2020年6月30日 (火)

忘れようとして(42)~新選組副長:土方歳三

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岡田准一主演の、映画『燃えよ剣』製作にあたり、

1970年のTV映画『燃えよ剣』の回想を主に

このブログのシリーズを開始しました。

 

これまで新選組:一番隊組長の沖田総司について7回ほど費やし、

あと、脚本の結束信二、また、

殺陣師:上野隆三にも触れてきました。

 

さて、いよいよ『燃えよ剣』の主役、

新選組副長:土方歳三にテーマを絞る訳ですが、

司馬遼太郎がこの『燃えよ剣』を発表する以前は、

土方歳三というと、

局長:近藤勇の“添え物”的扱いが普通だったと思います。

 

映画・TVの新選組のライバル、といえば鞍馬天狗ですが、

たとえば、京の五條坂での対決シーンなどでも、

近藤勇は、居並ぶ土方や隊士を制し、

「土方君、手出しは無用である」

と言って、愛刀の「虎徹」を抜き放ち、ただ一人鞍馬天狗に相対する…

 

といったように、

“撃剣の名手”“悠然たる貫禄”“行動力のあるリーダー”、

それらが近藤勇であり、

まさに、「新選組=近藤勇」の図式は確固たるものでした。

 

その一方、土方歳三はというと、

“陰湿な策士”といったイメージがつきまとっていたのですが、

司馬遼太郎は、全く違った面から、この土方にスポットを当てることにより

新しい“土方像”の描出に成功しました。

 

 

さて、その“土方像”なのですが、過去7回書いてきた

沖田総司と対比してみることが、

ある意味、手っ取り早い方法といえます。

(この手段は、あくまでフィクションが素材ですので)

 

 

『燃えよ剣』の原作本を読み返していて、

 

“あ、こんなシーン、あったかも…”と思った箇所がありました。

 

~~~~~~~~~~~~~~

沖田総司を連れて、祇園の料亭へゆく途上四条橋の上で、

夕映えに染まった秋の雲いくきれかが、しきりと東へ行くのを見た。

「総司、みろ、雲だ」

「雲ですね」

沖田も、立ちどまって、見上げた。(中略)

「句が出来た」

と、歳三はいった。豊玉(注:土方の俳号)宗匠にしては、

ひさしぶりの作である。

「愚作だろうなあ」

沖田はくすくす笑ったが、歳三はとりあわず、懐ろから句帳をとりだして

書きとめた。

沖田は、のぞきこんだ。

 

  ふるさとへむかつて急ぐ五月雲

 

「おや、いまは十一月ですよ」

「なに、五月雲のほうが、陽気で華やかでいいだろう。

秋や冬の季題では、さびしくて仕様がねえ」

「なるほど」

沖田は、だまって、歩きはじめた。

この若者には、歳三の心境が、こわいほどわかっているらしい。

~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『四条橋の雲』より

 

 

1970年のTV映画『燃えよ剣』においては、

俳句を詠むシーンはなかったと思いますが、

「総司、みろ、雲だ」に対する、沖田総司の

「雲ですね」という、まるで漫才のような場面はあったと思いますね。

 

なんともいえぬユーモアと、口には出せない切なさ…

間違いなく名場面のひとつです。

 

時は慶応元年の秋。

京の状況は、風雲急を告げています。

おそらくこのとき、二人とも同時に、

江戸の道場のこと、あるいは、

故郷の武州三多摩の風景を脳裡によみがえらせていたのでしょう。

 

(つづく)(文中敬称略)

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版から引用しました。

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2020年5月31日 (日)

忘れようとして(41)~「燃えよ剣」は忘れてはいませんので。

映画『燃えよ剣』は、このようなコロナ禍により、

当初5月公開の予定でしたが、延期となっています。

 

ただ、前回の記事(“やむにやまれず”アップしました)(笑)

に書いた「緊急事態宣言」は、

5/31現在、解除されておりますので、

入場者数等を抑制しつつ、近日の封切りになると思います。

 

この緊急事態宣言をめぐる与野党双方の動きには、

どうも合点のいかぬところが有りますし、

コロナを除いて政局を見渡しても、

とてもマトモな政治が運営されているとは、

お世辞にも言えません。

 

とはいえ-----

拙ブログのテーマも、『燃えよ剣』に戻して、

出来るだけ早く、“ゴール”に辿り着きたい、とは考えております。

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2020年1月30日 (木)

忘れようとして(40)~殺陣師:上野隆三氏死去。

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(前回からのつづきです)

 

“つぶやく”ことなど極めて少ないのですが、

Twitterもやっています。→https://twitter.com/tenkeitw

 

1/20に、写真家:奈良原一高氏の訃報を聞き、tweet致しましたが、

連日の悲しいニュースがありました。

1月20日の京都新聞より引用致します。

                                      

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

殺陣師の上野隆三さん死去 「水戸黄門」ほか170本超の映画手掛ける

 

京都・太秦の東映京都撮影所(京撮)で殺陣師として活躍した上野隆三(うえの・りゅうぞう)さんが19日午後11時32分、京都市内の自宅で死去した。82歳。大阪市出身。(中略)

 1956年に京撮に入所。役者としてデビューした後、殺陣師に転じ、62年「鷹天皇飄々剣 吉野の風雲児」で殺陣師デビュー。「人生劇場 飛車角」「十一人の侍」「新網走番外地 吹雪の大脱走」、「仁義なき戦い」シリーズ、「柳生一族の陰謀」など170本を超える映画の殺陣を手掛けた。テレビドラマでも「水戸黄門」「新選組血風録」など数多くの時代劇で殺陣を付けた。

~~~~~~~~https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/132007/

Wikipediaによりますと、→https://ja.wikipedia.org/wiki/燃えよ剣

上野隆三氏は、今取り上げている1970年のTV映画

『燃えよ剣』の殺陣も担当されていました。

せっかく『新選組血風録』(1965)に言及しているのですから、

ぜひとも、『燃えよ剣』にも触れていただきたかったですね。

 

上野隆三氏の見せ場は、やはり池田屋事件の回になりますが、

今、Wikipediaを開きますと、

『新選組血風録』では、第9回に加え、

初回放送でも、同事件を扱っていたようです。

なんといっても、時代劇映画は

“殺陣シーン”が一番の見せどころであり、

“視聴率対策”として、第一回が大事なのは、今も昔も一緒ですね。

 

 

さて『燃えよ剣』(1970)に話を戻します。

偶然の符合でしょうか、『燃えよ剣』でも、

9回が池田屋事件になっておりました。

 

皆様ご存じのように、土方歳三は、池田屋には、

時間的に、かなり遅れて駆けつけています。

(土方隊は、池田屋ではなく、四国屋の方に向かっていたので)

 

当初、池田屋に斬り込んだのは、

近藤勇沖田総司をはじめとした10名程度といわれています。

ですから、ドラマも近藤と沖田の殺陣シーンを

中心とした構成になっていたと思います。

 

ひとつ特筆されるべきことは、

この回の映画、60分番組とはいえ、CFがありますから、

正味時間は50分弱位なのですが、

最初から最後まで、ほとんど全篇、

池田屋内での、“チャンバラシーン”だったのです。

 

この事は、当時、新聞にも載っていましたので

(「ラテ欄」だったかな?)

よく憶えています。

2020年の今日では知りませんが、当時としては、

時代劇史上最長時間の殺陣」と話題になったものです。

(このことWikipediaには書かれていないですね。

 劇場用映画では、もっと長いものがあったのかもですが)

さぞかし、上野隆三氏にとりましては、

意気軒昂たる思いで、お仕事に取り組まれたことでしょうが、

誠に申し訳ないことに、

さすがに具体的に記憶に残っている場面は無いのですね…

 

もちろん、池田屋事変では有名なあの「階段落ち」のシーンとか、

(映画『蒲田行進曲』ほどの高さは無かったでしょうが)

沖田総司の喀血の場面などはあったと思います。

 

 

東映時代劇映画の黄金期を支え、さらに、

TV時代劇でもその手腕を存分に発揮された

上野隆三氏の訃報に接しまして、

ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。

 

TBSのHPに、上野氏のインタビュー記事がありましたので、

URLを貼っておきます。

なかでも、日本舞踊と殺陣との“関係”など、

興味深いウラ話がいっぱいです。

ぜひどうぞ。

TBS「水戸黄門大学」

                                                                         (つづく) 

 

PS:ピンク色の文字にはWikipediaへのリンクを貼っています

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2019年12月29日 (日)

忘れようとして(39)~来年公開の映画『燃えよ剣』の監督・脚本は原田眞人氏。

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(前回からのつづきです)

 

さて、上記のタイトルのとおりに、

来年公開予定の映画『燃えよ剣』では、監督も脚本も、

原田眞人が務めておられます。

HPでの、氏のコメントを読みますと、

“これは面白い映画になるぞ”といった期待感があふれてきますね。

 

(現時点では既に撮り終えているはずです。

 あるいは編集作業すらも、終了しているかもしれません)

 

HPの下方にある文字が目に入りました、これです。

 

BARAGAKI/UNBROKEN SAMURAI

 

ひとこと、私の感想を述べさせてください。

UNBROKEN SAMURAI」の示す意味が、私には解りかねますので、

(そもそも“横文字”を使う必要があるのかどうか)

これは、そっとしておきます(苦笑)。

 

BARAGAKI」は、ローマ字表記です。

すなわち、日本語で「バラガキ」。

この語は、司馬遼太郎原作本の「燃えよ剣」を開いて

僅か数頁めくった箇所に現れています。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この近在では、歳三のことを、

「石田村のバラガキ」

と陰口でよんでいる。(中略)

乱暴者の隠語だが、いまでも神戸付近では不良青年のことをバラケツというから、ひょっとするとこのころ諸国にこの隠語は行われていたのかもしれない。

~~~~~~~~~~~~~~~~「燃えよ剣」(上)『女の夜市』より

 

この「バラガキ」という言葉には、どうしても、

“未成熟な人間”

といったニュアンスがつきまといますので、

私は、賛成できかねます。

 

もしも、今回の映画のように

土方歳三について端的なキーワードを用意するなら、

「喧嘩(ケンカ)師」という語のほうがふさわしいと考えます。

 

この「喧嘩師」という言葉は、歳三の生涯を読んで心に残った

印象的な語彙です。

 

「喧嘩師」なる語は、上巻でも登場していますが、

一番、インパクトの有る部分はこちらでしょう。

鳥羽伏見の戦いのとき、

会津藩の大砲奉行の林権助老人との会話のくだりです。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「この地図は、どなたが作ったのです」

「私ですよ」

 と、歳三はいった。この男は、多摩川べりで喧嘩をしていたころから、かならず地形偵察をし、地図を作ってからやった。たれに教えられた軍学でもない。歳三が、喧嘩をかさねてゆくうちに自得をしたものである。(中略)

「これで戦さをなさるのか」

「いや、この敵の配置は、たったいま現在のものです。(中略)喧嘩の前には忘れますよ」

と、権助の見ている前で破り、そばの火鉢の中にほうりこんだ。

~~~~~~~~~~~~~「燃えよ剣」(下)『鳥羽伏見の戦い・その2』より

 

土方歳三の「喧嘩師」たる所以が、鮮やかに描かれていると思いますが、

いかがでしょう。

 

 

このシリーズ、沖田総司、そして、脚本家の結束信二

また、監督について書いてきましたが、

いよいよ、「燃えよ剣」の主人公、

喧嘩師:土方歳三の登場の予定です。

 

                   (つづく) (文中敬称略)

 

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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2019年11月28日 (木)

忘れようとして(38)~脚本家:結束信二氏。最後に。

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(前回からのつづきです)

 

前の回に書きましたように、

TV映画「燃えよ剣」では、

出演する殆どのTVドラマで、斬られ役とかその他大勢の一員であり、

彼らの台本に書かれた役の名も、

番号とか、ABCのような記号でしか表記されなかった男優陣が、

苗字も名前も残っている新選組隊士の役として

出演できるわけですから、

そりゃあもう、演技に力がこもるわけです。

 

おそらくは、当時の俳優たちの平均年齢も30代くらい、

実際の新選組隊士の年齢に近い世代ではなかったでしょうか。

 

歴史上の新選組隊士たちが抱いていた気持ちと、

TV映画「燃えよ剣」における、俳優たちのそれとは、

時代背景はもちろん、その動機から何から何まで、

全く異質で異次元のものであることは、言うまでもないのですが、

“青春のエネルギーの奔出”という視点では、

ほぼ同質といえたのではないでしょうか。

 

だからこそ、すべての俳優の演技が、まぶし過ぎるほどに

生き生きと、輝いていたのでしょう。

 

 

結束信二の優れた脚本、加えて出演者の魂のこもった演技、

これらが、TV映画「燃えよ剣」の成功を導いた、

と言えると思います。

 

 

監督にも、触れておきましょう。

またまた「燃えよ剣」のWikipediaを開きますと、

本作品の監督:は、

佐々木康河野寿一松尾正武(年齢順です)

3氏が務めておられます。

 

この内、佐々木康(ささき やすし)は、

3人の中では、監督経験が最も豊かな大ベテラン。

ただ、彼が監督した回は、26話中、1話だけで、

残りを、河野寿一(こうの としかず)と、

松尾正武(まつお まさたけ)がメガホンを執っているようです。

 

皆様お察しのように、佐々木康、河野寿一のお二人は、

東映時代劇映画が全盛の頃の監督でした。

映画産業の衰退に伴い、TV時代劇の製作に活動の場を

移すことを余儀なくされたわけです。

 

河野寿一は、東映映画の頃にも、結束信二との“コンビ”で、

数多くの“ホンペン(=劇場用映画)”を撮っていたようで、

お互いの“作風”をよく知った仲だったのでしょう。

そして松尾正武は、監督になる以前、

河野寿一の助監督を務めていたようですね。

 

 

最後に、結束信二のエピソードを。

前回ご紹介した「伝蔵」(このTV映画の“キーマン”の一人)を演じた

小田部通麿Wikipediaを見たところ、

小田部は、俳優業のかたわら、京都のお寺の住職もつとめてらしたそうです。

このことも、この度初めて知りました。

以下、そのWikipediaから引用致します。

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

結束信二が1987年に死去した。結束が生前に「小田部さんがお坊さんになったので葬式は小田部さんに」と遺言していたこともあり、葬式では舞台稽古の合間を縫って駆けつけた小田部がお経を涙声で読み上げ、結束信二の墓も小田部が住職を務める誠心寺に存在する。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(引用終了)

 

 

冒頭に書いたように、

「燃えよ剣」の原作者:司馬遼太郎は、

稀代の名脚本家:結束信二の墓碑に文章を寄せたほど、

彼の脚本には信頼を寄せていました。

 

その脚本を手に、

東映時代劇映画の黄金期を経てきた、3代にわたる監督たちは、

その伝統を引き継ぎつつ、

 

―そして、おそらくは

 

“あぁ、いつかは「本編」(大スクリーン用の映画)の時代劇を撮りたいナー”

という思いを胸に―

 

それでも、

TVサイズの映像画面に、彼らの情熱の全てを注ぎ続けたわけですね。

 

                            (つづく) (文中敬称略)

PS:ピンク色の文字にはWikipedia等へのリンクを貼っています。

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2019年10月27日 (日)

忘れようとして(37)~脚本家:結束信二氏ふたたび。

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(前回からのつづきです)

 

一説として、

 

「舞台は俳優のもの、TVドラマは脚本家のもの、映画は監督のもの」

 

なんてフレーズを聞いたことがあります…

 

 

今回も前回に続き、脚本家:結束信二についての話題なのですが、

いまWikipediaを見ますと、

氏のお墓に、司馬遼太郎の以下のような文が刻まれている、とあります。

 

 

結束さんは人生をよき景色としてみていたすばらしい心のもちぬしでした

 

 

結束信二と、「燃えよ剣」の原作者である

司馬遼太郎との“接点”が何処にあったのかは

現時点の私には分かっていません。

また、司馬の言うところの、「よき景色」とは、

具体的に、どういうことなのか、

それもまた、私にとっては“謎”なのです。

ともあれ、このお二人は、ジャンルこそ違え、同じ表現者として、

並々ならぬ信頼関係が存在していたのだろう、と考えています。

 

 

結束信二が、「燃えよ剣」をTV化する際に、

様々な工夫を凝らしていますが、そのひとつは、

原作には無い、「裏通り先生」(京の町医者)という、

かなり重要な脇役を、設定したことです。

そのキャスティングには、『俺は用心棒』に続いて

左右田一平(そうだ いっぺい)を配しました。

なお、彼はこのTV映画のナレーターも兼任しています。

 

この「裏通り先生」の起用により、

刻々と変わっていく、当時の京の町の状況であるとか、

ドラマの展開に不可欠な様々な情報を、

視聴者に無理なく伝えることができました。

 

(ナレーションを多用し過ぎると、映画の“しまり”がなくなります)

 

 

もう一人、原作には無い設定といいますと、

「伝蔵」という人物もいました。

近藤勇をはじめとした浪士たちが上洛した際、

壬生寺の近くにあった八木家(当地の豪家)の邸宅を、

新選組の屯所として、使用することになりますが、

伝蔵は、その八木家の使用人、という役どころでした。

 

「燃えよ剣」のWikipediaを開きますと、

裏通り先生は、放送回の26話全部、伝蔵は初回を除いて25回、

それぞれの出番があったそうです。

重要な役とはいえ、ここまで多く登場していたとは、

私も意外でした。

 

伝蔵に扮していた俳優は、小田部通麿(おたべ みちまろ)といいますが、

名前も風貌も“ユニーク”でしたので、よく覚えています。

“風貌もユニーク”と記した意は、

彼がいわゆる“悪人顔”の俳優でいらっしゃって、

出演されたTVでは、ほとんど悪役だったような気がします。

 

そういえば、

槍の名手にして、新選組:十番隊隊長の

原田左之助に扮していた、西田良も、

ヤクザの子分とか、チンピラ等の端役が多かったと思います。

 

                                                       (つづく) (文中敬称略)

 

PS:ピンク色の文字にはWikipediaへのリンクを貼っています

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2019年9月30日 (月)

忘れようとして(36)~脚本家:結束信二氏と「燃えよ剣」。

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(前回からのつづきです)

 

私のアヤフヤな記憶では、“新選組ブーム”を起こした「立役者」は、

沖田総司だったと思っています。

 

その“総司ブーム”のきっかけを作ったのが、

司馬遼太郎の小説であり、

また、TV映画の「新選組三部作」でした。

 

繰り返しになると思いますが、そのTV映画「三部作」とは、

1.『新選組血風録』(1965

2.『俺は用心棒(第1シリーズ)』(1967

3.『燃えよ剣』(1970

 

そして、以上の3作品の全てに、

島田順司が沖田総司の役を演じたことは、

これも、前回までで述べてきたとおりです。

 

 

ところでもうひとつ、「三部作」の共通点があります。

それは、すべて脚本家が結束信二であった、ということなのです。

 

(氏は.『俺は用心棒』では原作者でもあります)

 

人気の小説、俳優陣、スタッフの活躍もさることながら、

彼の手になる名脚本があればこその成功ではなかったかと。

 

 

ただし、私、氏については、存じ上げぬことばかりでして、

今回、Wikipediaを読んで、“あ、そうだったのか”と初めて知ったことが

ほとんどです。

ですから、今回は結束信二のWikipediaを見ながら書き進める、

といった、だらしないことになりそうです(苦笑)。

 

 

氏を知ったキッカケは、やはり

.『俺は用心棒』(1967)でありました。

まず、「結束」という珍しいお名前が印象に残ったこともありますが、

なによりも、ストーリー展開の“特異”なことに驚いた記憶があります。

 

当時…いや、現在でもそうなのですが、

時代劇というものは、かなりステレオタイプ化してるのが通例です。

つまり、内容が「勧善懲悪」であるとか、

主人公に対抗する者は、常に「悪いやつ」であり、

結末では、いつも正義が勝つ、といった風です。

しかし、『俺は用心棒』は異なっていました…

 

 

歴史の一大変革期、幕末の動乱の真っ只中の京都の町。

それでも、当然ながら、農民・町人の日々の暮らしは

営まれていました。

そのような市井の人々にも、容赦なく凶刃の嵐が襲い掛かります…

 

そんなとき、窮地の庶民を救うのが、

どこからともなく現れる二人の浪人(=用心棒)。

この浪人に扮するのが、栗塚旭

左右田一平(そうだ・いっぺい)です。

栗塚は剣、左右田は柔術の達人、という役柄だったと思います。

 

そうして普通のドラマならば、“立ち回り”が済むと、

「めでたし、めでたし、一件落着」となりそうなものですが、

『俺は用心棒』は異なりました。

 

用心棒の活躍で難を逃れたようにみえたのですが、

最後は、別の追っ手の手に掛かったり、

あるいは、山中で力尽きて絶命したり…

とにかく、悲劇的な結末を迎えるストーリーが、

非常に多かったことを覚えています。

 

(全くの私感ですが、この辺は、町人や底辺に生きる武士たちの人生に

心を寄せた作品を書き続けた藤沢周平と重なり合う部分を感じるのですが)

 

1967年の放映ですから、遡ること半世紀、という頃の映画なのですが、

現在でも通用するに違いない、リアリティーに溢れた、

斬新な脚本であったと評価いたします。

 

この脚本を担当したのが、結束信二。

沖田総司という実在の“歴史的ヒーロー”を、

あえて、脇役扱いで物語に取り入れた氏の俊才には

舌を巻かざるを得ません。

この3年後、いよいよ結束信二脚本の「燃えよ剣」が放映されるのです。

 

                               (つづく) (文中敬称略)

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2019年8月13日 (火)

「燃えよ剣」は忘れてはいません。~土方歳三役No1の栗塚旭氏の近況!

ブログ更新をサボり続けています(苦笑)。

 

ときに本日、デイリースポーツのWeb版において、

そのお元気そうな写真とともに

栗塚旭氏のインタビュー記事がアップされています。

URLはこちら。

ミスター土方歳三役 俳優・栗塚旭は記念館設立目指す 82歳、今も映画出演/あの人~ネクストステージ/オピニオンD/デイリースポーツ online

 

新選組ファンならずとも、往年の時代劇ファンには、たまらない記事ですので、

ぜひ御一読を。

で、今回はこれにて「おしまい」です。(笑)

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2019年6月22日 (土)

忘れようとして(35)~沖田総司と「燃えよ剣」<補遺>。

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前回を、沖田総司についての最終回とするハズだったのですが、

気が変わりまして(笑)、

本日は、書き残したことを少し、記しておくことにしました。

 

 

  • 「総司」の読み方

考えてみれば、“今さらながら”の話なのですが…

 

「沖田総司」の名前の読み方についてです。

これは、【そうじ】と読むのが正しい。

沖田本人の手紙に、自分の名前を

「沖田総二」と自署したものが残っていることからも

証明できます。

ところが、1970年のTV映画では、【そうし】と発音していました。

その理由とは…。

 

3/21の拙ブログ

「一番隊隊長の沖田総司を島田順司(じゅんし)がそれぞれ扮していました。」

と書きましたように、総司役を務めた、

かの名優:島田順司の名は、【じゅんし】と読むのです。

 

これを知った脚本家の結束信二(だったと思います)が、

「そっちの方がいい」ということになり、

【そうじ】ではなく、

濁らずに【そうし】と呼ぶようにした…

 

とまあ、そんな経緯があったということを、

どこかで聞いた記憶があります。

 

私はTVで沖田総司を知ったのですから、

長らく、【そうし】と読むのが正しいのだと、思い込んでいました。

今でも、個人的には濁点なしで呼びたい気分ですし、

沖田総司というキャラクターには、

そっちの方が合っているのでは、という感想を持っています。

 

と、いうことは…

1970年の「燃えよ剣」より遡ること5年、

1965年のTV映画、「新選組血風録」が、

ほぼ同じスタッフ・キャストで制作されていますから、

「血風録」でも既に、【そうし】という呼び方になっていたのかもしれません。

 

既述のように、私は「血風録」は観ていなかったのですね…

 

このシリーズ、まだモノクロ映像ではありましたが、

「燃えよ剣」に劣らず、なかなかの出来栄えだったそうです。

 

中でも、

沖田総司と、彼の佩刀とされる、

名刀「菊一文字則宗」を題材にとった、

7話の『菊一文字』は、

視聴者はもちろん、スタッフからも、

(今ふうに言えば)“神回”と絶賛されたと、聞いています…。

 

当時の映画を観ることは困難でしょうが、

司馬遼太郎の原作は、今でも読めますので、ぜひご一読を。

七百年の時を生きてきた、「菊一文字則宗」と、

天才剣士:沖田総司との運命的な出逢いとは……

 

15話からなる「新選組血風録」ですが、

司馬は、その最終章に、この『菊一文字』を配置しています。

 

 

  • 「菊一文字」

さて、上にも書きました、沖田総司の佩刀についてです。

近年は、「刀剣乱舞」というゲームが大流行しているそうですね。

(私、こういったジャンルには、“チンプンカンプン”でして)

確か、このゲーム(演劇にもなっているらしい)

のキャラにも「菊一文字」が登場しているような噂を、

聞いたことがあるような、ないような…(苦笑)。

 

 

一般に、

「沖田総司の刀は、『菊一文字則宗である』」と言われていますが、

これについては、

司馬遼太郎の創作、ということが定説となっています…

………………………………

と書き始めたら、“ある一文”がネットで目に入りました。

 

 

曰く、

 

「この件の“ルーツ”は、そもそも、

子母澤寛が彼の著作『新選組始末記』にて、

『沖田総司の刀は菊一文字細身のつくり』と書いたことに始まる」

 

というのです。

 

 

どうせ、私のアタマなんぞ、アヤフヤなものですが、

“それは知らなかった”と、あわてて、

「始末記」を再読しました。

 

が、そんな記述は見当たりません。

ならばと、念の為に、同じ著者の、

「新選組物語」「新選組遺聞」にも目を通しましたが、

やはり、そのようなことは、どこにも書いていません。

このブログを書くにあたって、

何十年ぶりかに、新選組に接したのですが、

気分は、浦島太郎のような(笑)。(こんな比喩でいいのかな?)

 

 

そんな中、たどり着いたのが、

松帆神社様(←リンクを貼っています、御参照のほど

20173月のブログでした。

そこに引用されているのは、

結喜しはや(京都生まれの幕末維新研究家)の論です。

 

詳細はそちらをご覧いただくとして、

要は、「菊一文字」と司馬遼太郎を結びつけたもう一人の人物として、

忘れようとして(29でご紹介した、

医師・作家の森満喜子のお名前が見られるのです。

 

 

この説が“決定打”かどうか、私には判断できかねますが、

非常に有力であるかもしれません。

 

 

ということで、そろそろ締めないと(苦笑)。

ここは松帆神社様の言をお借りして、

 

 

総司が主に使った刀は加州清光、総司が愛した刀は菊一文字

 

 

ウン、これが一番いいかもしれない、と思うのです。 (つづく)(文中敬称略)

 

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2019年6月15日 (土)

忘れようとして(34)~沖田総司と「燃えよ剣」<6>。

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(前回からのつづきです)

 

1970年のTV映画では、土方歳三役の栗塚旭が、

フランスの陸軍服に身を包み、夜の闇に紛れて、

島田順司が扮する病床の沖田総司に、

会いに来るシーンがあったような、かすかな記憶があるのですが…。

 

既に近藤勇は、千葉の流山にて、

新政府軍に捕えられ絶命しています。

もちろん、そんなこと、総司には口が裂けても言えません。

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

「総司、おらァ、これから蝦夷に行く」

「蝦夷へ?」

「そうだ。蝦夷で薩長の奴等に、一泡も二泡も吹かせてやるさ」

「フフ…土方さんは、いつも元気だな」

「おまえも早く元気になれよ。待ってるからな、総司」

「なりますとも。必ず待っていてくださいよ」

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 

そんなセリフが結束信二の書かれた脚本にあったかどうか、

これもまた、今となっては“謎”ということで…

 

 

あと、司馬遼太郎の筆による“伏線”を追記しておきます。

 

前回、総司がお光に手を差し伸ばす場面を

原作から紹介しました。

 

時は、さかのぼって、

鳥羽伏見の戦いで幕府・新選組が敗れた直後、

彼らは大阪へ敗走しましたが、そのときのこと。

総司は既に、到底戦える体ではなく、

その身を、よこたえていました。

歳三が、その痩せた総司の手をとろうとしたとき、

逆に総司は、その手を引っ込めてしまいます…

                                  (「燃えよ剣」(下)『大坂の歳三』)

 

司馬は、そんな総司の奥深い心理も、描写していました。

 

 

TV映画の「燃えよ剣」に戻ります。

 

歳三と別れ、それからお光と別れて、

総司はついに一人になってしまいます。

 

そして…(私の記憶によると)

最後の画面で、“沖田総司死す”の文字がアップになり、

23話(最終回より3週前)「沖田総司」の回は終わります。

 

 

あと、司馬遼太郎の「燃えよ剣」ではありませんが、

以前にご紹介した大内美予子の小説「沖田総司」を開いて、

沖田総司の最期の場面を読んでみようと思います。

 

大内は、前回の記事に紹介した、

子母澤寛の、黒猫のエピソードを“下敷き”にしつつ、

“沖田総司が小鳥を飼っていた”という挿話を交えて描いています。

総司は、息を引き取る直前に、その小鳥を逃がしてやるのです。

 

~~~~~~~~~~~~~~

総司は鳥の影を追う視力がすでになくなっているらしく、

「飛んで行った?」

とたしかめるように聞いた。(中略)

夕刻、もう一度かすかに目を開いて、

庭の方角をさぐるようにしていたが、

「あの猫、また来てるかな?」

はっとするほど、明るい声で言った。

「小鳥はもうういないのに……」

それが、総司の最後の言葉になった。

~~~~~~~~~~~~~大内美予子「沖田総司」『水車』より

 

この小説を通読して、あらためて、

「この書は、大内氏の沖田総司に宛てた、ラブ・レターなんだな」

って思いました。

 

 

長々と沖田総司について書いてきました。

 

繰り返しになりますが、彼の“美しいまでにミステリアスな魅力”

を再掲しますと、

 

「剣術は天才的」「子供好きな明るい性格」「25年の短い人生」

 

ということなのですね。

 

名優:島田順司をはじめ、

これまで数え切れないほどの多数のスターが、

沖田総司を演じてきました…

例えば、草刈正雄、田原俊彦、有川博、東山紀之、藤原竜也、

“変化球”では、牧瀬里穂(←なんと女優が!)… 

もう、キリがないのでやめますが、今回の映画では、

山田涼介が出演されます。

 

 

以前の記事でも書きましたが、

そもそも沖田総司の役は難しいし、

長くても2時間程度であろう、と思われる

映画自体の時間的な制約もあるでしょう。

でも、“どこかキラリと光っているような” …

 

山田涼介には、彼ならではの沖田総司像を期待しています。

                                                       (つづく)(文中敬称略) 

 

*大内美予子「沖田総司」は、新人物往来社刊から引用しました。

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