです。

 

言うまでもなく、「人権」は民主主義の「イロハ」です。

これでも、「日本はG7議長国でございます」などと

うそぶくつもりなのでしょうか。

 

 

とまあ、血圧を大いに上げながら、新聞を読みましたが、

ロクなニュースがない(苦笑)。

社説は「12テーマ」になって

ずいぶんと年月が経つと思いますが、

(そもそもなぜそうなったんだろ?)

いつものことながら、実にくだらん、レベルの低い、

中学生並みの(って書けば中学生から抗議が来るかも)内容です。

そのせいかな?社説には署名が無いですね。

(そりゃぁ、恥ずかしくて名前など出せないでしょ)

 

悪口はこれくらいにして、

ラテ欄を見ますと、週間の視聴率ランキング(関西地区)

がのっていました。

TVはほとんど見ないのですが

1位は、MBSドラマ「ラストマン・全盲の捜査官」が15.5%

NHK朝ドラ「らんまん」は3位の13.6%。(へぇー---、あれが)

数少ない私が見るTV番組、MBS「サンデーモーニング」は、

10.8%で10位、案外数字は高いのですね---

 

ちなみに、多くの出演者は、

“奥歯にものの挟まったような言い方”をなさいますので、

言語明瞭・意味不明瞭、なんてことがよくあります。

今の時代、“SNSで炎上”ということを恐れて、ということでしょうか---

 

ところで、

「サンモニ」同様、日曜日、楽しみにしていたラジオの番組が

2つもなくなりました。

東京FMの「メロディアス・ライブラリー」と、

NHK-FMの「トーキング ウィズ 松尾堂」。

奇しくも、共に16年続いた長寿番組。

 

前者は作家の小川洋子氏、

後者は俳優・タレントの松尾貴史氏が

MCをつとめておられました。

 

どちらも「本」をメインのテーマに据えた、

(松尾氏のは少しひねったアプローチで)

実に楽しい番組でしたけどね。

 

お気に入りの番組はなくなるし、

たまに新聞を開くと気が滅入るし、

どうしようもありません(苦笑)。

 

もう疲れてきたのでやめよっか。。。

大体、今月ブログ更新はしない予定でしたが、

せっかくですので、今回はこんなところでアップします。

(人のことは言えない、本日は全く内容が無い)(爆)

 

PS: 番組HPURLを貼っておきます、あと数か月は閲覧可能???

Melodious Library【メロディアス ライブラリー】- TOKYO FM - 小川洋子,藤丸由華 - (tfm.co.jp)

トーキング ウィズ 松尾堂 - NHK

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2022年11月30日 (水)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(28)~~中津燎子氏の「英語と運命」その4

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(前回からのつづきです)

 

この「英語と運命」ですが、Amazonでは見当たりませんし、

文庫版にて再発行されてもいないようでして、

手に取るとしたら、古書店・図書館で探してみる他には、

手段はないかもしれません。

(あるいは、出版元の三五(さんご)館に問い合わせるべきか、

とも思ったのですが、倒産したのでしょうか。

みつけたHPがこちら。(合っているかどうか?)

三五館シンシャ | 日本の総合出版社(自称) (sangokan.com)

 

 

前回、「朝ドラ」云々のハナシを書きましたので、

今回は、本書中の数多いエピソードから、

ドラマにふさわしい場面を

一つご紹介してみようかな、という試みです。

 

朝鮮戦争が始まったときのこと。

日本各地から、前線基地の九州方面に向かってくる

兵士の妻からの電話に忙殺される日々が続いていました。

 

“どうも、兵士のもとへ電話で動員命令がきて、1-2分の間に仕度をして、

妻が裏庭で洗濯物を干している間に、別れのあいさつをするヒマも無く、

いなくなっていた、というようなケースが多かったらしい“

と、中津燎子氏は書いておられます。

 

しかし「最後の別れが言いたいから電話をつないでくれ」と

涙声で妻から頼まれても、

「軍の規則で出来ません」と断るしかありませんでした。

それよりも、兵士本人が迷子になって部隊を探しているほうがより深刻で、

中津氏が傾注されていたのは、こちらのほうでした。

 

(引用開始)~~~~~~~~~~

そんな頃、たった1件だけ妻からの電話を夫につないだことがある。

 

開戦から二カ月後の最多忙の時期だった。福岡市郊外に、旧日本軍が使っていた飛行場をそのまま米空軍が基地として使用して一日二十四時間、武器・弾薬、人間も含めてあらゆるものをフル回転で輸送していた。兵士たちは全国からこの基地に集結し、輸送機で朝鮮半島に運ばれて戦う。ここが最後の「安全地帯」だった。

 

夜半の十二時すぎ、基地では例によって、ある大きな部隊の集結がひとまず終わり、滑走路にならんでいる輸送機に向かって一つの小隊、数十人ずつ乗りこんでいるところだ、という報告を、隊長らしいハーマン大尉が小倉の本部に向かってきびきび報告しはじめた。

 

その時、東京局の通話灯の一つがポッとついた。ハーマン大尉の報告が長びくと考えた私は、その通話を受けた。私の耳に流れこんできたのは落ち着いた女性の声だった。

 

「私は仙台からかけていますが、ぜひ夫を探してもらいたいのです。もし今みつからなかったら、後日にでもあなたのご助力で、男の子が生まれたことを夫に伝えていただきたいのです。私が出産で入院中に夫は出動して、今どこにいるかわかりません。ひょっとしたらもう出撃したかもしれません。名前はディビッド・ハーマン、大尉です」

「部隊名は?」

彼女が告げた部隊名はまさにたった今、輸送機に乗りこんでいる部隊にまちがいなかった。

 

「ちょっとお待ちください。ミセス・ハーマン」

私がモニターのキイを倒すと、ちょうどハーマン大尉が最後の、「全員乗りこみ完了」の報告をするのが耳に入った。それが終わるのを待って、私は改めて呼び出し信号を送った。

 

全員が乗りこんだあと、部隊の指揮官は滑走路のはずれにぽつんと立つ搭乗指揮所から、二、三分全体を見渡し最後の確認が終わるまで電話機のそばを離れないことを知っていたからだ。

大尉はすぐに受話器をとった。

「ハーマン大尉?」

「そうだ」

「仙台からのお電話です」

ハッとして、彼はのどの奥でうめいた。私は委細かまわず、

「お話しください。大尉」

と言ったきり、他の通話の処理に追いまくられた。数十秒後に通話終了のサインがチカチカ光る飛行場をモニターすると、ハーマン大尉が落ち着いた声で、

「交換手、交換手」

と呼びかけていた。

「はい、何でしょう」

「あなたに心の底から礼を言いたい。ありがとう!」

 

英文の語数にしてわずか十語くらいだったが、その一つひとつの言葉にこめられた感情の密度の濃さは私のそれまでの人生で出合ったことがないものだった。この通話は全体で二十秒もかからなかったのだが、私の心を深くゆさぶった。

 

半年後に、その部隊名が、全滅したというリポートの中に入っているのを耳にしたけれど、チェックする術もなかった。私は今でもときどき、規則をおかしてまでつないだただひとつの通話を思い出す。

~~~~~~~~~~(130-133)(引用終了)

 

今一度、戦後の時系列を確認しておきます。

 

1945年 8月 日本、ポツダム宣言受諾

1950年 6月 朝鮮戦争始まる

1951年 9月 サンフランシスコ講和条約調印

1953年 7月 朝鮮戦争 休戦協定

 

上記の出来事があったのは、19508月頃だったのでしょう。

日本はまだ占領下でしたから、

占領国軍は自由な出撃が可能でした。

た・だ・し------ですが、

この状況は70年を経た今日でも変わっていないと私は考えています。

                                 (つづく)

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2022年10月31日 (月)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(27)~~中津燎子氏の「英語と運命」その3

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(前回からのつづきです)

 

中津燎子氏が「アルファベットの発音」に

こだわった理由を概説してみました。

私は中津氏の話される英語に接したことがありませんので、

“一度はお聴きしたかった”と、つくづく思うものです。

 

ところで、本書の題名「英語と運命」は、いかにも抽象的で

テーマがわかりにくいですよね。

私なりに書名を言い換えてみますと、

【英語と私の人生】という風にしてみたいと思います。

 

つまり、英語の習得、また

外国人とのコミュニケーションについての論と併せて、

なぜ、氏が英語と関わりを持つようになったかという経緯を、

生まれた直後に生死をさまよった時から、

戦前の子供の頃のソ連での生活、帰国してからの空襲体験、

そして、GHQの電話局勤務から始まった

英語・異文化との格闘の日々等々、順次綴っておられます。

 

自らを「ヒグマ・ザ・モンスター」と称しておられるように、

まさに、豪快で、ある意味痛快な、

「信念に生きた人間の一代記」という印象を受けました。

 

 

ふと思ったのですが、

これほどNHKの「朝ドラ」にぴったりのモデルは

ないのではないでしょうか…。

 

ことのついでに脱線しますが、

くだんの「朝ドラ」は、『わろてんか』(2017年)を最後に、

私は、いっさい見ていません。

なぜならば、あまりにも脚本がいい加減で、お手盛りだったからです。

 

“そもそも論”ですが、

実在の人物がモデルです、と言いながら、

江戸時代の『仮名手本忠臣蔵』じゃあるまいし、

そのモデルの主人公に架空の名前をつけて、

(法律的な細かい問題でもあるのだろうか?)

登場させていることが気に入らない。

 

例えば、朝ドラ『エール』(2020年)は

作曲家:古関裕而氏がモデルでしたから、

古関氏作のヒット曲・名曲」が多く劇中に採用されたと聞きますが、

ドラマ中では、作曲家名はどのように表示されていたのだろうか、

と不思議に思ったりします。

 

『カムカムエヴリバディ』『ちむどんどん』(2021-2022年)への

痛烈な批判もよく見かけました。

ここまできますと、“そもそも”NHK自体の

朝ドラ制作にあたっての「根本的な姿勢」を改めないと

駄作ばかりがダラダラと続いてしまう。

視聴率が10%位までに下がらないと、

上層部は腰を上げないのでは、と思っています。

 

NHK」、「朝ドラ」といった“ブランド”だけで、

惰性に任せて続けているという状態ですね。   (つづく)

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2022年2月27日 (日)

忘れようとして(62)『燃えよ剣』~新選組副長最後の命令。

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(上の写真は1972年発行の新潮文庫版)

 

(前回からのつづきです)

 

市村鉄之助は実在の隊士」と前回書きました。

司馬遼太郎は、『燃えよ剣』の終わりに近い部分に、

「小姓市村鉄之助」の一章を設けています。

 

市村鉄之助のWikipediaを開いてみますと、

生没年は1854-1873年(1877?)とあります。

短い生涯でありました。

 

1867年の新選組の隊士募集で

兄の辰之助(「鋠之助」の表記もあり)と共に14歳で入隊。

当然、鉄之助はあまりに若過ぎる年齢だったのですね。

『燃えよ剣』を読みますと、歳三は、

「お前は沖田総司に似ている」という理由で、入隊を許可した…

と描いています。

(局長:近藤勇は、当時狙撃を受け、重傷を負っていたので

新選組は、歳三の指揮下にありました)

 

そして、若い鉄之助を病床にある沖田の看護役に付けました。

このときの、鉄之助と沖田、

そして歳三との三人の間に交わされるやりとりが、

実に面白くもあり、そしてまた悲しくもあり…。

 

新選組ファンとしては、

小説の舞台は既に北海道、残り頁も少なく、

“終点”に近くなっているのですが、

こうして再び、(既に亡くなっている)沖田総司に再び遇えることが、

嬉しくてたまらないのです()

(司馬遼太郎のサービス精神もあったのでしょう)

 

 

さて、TV映画の『燃えよ剣』の歳三は、

忘れようとして(54)にて書きましたように、

 

斎藤君、これは新選組副長の命令である。江戸へ帰れ

 

と言って斎藤一を逃がしました。

そして、原作本ではどうだったか、といいますと、

土方は、五稜郭から、お雪と一緒に、

市村鉄之助をその警護役として帰していました。

 

 

何度も繰り返しますが、お雪は架空の人物。

されば、鉄之助は一人で北海道を出たのでしょうか?

 

実は、二人。

 

鉄之助ともう一人、それは、

同じく新選組隊士であった、渡辺市造という人物。

彼は、鉄之助とほぼ同年代の若い隊士で、

歳三との“地縁”がキッカケで入隊したらしいのです。

両名とも、一番隊、二番隊等々ではなく、

「両長召し抱え」即ち、近藤・土方直属の隊士でした。

 

二人は英国船で函館を脱出、横浜に着きます。

途中まで一緒に行動しますが、

鉄之助は歳三の親類を訪ねて

(なぜならば、歳三の写真を託されていたといいます)

日野を目指し、一方、市造は川越の方へ向かいました。

“地縁”を頼って、市造も一緒に行けばよさそうなものですが、

なにしろ、新政府の取り締まりが厳しく、

周りの者に危害が及んでは…という配慮があったのでした。

 

この間の詳しいいきさつは、

以前にもご紹介申し上げたかもしれませんが、

土方歳三資料館のブログをご参照ください。

ブログの日付は20165月、

極めて最近、判明した事実であったわけです。

 

 

冒頭に書きましたように、鉄之助は早逝でしたが、

市造の没年は1908年、

ということは、50代なかばまで存命だったのですね。

 

こうして、歳三は二人の青年隊士を、

五稜郭から無事に生還させることができました。

 

 

と、いうよりも……

二名に対しての、新選組副長の“最後の命令”でした。

それは、

 

死ぬな。生きろ

 

このことに他ならなかったのです。

 

 

さて、『燃えよ剣』の小説は、

前回、市村鉄之助が土方家を訪れる劇的な場面までご紹介致しました。

 

ここからは、小生の“妄想”でありますが(笑)、

 

□■□■□■□■□■□■□■□■

(妄想ですよー)

映画のエンドロールが流れる如く、

司馬遼太郎は、ここで物語を終えようか、とも一瞬思いましたが…

 

『燃えよ剣』は、司馬の土方歳三に向けての

「弔辞」に違いないのです。

 

 

(ここで終わっては、土方歳三がうかばれまい)

 

 

最後にもうひとつのエピソードが、付け加えられました。

それは…

 

 

お雪の登場でした。

 

10行にも満たぬ短く美しい文章です。

お雪はひとことも喋りません。

 

『燃えよ剣』は、剣と血と殺戮に明け暮れた物語でしたが、

この部分を読みますと、そんなこともどこかへ消し去られ、

蝦夷の地の限りなく広い空を見渡しているような、そんな気分に浸れます。

そして、涙が滲んできます。

 

 

引用は致しません(苦笑)

ぜひとも、原作本をお手にとってご鑑賞ください、ということで。

                                            

長くなり過ぎました。

これにて約3年におよぶ、

『燃えよ剣』の思い出の記の終了です。

 

乱筆乱文、妄言多謝。          (文中敬称略)(おしまい)

 

**ピンク色の文字にはリンクを貼っています

 

PS:ここまで書き終えましたが、皆様ご承知のとおり、

  今現在、ウクライナが酷い状況になっています。

  プーチン大統領はあまりに非道です!

  彼の地の方々に何も出来ませんが、

  何があっても生き延びてください。

  神の御加護を

 

#ウクライナ #キエフ #戦争反対 #ロシアは出ていけ

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2022年1月29日 (土)

忘れようとして(61)~『燃えよ剣』~最後に。

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(前回からのつづきです)

 

一昨年のこと、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の最終回が、

放送日の前から、かなり話題になっていました。

なんでも、“今までになかった結末”という旨のウワサでしたので。

それまでこのドラマは、1分たりとも観たことはなかったのですが()

その最終回だけは、しっかりと観ることにしました。

 

観終えて…

つまり、“明智光秀生存説”ってことだったのかな…。

それはいいけど、「見せ方」が“もうひとつ”でしたし、

撮影がコロナ禍の真っ最中、という制約もあったのでしょうが、

戦闘シーンも迫力に欠けていましたね。

(それまで一度も観ていないのに、エラそうですな)()

 

 

そこで思い出したのは、同じくNHK大河ドラマの『源義経』。

こちらは1966年の放映でした。

源義経尾上菊之助(現:七代目 尾上菊五郎)、弁慶緒形拳

静御前藤純子(現:富司純子)が、それぞれ演じていましたね。

 

このドラマの最後のシーンは、

義経が弁慶をはじめとする従者を引き連れて、

深い深い霧の中へと消えてゆき、

“義経=ジンギスカン説”を示唆しつつ終わる、というものでした。

“よくある手法”とはいえ、今も印象に残っています。

 

そうそう、更に特筆すべきは、

このドラマのテーマ音楽の作曲が、あの武満徹!!

義経の運命を暗示するような、

物悲しく、かつ美しい主題を横笛が奏でていきます。

芥川也寸志作曲の『赤穂浪士』のテーマと並ぶ

NHK大河では双璧をなす名曲ですね。

 

 

話が脱線しましたが、つまり、

映画でも、TVでも、小説でも、

結末部(多くはクライマックスが来ます)において、

いかに観客・読者を感動させるか、さらに

余韻・余情を惹き起こせるか、あるいは、

伏線の回収がちゃんと出来ているか、

そこで「感動の再構成」を可能ならしめるか、

等々が要求されるわけです。

 

それを思うと、映画『燃えよ剣』のエンディングも、

『麒麟がくる』の最終回も、

私的にはやや不満の残るものでした。

 

 

話題を元に戻しましょう、

小説『燃えよ剣』の最終章は、「砲煙」。

先日、この章を読み返していて、思い出したことが。

それは次の一文。

 

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

(引用者注:歳三の)死体は、函館市内の納涼寺に葬られたが、

別に、碑が同市浄土宗称名寺に鴻池の手代友次郎の手で建てられた。

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

この碑について、数十年前の当時、

“このような碑は存在しない、司馬遼太郎の創作ではないか”

などと言われていて、私などは実に解せない感情に囚われたのですが、

昔と違って今はネットの時代、調べてみますと、

しっかりと称名寺にこの碑は建っているとのこと。

 

この“ミステリー”の因は、

『燃えよ剣』が上梓されたのが1964年、

そして3度にわたる火災の後、

その碑が再建されたのが1972年(1973年とも)、

という“タイムラグ”にあったのではないかと、現在は推察しています。

 

さて、忘れようとして(54)において、

“(お雪を江戸まで送り届けた)市村鉄之助

数奇な人生を送ることになる”と、記しましたが、

原作の最終章「砲煙」で、

司馬遼太郎は、この市村鉄之助の“その後”を書いています。

以下、少し長めの引用になります。

ちなみに、市村は実在の新選組隊士です。

 

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

土方家では、明治二年七月、

歳三の小姓市村鉄之助の来訪でその戦死を知った。

(中略)

市村鉄之助の来訪は劇的だったらしい。

雨中、乞食の風体で武州日野宿はずれ石田村の

土方家の門前に立った。

当時、函館の賊軍の詮議がやかましいという風評があったため、

こういう姿で忍んできたのであろう。

「お仏壇を拝ませていただきたい」

といい、通してやると、

「隊長。―――」

と呼びかけたきり、一時間ほど突っぷして泣いていたという。

(中略)

のち家郷を出、西南戦争で戦死した、ということは既述した。

歳三の狂気が、この若者に乗りうつって、ついに戊辰時代の物狂いが

おさまらなかったのかもしれない。

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

市村鉄之助は実在とはいえ、

この土方家を訪ねるエピソード自体は、

司馬遼太郎の創作ではないかな……

にしても、このシーン、映画、或いはTVでも、

時間的余裕があれば、撮ってみたいですね。

『終』の字と、エンドロールの間に挿入するとか…

 

                          (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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2021年12月31日 (金)

忘れようとして(60)~終章その9:新選組副長 土方歳三

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(前回からのつづきです)

 

  • 映画『燃えよ剣(2020)』の感想。

 

1970年放送のTV映画『燃えよ剣』の話も

最終回に至りましたので、

今回は、10月に公開された映画についての

私の感想を書いてみますね。

 

所謂“ネタバレ”云々に関しては----

ま、結末は周知のことですからなぁ。

 

さて、先日まで、この映画のラジオスポットが

よくオンエアされていました。

大都市圏での公開が終了したのでしょう、現在は流れていません。

 

そのラジオCMに使われていたのが、

主役を務めた岡田准一が映画の中で放ったセリフ、

 

新選組副長土方歳三

 

でした。

 

この台詞については、前回の記事で、原作本からご紹介いたしました。

引用箇所を更に短くして、以下に再掲します。

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

 

「名か…」歳三はちょっと考えた。

  しかし函館政府の陸軍奉行、とはどういうわけか名乗りたくはなかった。

 

  

「新選組副長土方歳三」

 

 

といったとき、官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。

歳三は駒を進めはじめた。

 

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

考えてみれば、この『燃えよ剣』という小説は、

 

最終章の「新選組副長土方歳三」という、

 

このひとことだけを書くために

数百頁にわたる物語を費やしてきた、とも言えるのではないでしょうか。

 

だからこそ、ラジオのスポットでもこのフレーズが採用されたに違いない。

 

でも-----映画を見終わった後に思ったのですが、

新選組ってなぁに?、とか、

岡田准一は知ってるけど、土方歳三なんて知らない、

っていう人がおられたならば、

その方に、あの映画の、あのシーンの、

あの言葉の“重さ”が伝わったかな??―――と。

 

年代も、嗜好も、その他何もかもが異なる観客全員のことを考えるなんて、

相当無謀なことですが、この一点だけは、譲ってほしくなかったな、

という気持ちが残りました。

 

この「新選組副長土方歳三」というセリフを印象づけるには、

なによりも、歳三のその当時の肩書きが、

「函館政府:陸軍奉行」であることを、

映画を観ておられる人々に周知させておかねばなりません。

しかし、その“伏線”が十分ではありませんでしたから。

 

あと、いろんなことを考えたわけです。

 

例えば、近藤勇たちの群舞シーンは必要だったのか、とか

歳三の“ヒョコヒョコ”とした感じの歩き方の設定はどうなのか

(ならばむしろ、「歳(とし)の鬼あし」を強調すべき)

とか、文句が続々(苦笑)。

 

2019年4月の忘れようとして(29)で、

===============

新選組を扱った場合、ほとんど「芹沢鴨暗殺」のエピソードが

挿入されるのですが、そこの部分に貴重なフィルムの“尺”、

つまり(上映の)時間をいくばくか費やしてしまうことになります。

私なら“芹沢鴨抜き”でのドラマ進行を考えたいのですが…。

===============

と申し上げていましたが、

“やはり、芹沢鴨は要らなかったよなー”

って思ってしまいます。

 

今回の映画『燃えよ剣』の上映時間は148分。

その中に、編年式で多くの出来事を網羅していましたので、

“詰め込み過ぎ”の感は否めません。

 

あるいは、いっそお雪も出さない、

という選択すらも、私は考えてしまいました。

それほどに、時間的制約が厳しかったわけです。

 

お雪といえば、ラストの場面、

彼女が歳三の亡骸に寄り添うカットは必要だろうか、とか-----

いけない、またクレームが(苦笑)。

 

 

しかし、岡田准一の演技と殺陣には好印象を持ちましたし、

山田涼介沖田総司

鈴木亮平近藤勇も適役でした。

 

ビゼーの「真珠採り」が使われたりして、音楽も意欲的でしたねー。

脚本・監督の原田眞人も、悩みに悩み抜いて本を書き上げたのでしょう。

 

冒頭、五稜郭に居る歳三の独白から映画はスタートしますが、

この試みも、大変面白いと思いました。

あ、でもこの映画が、こういうスタンスであることの

観客への“念押し”は必要じゃなかったかな----

いけない、またクレームが。。。

 

 

全体的に、この映画は、

新選組を知らない方々には、「わかりにくいでしょう」

というのが、私の結論。

映画を鑑賞されたなら、ぜひとも、

原作を読まれることをお勧めします。

 

乱文長文妄言多謝。                (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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2021年11月27日 (土)

忘れようとして(59)~終章その8:新選組副長 土方歳三

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(前回からのつづきです)

 

歳三は単騎、函館市中の官軍本陣前に現れました。

 

本映画(1970TV放映)、最後の、

そして、最高最大のクライマックスです。

 

歳三がこの闘いに向かう設定は、小説とは異なるものの、

官軍本陣前のこのシーンは、原作を正確になぞっていました。

そこで、ここでは司馬遼太郎の著書より引用させていただきたく思います。

 

 

……。

ところで、拙ブログは、20193月より、

『燃えよ剣』にかかりっきりに、なっているのですが。

もともと音楽関係の話題を主たるものとしていました。

しかし、

8年前の『アメイジング・グレイス』について書いた文章において、

(→2013年1月 SAPPARI WAYA

なぜか(苦笑)、『燃えよ剣』のこのラストの部分を、

引用していたのです。

クロスオーバー歌手のヘイリーと、土方歳三が、

どういうことで、つながっているのか、複雑怪奇ですなぁ。(爆)

そこいらへんが、拙ブログ“が

“さっぱりわやくちゃ”を看板に掲げている由縁であります。

 

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

………歳三はゆく。

 

ついに函館市街のはしの栄国橋まできたとき、地蔵町のほうから駆け足で駆けつけてきた増援の長州部隊が、この見慣れぬ仏式軍服の将官を見とがめ、士官が進み出て、

「いずれへ参られる」と問うた。

 

「参謀府へゆく」 

歳三は、微笑すれば凄味があるといわれたその二重瞼の眼を細めていった。むろん単騎斬りこむつもりであった。

 

「名は何と申される」

長州部隊の士官は、あるいは薩摩の新任参謀でもあるかと思ったのである。

 

 

「名か…」歳三はちょっと考えた。

  しかし函館政府の陸軍奉行、とはどういうわけか名乗りたくはなかった。

 

  

「新選組副長土方歳三」

 

 

といったとき、官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。

歳三は駒を進めはじめた。

 

士官は兵を散開させ、射撃用意をさせた上で、なおもきいた。

「参謀府へ参られるとはどういう用件か。降伏の軍使ならば作法があるはず」

 

「降伏?」

歳三は駒の歩度をゆるめない。

「いま申したはずだ。新選組副長が参謀府に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ」

あっ、と全軍射撃姿勢をとった。

歳三は馬腹を蹴ってその頭上を跳躍した。

 

が、馬が再び地上に足をつけたとき、鞍の上の歳三の体はすさまじい音をたてて地にころがっていた。なおも怖れて、みな近づかなかった。(中略)

 

それから六日後に五稜郭は降伏、開城した。総裁、副総裁、陸海軍奉行など八人の閣僚のなかで戦死したのは歳三ただひとりであった。(後略)

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

“壮絶といった、ありふれた言葉ではすまされない

TV映画史に残る、印象的な映像だったと思います。

 

 

原作どおりに、歳三の乗った馬が跳躍していく

スローモーションのカットがあったように記憶していますけどね…。

 

薩長軍の銃声。

 

地面に突っ伏して倒れる歳三。

 

断末魔の歳三の顔のアップが、一瞬あったように思います。

 

右手に刀を握ったまま倒れている歳三をめがけて、

なおも無数の銃弾が浴びせられます。

 

ここは、アメリカ映画の名作『俺たちに明日はない』(1967

のラストシーンを想起しました。

 

カメラはロングショットに切り換わります。

官軍兵士たちは、なかなか歳三に近寄りません。

いや、近寄れません。

 

 

更に徐々にカメラが引いていく中、

名優:左右田一平のナレーションが入ります。

 

「歳三は、『函館政府陸軍奉行』とは言わず、

『新選組副長』と名乗って死んだ。

その六日後、五稜郭は降伏、開城した。

函館政府の閣僚のなかで

戦死したのは土方歳三ただひとりであった」

 

そして、テーマ音楽が流れ、

半年に及ぶドラマは完結を迎えたのです。

(つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

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2021年10月30日 (土)

忘れようとして(58)~終章その7:新選組副長 土方歳三

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(前回からのつづきです)

 

先日、10/15より公開中の映画『燃えよ剣』を観てきました。

監督・脚本は、原田眞人司馬遼太郎の創作人物である、

お雪七里研之助が新解釈で登場していることも興味深かったです。

この作品の感想は、またいずれ、ということで。

 

 

1970年のTV映画『燃えよ剣』最終回に戻ります。

 

  1. 伝蔵の死
  2. 斎藤一との別れ
  3. 五稜郭での軍議
  4. 歳三の見た夢

と、エピソードが続いてきました。

 

いよいよ文字通りの最後のエピソードになるのですが、

「歳三の見た夢」で思い出したことがありまして、

 

それは、歳三の前に現れた、すべての隊士が

黙したまま、一言も語らなかったことです。

 

夢の中では、亡くなった人は喋りませんよ、

もし、お話できたら、それは吉兆かもしれません

 

と、私が幼い頃、誰かに聞いたことがあったのです。

ですから、TVを観ていて、

“あ、やはりそうなんだ”って想ったものでした。

 

ところで、

私が司馬遼太郎の原作本を手にしたのは、後日のことですが、

小説の中では、

近藤勇が、歳三に語りかけていました。

一体、何を話したのかは

原作を読んでください、ということであります(苦笑)。

 

 

さて、「歳三の見た夢」に続くのは、

最終話のクライマックス、

「歳三の最期」の場面です。

 

上映中の映画『燃えよ剣』のラストも

なかなかのものでした。(これ以上、書きません)

 

原作によりますと、“函館奪還作戦”を企図し、

歳三は僅か50余名のみを率いて出陣しました。

 

 

TV映画ではどうだったか。

 

馬上の歳三は、早朝、唯一人で五稜郭を出ます。

目指すは、函館市内の官軍司令部。

山道を駆け下りていく歳三。

鬼気溢れる歳三の顔のアップ、

そして、ロング、と画面転換。

 

この間ずっと、作詞:結束信二、作曲:渡辺岳夫

歌:東京混声合唱団の

『燃えよわが命』(本TV映画の挿入歌)が

映像のバックに流れています。

 

 

『燃えよわが命』(部分)

 

春まだ浅き 壬生の朝

誠一字に集いたる

ますらおたちの 雄叫びが

燃えよわが剣 わが想い

 

都の風に うそぶけば

吹雪と花の 乱れ飛ぶ

明日は屍を 晒すとも

燃えよわが剣 わが祈り   (以下略)

 

 

そして……

単騎、歳三は官軍本陣の前に現れます。 

                (つづく)(文中敬称略)

 

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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