2021年2月20日 (土)

忘れようとして(50)土方歳三~その9~渋沢栄一との接点

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(前回からのつづきです)

 

NHKの新・大河ドラマ『青天を衝け』が始まり、

好調なスタートらしいです。

“らしい”と書いたのは、私は見ていないからですが、

そもそもTVを点けること自体が、殆ど無い(苦笑)。

 

『青天を衝け』は、渋沢栄一が主人公のドラマ。

彼が、次期新紙幣の“顔”に決定した2019年、

私は、以下のようなtweetをしていました。

 

~~~~~~~~~~~~~~

2019年49

#新紙幣 に #渋沢栄一 が登場するそうです。

今、ブログで #燃えよ剣 = #新選組 について書いてますが、

渋沢栄一も新選組とは接点があります。

彼の回想録に「 #近藤勇 ・土方はなかなか立派な人であった」と。

~~~~~~~~~~~~~~https://twitter.com/tenkeitw

 

そのTwitterのタイムラインからこんな記事をみつけました。

「渋沢栄一と新選組」というコラムで、

筆者は山村竜也という方。

「風雲!幕末維新伝」(→https://rekijin.com/?p=31551

の第14回とのこと。

 

上記の記事中の、大沢源次郎を捕らえるというエピソ-ドが、

渋沢と新選組の「接点」なのですね。

私も20194月にそのことをtweetましたが、

その時の文章ファイルが見あたりませんので、

もう一度、本を読み返すことにしました。

引用元はこちら。

 

青木繁男著:『京都幕末おもしろばなし百話』(2015年 ユニプラン)

 

著者の青木繁男は、在野の幕末史家で、

新選組記念館館長も務められました。

この本を開くと、土方歳三と渋沢栄一の

生々しい会話に接することができます。

~~~~~~~~~で区切っているのが、引用文。

 

~~~~~~~~~~~~~~

土方は歩きながら栄一にこう言った。

「われわれ新選組がまず寺に踏み込んで大沢を縛るから、

そこで貴公が奉行の命を申し渡されるとよい。」

「それはいかん。それでは拙者の役目が立たん。

まず拙者が踏み込んで奉行の命を伝えてから、貴公たちが縛る。

それが筋道というものだ。」

~~~~~~~~~~~~~~

しかし土方はこの言い分を認めないし、

栄一も、あとへ引きません。

~~~~~~~~~~~~~~

「そりゃ土方君そりゃ本末転倒だ。

拙者が奉行の名代として御不審のかどであるから

糾問のため捕縛すると申し渡した時、彼の罪状が決定されて

捕縛する理由も相立ち申す。

いわば拙者はこの役目の正使で貴公らは副使だ。

奉行の命を伝えないうちに、副使が召し捕らえるのは理不尽だ。」

~~~~~~~~~~~~~~

渋沢の言う事は、まことにごもっとも。

だが、土方にも“渋沢の警護”という大役があります。

~~~~~~~~~~~~

「そんな理屈を言っても、大沢が斬りつけてきたらどうする。」

「いらぬお世話だ。その時は相手になるまでだ。」

「貴公には、そんな洒落たまねが出来るか?」

「人を甘く見くびるな。拙者の腕前も知らんで。」

~~~~~~~~~~~~~~

 

 

まず、大沢源次郎とはいかなる人物であったか。

もともと旗本の出身。

新徴組支配取調役から、京都見廻組与頭勤方、

江戸に帰り、江戸御用取扱出府を歴任、そして、

このときは、幕府陸軍奉行差配の役職にあった、

ということは、いわゆる“できる”人物。

そして、蛤御門の変、また、越前敦賀では水戸天狗党討伐にも参戦、

と剣の腕前もまた、かなりのものだったのでしょう。

加えて、彼の宿所たる寺には鉄砲の備えもあった、ということですから、

土方歳三たちが渋沢栄一に同行したのも頷けます。

 

 

では、この「大沢源次郎逮捕事件」の結末を。

 

他の新選組隊士たちは寺の門で待たせ、

土方歳三と渋沢栄一の二人だけが、玄関まで進みます。

山村竜也のコラム(→https://rekijin.com/?p=31551

にありますように、結局、

渋沢が単身で奥の間に入り、奉行の命を大沢に伝えました。

すると彼はすぐに恐れ入って神妙に縛を受けたそうです。

“大山鳴動してネズミ一匹”というやつですね。

 

渋沢は彼を新選組に引き渡した際、

“大沢の態度は神妙だったから、そこは情状酌量してほしい”

と、申し添えたそうです。

 

□■□■□□□■□■□■□■□■

さて、「渋沢栄一と新選組」の“接点”は、以上の如くですが、

ここで重要になるのが、いまよく目にするところの、

エビデンス」または「ファクトチェック」ですね。

 

そんな横文字を使わずとも、

証拠」「事実検証」という立派な日本語がありますから

こちらを使うべきだと私は思うのですが。

 

それはともかく、青木繁男の著書の“一次資料”は、

渋沢栄一の四男の渋沢秀雄が著した

『私伝渋沢栄一伝』(1965年 時事通信社)と明記されています。

 

一方、山村竜也のコラムには、

一次資料”に関する記載はまったく有りません。

『私伝渋沢栄一伝』とは、

ずいぶん記述が異なっていますので、

あるいは、他の資料からかもしれません。

 

青木繁男は、別の資料として、

『雨夜譚(あまよがたり)』(渋沢栄一が50歳代の頃の談話集)

を挙げていますので、

山村竜也のコラムの典拠は、

これかもしれない、とは思っております。

(一番いいのは、これら“一次資料”を自分の目で

確かめてみることなのですけども)

□■□■□□□■□■□■□■□■

 

最後に、青木繁男の紹介されている『私伝渋沢栄一伝』から、

渋沢栄一と土方歳三との“接点”を再確認。

~~~~~~~~~~~~~~

土方歳三はなかなか思慮のある人物のように見受けられた。

「ワシが正使、副使の理屈を並べたので、歳三は、

君はもと武家の出かと尋ねた。

そこでいや百姓だと答えたところ、彼はひどく感心してね。

とかく理論の立つ人は勇気がなく、

勇気のある人は理論を無視する。

君は両方いけるとホメてくれたっけ。」

~~~~~~~~~~~~~~

この箇所は20194月にtweetした記憶があります。

 

 

NHK大河ドラマ『青天を衝け』では、

町田啓太が土方歳三役で出演、ということが発表されていますから、

この「大沢捕縛事件」のエピソードが

脚本化されることは、決定的と言っていいでしょう。

TVドラマは全く見ませんが、

その回だけは見てみようか・・・なぁんてね(笑)。

                  (つづく)(文中敬称略)

 

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2021年1月30日 (土)

忘れようとして(49)~新選組副長:土方歳三~その8

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(前回からのつづきです)

 

司馬遼太郎原作『燃えよ剣』の映画化にあたり、

1970年のTV映画を中心に色々と綴ってきたわけで―

そろそろ終わらないと…(笑)

 

取り上げてきたのは、

沖田総司結束信二お雪、そして

「和泉守兼定」にも。

 

 

沖田総司は、新選組の中でも、人気No1の人物。

特に、女性に圧倒的にファンが多いと思われます。

ただし、これは数十年前の私の印象で、

現在は、異なっているかもしれません。

 

結束信二は、TV、及び映画の時代劇脚本家です。

(新選組隊士ではありません)(笑)

1970年放映のTV映画も、氏の健筆によるものでした。

 

お雪は、司馬遼太郎が創作した、

土方歳三の恋人。

 

「和泉守兼定」は昨今、有名になりました、

土方歳三が愛用していた刀です。

物語のタイトル『燃えよ剣』の「剣」、

それこそが、この「和泉守兼定」であり、

彼の信じるものの全てが、この刀に象徴されていたわけです。

 

 

さて、新選組のトップといえば近藤勇

 

時代劇のテーマといえば、勧善懲悪とされ、

正義と悪の対立の構図が、はっきりしているし、

新選組は決まって「悪者」の部類。

そんな中でも、近藤に限っては、

肝の据わった、いわば“親分肌”的な性格付けを

されていたことが多かったと思います。

 

例えば、

“土方はヒドいやつだが、近藤は話せばわかる人物”

っていった風です。

憎まれ者の土方歳三に対し、

“理想の上司”的な(いい例えではないかもですが)近藤勇。

 

しかし、土方歳三に違った角度からスポットを当てることにより、

そんな既成概念を壊し、

とてつもなく魅力的な人間として、イメージを一新させたのが、

司馬遼太郎でした。

 

つまり、

事実上、新選組を創設し、また運営していたのは、

局長の近藤勇ではなく、

副長の土方歳三であったと。

司馬はこう語ったことがあります。

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~~~~~

「局長に近藤勇。実際の指揮は副長土方歳三がやっていた。

あの当時の新選組はヨーロッパの近代軍隊の組織に似ていたんだョ。

それには土方の下に副長助勤という将校がしっかりとしていた。

ところがその“助勤”という肩書の役職など当時は珍しかった。

しかし、その将校群がよほどガチッとしていないと、軍は強くならない。

土方はそれをどこで学んだのか…」。(引用終了)

~~~~~~~~司馬遼太郎氏指摘していた?SANSPO.COM

 

土方歳三の西洋式軍事理論は、

当時、京都守護職を任ぜられていた会津藩を通じて、

会得したもの、といわれたり、

あるいは、京都町奉行にして蘭学の達人:永井尚志からであろう、

という説もあるようです。

 

ただ、なにより大きかったのは、

彼自身の、生まれもった「喧嘩師」の才能なのでしょうね。

 

 

ところで、

1970年のTV映画で近藤勇を演じていた俳優が、舟橋元

いい役者でしたね。

武州三多摩の農村の出自という、

(注:苗字帯刀が許されていた階層の農民でした)

近藤のいかにも“田舎武士”的な人物像を、よく体現していました。

 

実際の近藤は、土方より年令が一つ上の兄貴分。

TVではその近藤が、難しい局面に立たされたときはいつも、

 

「歳(とし)さん、どうする?」と

 

栗塚旭が扮する土方に話しかけていたのをよく覚えています。

 

                      (つづく)(文中敬称略)

 

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2020年12月31日 (木)

忘れようとして(48)~新選組副長:土方歳三~その7~お雪みたび

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(前回からのつづきです)

 

では、歳三が涙を見せた場面を、もうひとつ見てみましょう。

 

 

前回記事より2年後の1869年(明治2年)、

土方歳三は蝦夷の地に。

そして、

五稜郭に司令部を置く“函館政府軍”の下で、

官軍との戦いに明け暮れていました。

 

そんな戦時の際に、信じられないことが……。

なんと、お雪がはるばる江戸から歳三を訪ねてきたのです。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

背後が、しんとした。

お雪の小さな心臓の音まできこえるようであった。

「来ては、いけなかったでしょうか」

「…………」

歳三は、ふりむいた。

まぎれもなくお雪がそこにいる。右眉の上に、糸くずほどの大きさで、

火傷(やけど)の古いひきつりがあった。

歳三が、何度かその唇をあてた場所である。

それを見確かめたとき、不覚にも歳三は、ぼろぼろ涙がこぼれた。

「お雪、来たのか」

~~~~~~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『再会』より

 

歳三は背後にお雪が現れた気配を感じますが、

素直に振り向くことができません。

 

もちろん嬉しいには決まっていますが、

現実にお雪を眼前にしたら、自分がどうなってしまうか、

見当がつかない。

そのことが怖かったのですね。

 

ですから、窓の外を見ながら。

そこから見える函館湾の景色の説明を

喋りつづけていました。

 

そして、

歳三は後ろを振り返りますが―その瞬間、

とめどなく涙を流してしまいます……

 

 

前回と今回、

“鬼の副長”と恐れられた歳三にとって、

「涙」は最も似つかわしくないものでしょう。

その土方歳三が泣いた場面

―両方のシーンにお雪が係わっていました―

をご紹介しました。…

 

 

司馬遼太郎の原作を読んでいただければ、

なぜ、二人がこのような激しい愛の渦中に

身を投じることになったのか、

そのあたりの“輪郭”が、見えてくると思いますので、

あらためて、御一読をオススメいたします。

 

 

さて、お雪がどんな女性だったか…

それを探るために、二人の出逢いにまで遡ってみましょうか。

 

ある雨の夜のこと。

歳三が一人で壬生の新選組屯所へ帰るときに、

4-5人の討幕派浪士から襲撃を受けたのです。

2名は斬り倒しましたが、その後、逃走をはかります。

(負ける喧嘩はしないのが真の「喧嘩師」なのです)

なんとか逃げおおせたものの、

左腕、右脚のもも・甲に傷を負いました。

とりあえずの止血と手当てのために、

偶然飛び込んだ民家に居た女性が

お雪だった、というわけです。

 

この女性の人となりが巧みに描出された部分を読んでみます。

 

手傷を負った見ず知らずの男が、夜遅く転がり込んできたというのに、

お雪は落ち着いていました。

 

(武家の女か)

 

歳三はすぐさまそれを悟ります。

応急の手当は自ら施しましたが、

彼の着物は刀に切り裂かれ、また、雨と血で汚れきっている。

そんな歳三に、

お雪は、羽織・袴・襦袢まで用意して差し出すのです。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「それは、ご好意だけ頂戴しておく。

 まだ血がとまらぬというのに、せっかくお大事のお品を

 汚(けが)しては申しわけない」

歳三は褌一つ、晒でぐるぐるしばりの姿のまま、大小をつかんで立ちあがった。

「そのまま、御帰陣なさいますか」

新選組副長ともあろう名誉の武士が、といった眼の表情である。

「お召くださいまし」

うむをいわせず、命ずるようにいった。

~~~~~~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『お雪』より

 

 

“ポイント”は最後の

お召くださいまし」―ですね…

新選組の鬼副長に指図するとは、なかなかの人物です(笑)。

 

お雪が京に来て以来、彼の噂はよく耳にしていましたが、

実際に遇ってみると、そんな噂とは、

全くかけ離れた人物でした。

 

一方の歳三も、お雪のことを

“肚のすわった女性”であること、

また、なによりも話す言葉や顔立ちから、

江戸の出であることが見てとれ、

それが歳三には懐かしかったのです。

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼▽▼△▼△▼

 

このお雪を1970年のTV映画で演じていたのが

磯部玉枝という女優でした。

丸顔で、魅惑的な大きな眼が特徴。

 

…なんて書きましたが、どなただったかすっかり忘れていまして、

本稿を書くにあたり、あわてて調べた次第です(苦笑)。

 

このたびの映画では、

柴咲コウが抜擢されています。

“個性派”の彼女が扮するお雪には、興味が尽きません。

芯が強く凛とした感にあふれる彼女ならば、

まさに適役ではないですか!

 

(つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

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2020年11月28日 (土)

忘れようとして(47)~新選組副長:土方歳三~その6~お雪ふたたび

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(前回からのつづきです)

 

「鬼の目にも涙」と申しますが、

“泣く子も黙る” 新選組の副長、土方歳三

涙を見せた場面の一つ目を原作から読んでみます。

長い引用になりますが、ご容赦のほどを。

 

1867年(慶応3年)10月に

徳川慶喜は将軍を辞することを天皇に伝えました。

いわゆる大政奉還

12月には新選組は京を離れ、伏見へ向かうことになります。

 

そして京を去る最後の日……。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

幹部で屯営に残ったのは、副長の歳三と病床の沖田総司だけである。

「今夜はお前の看病をしてやるよ」

歳三は、沖田の病室に机をもちこみ、手紙を書いた。

お雪さんへですか」

沖田は、病床からいった。

「私はまだお会いしたことはないが、沖田総司からも、

お達者を祈っていますと書きそえてください」

「うん。―」

歳三は、瞼をおさえた。

涙があふれている。

京への別離の涙なのか、お雪への想いがせきあげてきたのか、

それとも沖田総司の優しさについ感傷が誘われたのか。

歳三は泣いている。

机へつっ伏せた。

 

沖田は、じっと天井をみつめていた。

(青春はおわった。―)

そんなおもいであった。京は、新選組隊士のそれぞれにとって、

永遠に青春の墓地になろう。

この都にすべての情熱の思い出を、いま埋めようとしている。

歳三の歔欷はやまない。               (この章 完)

 

(筆者注:歔欷【きょき】=「すすり泣き」の意)

~~~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『大暗転』より

 

 

明けて慶応4年の1月に、あの鳥羽伏見の戦いは勃発しますから、

まさに“開戦前夜”の出来事ですね。

 

歳三が誰に宛てた手紙を書いているか、

沖田にはすぐに分かりました―

「わたしからも、お達者を祈っていますと…」

は、いかにも人の好い沖田の言いそうなセリフです。

 

 

(青春はおわった。―)

歳三もおそらく、同じ想いだったのでしょう。

 

 

作者の司馬遼太郎ですが、この『大暗転』の章だけは、

これまでの歳三と全く違った面を描きつつ、

小説全体から見ても、珍しく感傷的に過ぎるラストシーンを、

採用しました。

 

 

“俺の恋も終わった、いや、それどころか、

いよいよ明日の命さえもわからなくなってきた…“

 

一瞬、涙にくれた歳三ですが、

以下の章(『鳥羽伏見の戦い・その1』)では

「この戦さは勝つ」と言わせしめているのです。

 

やはり土方歳三、

この男、ただ者ではありません。

                                                         (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

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2020年10月31日 (土)

忘れようとして(46)~新選組副長:土方歳三~その5~お雪

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(前回からのつづきです)

 

映画及びコミックの『鬼滅の刃』が

空前のヒットを記録しているようですが、

ついこの前までは、TVドラマ『半沢直樹』が

話題の中心でした。

いやはや、流行の変遷は激しいものです(笑)。

 

私は、めったにTVを見ることはないのですが、

途中から見始めた7年前の第1シリーズが面白かったので、

今回は初回からしっかりと拝見。

出来としては、前回作のほうが良かったとは思います。

でも、今シリーズもしっかりと楽しませていただきました。

 

ただ、最終回、

正論を堂々と語る半沢直樹に喝采を叫んだ国民が、

今もなお、現内閣に多くの支持を与え続けている

この現状だけは、どうにも、腑に落ちない。

 

  

それはさておき、

1シリーズに続いて、第2シリーズでも、

男性視聴者のほぼ100%は、

“あんな嫁さんがいたらいいナー”ってつぶやきながら

上戸彩さん扮する、半沢直樹の妻、

半沢 花に見とれていたのではないでしょうか。

 

ちょっと“天然”で、それでいて頭の回転が速く、

直樹の考えていることは、ぜ~んぶお見通し、のような人物ですね。

まったく男性にとって、「理想の配偶者」ではあります(笑)。

 

半沢 花のドラマ中での“名セリフ”がこんなのでした。

 

もうがんばらなくていいよ。

直樹はもう、十分過ぎるくらいがんばった。

 

生きてればなんとかなる。----

生きていれば、なんとかね。

 

 

いいですねー

こんな言葉、一度でいいから、かけてもらいたい(爆)

 

本題に戻ります。

『燃えよ剣』において、土方歳三の恋人として登場するのが、

お雪という女性です。

 

もう何年も前のこと、ネットを見ていましたら、

このお雪について書かれた文章が何件もありまして、

その多くが、“お雪こそが理想の女性”などと

熱い想いを綴られていました。

 

言うなれば、

むかしお雪、いま半沢 花

といったところでしょうか(笑)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

さてお雪は、昨年4/6の記事にて書いたとおり、

司馬遼太郎が創作した人物。

彼女の設定を簡単に。

江戸の生まれで、25-26歳、

京の警備を命ぜられた武士の妻であった。

“あった”というのは、ほどなく夫が病死したため。

 

そんなお雪と土方歳三は、

ある事件をきっかけに、運命的な出会いを果たし、

互いに惹かれ合っていきます。

 

 

ときに、思い返してください、

小説『燃えよ剣』を通じて、

“鬼の副長”である土方歳三が泣いた場面なんて、

そうそう無かったのではないでしょうか?

 

まあ、回数を数えながらもう一度読んでみるのが

一番良いには違いないのですが、

曖昧な私の記憶(苦笑)によると、

土方が涙を見せたのは2回、しかも、

そこにはいずれも、お雪が関係していました。

 

                     (文中敬称略)(つづく)

 

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています。

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2020年9月30日 (水)

忘れようとして(45)~新選組副長:土方歳三~その4~京から江戸へ

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(前回からのつづきです)

 

土方歳三は、

名刀、「2代目:和泉守兼定(通称之定(=ノサダ))」と共に、

幕末の激動期を駆け抜けていきます。

 

(前回も書きましたが、「ノサダ」を土方に持たせたのは

司馬遼太郎のフィクションです)

 

文字通りに、

和泉守兼定に己と、新選組の命運のすべてを託したわけです。

 

ただ、皆様もご存じのとおりに、

幕末においては、戦いにおける武器の“主役”が、

既に、刀剣から鉄砲に変わっていました。

 

もちろん、土方歳三は、

天才的な「喧嘩師」でありますから、

積極的に西洋の軍事論を取り入れていきました。

当時、幕府側についていたのは、フランスでしたから、

(薩長を支援していたのはイギリスでした)

土方もフランス式軍学を、幕臣たちを通じて、

身につけていったようです。

 

鳥羽伏見の戦いの火蓋が切って落とされる直前の

土方歳三を、司馬遼太郎が描いている場面があります。

 

~~~~~~~~~~~~~~

(あれから、四年か)

わずか、四年である。しかし長州の軍備は一変した。

この攘夷主義、西洋ぎらいの長州藩が、

幕府から第一次、第二次征伐をうけているあいだに、

藩の軍制を必要上、洋式に切りかえた。

京都の薩摩、土佐の部隊も、この長州とおなじ装備である。

(どうやら、世界が変わってきている―)

歳三は、眼のさめるおもいで、かれらの軍容を見おろしていた。

~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『伏見の歳三』より

 

機に臨み変に応ず―

「喧嘩に勝つ」という目的のためには、

徹底した合理主義者であった土方歳三。

火器云々の話はもちろんではありますが、

“所詮、喧嘩は人間のやること、

ならば、最後はその人物の肚のありようで決する”

司馬遼太郎は、この小説で

そういうことを言いたかったのだと思います。

 

7/31の記事にて、ご紹介した章のつづきから、

歳三の言を読んでみましょう。

 

~~~~~~~~~~~~~~

「刀とは、工匠が、人を斬る目的のためにのみ作ったものだ。

刀の性分、目的というのは、単純明快なものだ。

兵書とおなじく、敵を破る、という思想だけのものである」

~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『大暗転』より

 

 

さて―

“この戦(いくさ)は勝てる”

そう考えて、鳥羽伏見の戦いに臨んだ土方歳三でしたが、

幕府軍は、まさかの敗北を喫します。

 

土方は、狙撃に遭い大ケガをした近藤勇

結核に侵された沖田総司らと共に、

京を離れ、江戸へと敗走していきました。

 

もちろん、土方の腰にあるのは、

「ノサダ」こと、和泉守兼定。

江戸へと向かう船中では、

土方は、なおも薩長軍を破る自信を持っていたのではないか―

とは、私の想像です。              (つづく)

 

 

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています。

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2020年8月31日 (月)

忘れようとして(44)~新選組副長:土方歳三~その3~和泉守兼定・パンデミック

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(前回からのつづきです)

 

一度はやや収まったように見えた新型コロナウイルスですが、

最近、再びその猛威を発揮しつつあります。

このウイルスの特性、ということもあるでしょうが、

何よりも政府の対応のマズさが目につきますね。

そんな中、8/28に安倍首相が辞意を表明しました。

この件についても、触れねばとは思いますが、

それでは本稿が進まない(苦笑)。

 

ちなみに、ですが…

実は、新選組誕生に、少なからず影響を与えていたのが、

現在のコロナウイルスと同様の、

“パンデミック”であったということを書いておきましょう。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

近藤勇土方歳三も歴史の子だ。

しかも幕末史に異常な機能をはたすにいたったことについては

妙な伏線がある。

麻疹(はしか)と虎列刺(コレラ)である。

この二つの流行病がかれらを走らしめて

京都で新選組を結成させるにいたった数奇は、

かれら自身も気づいていまい。

(中略)

沖田の報告では、江戸の町々はどの家も雨戸を締め切って、

往来に人がなく、死の街のようになっている。

夏というのに両国橋に涼みに出かける者もなく

夜舗(よみせ)も立たず、花柳街(いろまち)も、

吉原、岡場所をとわず、

遊女が罹患しているために店を閉めて客をとらない。

第一、湯屋、風呂屋、髪結床といった

公衆のあつまる場所にはいっさい人が寄りつかず、

このため、江戸の男女は垢だらけになり、

地虫のように屋内で息をひそめている。

~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『疫病神』より

 

司馬によれば、

「はしか」はこの年(1862年)の正月ころ、

長崎に入港した異国船が持ち込んだものらしい。

一方、「コレラ」は、今回が日本では3度目の流行だったという。

 

 

上の文を読めば、“パンデミック”に見舞われた社会の状態は

“時は変われど、人は変わらず”、

まるで現在と一緒ですね。

 

こうなりますと、江戸で天然理心流の剣術道場を開いている

近藤勇としては、その経営が成り立たない。

道場の門人といっても、武士は一人も居ません。

若旦那、旗本の中間部屋の連中、博徒、寺侍等々といったたぐいですから、

10月頃になって疫病が下火になったからといっても、

一度離れた門人は、帰ってはこないのです。

 

このことが、近藤勇に、道場経営に見切りをつけさせ、

京都の浪士隊への応募に向かわせた一因であろう…、と。

 

 

話を戻しましょう。

 

土方歳三の佩刀、和泉守兼定は、

東京:日野市の土方歳三資料館に残されています。

江戸時代の刀工:11代目の作刀によるもので、

幕末に、京都守護職を務めていた

会津藩主:松平容保から拝領したものである、

というのが通説です。

 

しかし、司馬遼太郎は、そこに独自のフィクションを加えました。

 

同じく「和泉守兼定」には違いないのですが、

2代目:和泉守兼定(通称之定(ノサダ))」を、

土方に持たせたのです。

 

「ノサダ」は室町時代の名刀中の名刀とされ、

農民あがりの土方歳三が、逆立ちしても

手に入れることなど、とても出来ないはず。…

(これは沖田総司と、菊一文字の関係と同一ですね)

 

土方が「ノサダ」を手に入れる経緯を、

司馬遼太郎がどういうプロットを駆使して、描いているか

ぜひとも原作本を開いていただきたい。

 

 

1970年のTV映画では、この場面は

第一話に登場していたようです。

盲目の刀剣商の老人に扮していたのは、

かの名優:加藤 嘉

あの映画『砂の器』(1974年 野村芳太郎監督)の

父親役で有名な方です。

 

なんて、エラそうに書きましたが、

具体的にどのようなシーンであったかなど、訊かないでください、

これまた、完全に忘れ切っておりますので(笑)。

そこでこの老人のセリフを、小説から引用しておきましょう。

 

~~~~~~~~~~~~~~

わざわざ和泉守兼定をさがしているというこの浪人が、

盲人の勘で、ただものでない、と思ったというのである。

 

「数百年間、この刀はあなた様に逢いたがっていたのだろう。

手前には、なんとなくそういうことがわかります。

五両、それがご不満ならさしあげてもよろしゅうございます。

お嗤いなさいますか。道具屋を五十年もしていると、

こういう道楽もしてみたいのさ」

~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『浪士組』より

 

 

前回、この「和泉守兼定」が『燃えよ剣』のもうひとつの主役、

などと記しましたが、

それにはこのTV映画冒頭の

タイトルバックの印象が大きかったと思います。

栗塚旭の顔半分と刀(真剣)のアップ、

それに『燃えよ剣』の4文字を重ねたところで、

ストップモーション!

更にこの写真は、一話毎に数回あるCM明けにも使われていましたから、

そのインパクトたるや強烈至極。

 

また、土方が自室に籠り、ただ一人で和泉守兼定を抜いて

無言で見つめている―そんなシーンも幾度となくあったように思います。

 

いかにも剣に生き、剣に殉じた土方歳三を象徴していました。

 

                            (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています。

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2020年7月31日 (金)

忘れようとして(43)~新選組副長:土方歳三~その2~和泉守兼定

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(前回からのつづきです)

 

忘れようとして(42で、

 

 

「総司、みろ、雲だ」「雲ですね」

 

 

という、まるで漫才のような(笑)

土方歳三と、沖田総司の二人の会話をご紹介しました。

今回も同じような場面から始めてみます。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

と、ぎらりと剣をぬいた。

和泉守兼定、二尺八寸。すでに何人の人間を斬ったか、

数もおぼえていない。

「これは刀だ」

といった。歳三の口ぶりの熱っぽさは、相手は沖田と見ていない。

自分にいいきかせているような様子であった。

「総司、見てくれ。これは刀である」

「刀ですね」

仕方なく、微笑した。

~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『大暗転』より

 

 

前回記事の、京の四条大橋のシーンから2年後、

慶応311月のこと。

15代将軍:徳川慶喜は大政奉還を朝廷に奏上している。

そしてこのとき、沖田総司は、結核のため病床に。

 

 

『燃えよ剣』ファンには、印象的な場面だと思います。

なぜなら、この直後に、

土方歳三のあの有名なセリフが登場するからです。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~

(中略)

と、沖田はちょっとだまってから、

「新選組はこの先、どうなるのでしょう」

「どうなる?」

歳三は、からからと笑った。

どうなる、とは漢(おとこ)の思案ではない。

婦女子のいうことだ。

おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ

~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『大暗転』より

 

 

2020年の今日から見ますと、

さすがにジェンダー論からは問題もありそうなフレーズですが、

土方歳三の生き方を端的に表しているといえます。

 

 

9年ほど前、

ミュージカルの『サウンド・オブ・ミュージック』について

ブログに書いたことがあります。

 

そのとき、

(『サウンド・オブ・ミュージック』を直訳すれば

『音楽の調べ』となるように)

「ある意味、このミュージカルの最大の主役は『音楽』です

と、記しました。

 

それに倣うと、

『燃えよ剣』に別の主役があるならば、それは『剣』である

ともいえましょう。

 

上にありますように、その剣こそが

「和泉守兼定」。

 

 

土方歳三が実際に使っていた

この「和泉守兼定」は、現存しています。

展示 | 歳三の生家 土方歳三資料館|東京都日野市

 

                          (つづく)

 

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはWikipediaへのリンクを貼っています。

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2020年6月30日 (火)

忘れようとして(42)~新選組副長:土方歳三

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岡田准一主演の、映画『燃えよ剣』製作にあたり、

1970年のTV映画『燃えよ剣』の回想を主に

このブログのシリーズを開始しました。

 

これまで新選組:一番隊組長の沖田総司について7回ほど費やし、

あと、脚本の結束信二、また、

殺陣師:上野隆三にも触れてきました。

 

さて、いよいよ『燃えよ剣』の主役、

新選組副長:土方歳三にテーマを絞る訳ですが、

司馬遼太郎がこの『燃えよ剣』を発表する以前は、

土方歳三というと、

局長:近藤勇の“添え物”的扱いが普通だったと思います。

 

映画・TVの新選組のライバル、といえば鞍馬天狗ですが、

たとえば、京の五條坂での対決シーンなどでも、

近藤勇は、居並ぶ土方や隊士を制し、

「土方君、手出しは無用である」

と言って、愛刀の「虎徹」を抜き放ち、ただ一人鞍馬天狗に相対する…

 

といったように、

“撃剣の名手”“悠然たる貫禄”“行動力のあるリーダー”、

それらが近藤勇であり、

まさに、「新選組=近藤勇」の図式は確固たるものでした。

 

その一方、土方歳三はというと、

“陰湿な策士”といったイメージがつきまとっていたのですが、

司馬遼太郎は、全く違った面から、この土方にスポットを当てることにより

新しい“土方像”の描出に成功しました。

 

 

さて、その“土方像”なのですが、過去7回書いてきた

沖田総司と対比してみることが、

ある意味、手っ取り早い方法といえます。

(この手段は、あくまでフィクションが素材ですので)

 

 

『燃えよ剣』の原作本を読み返していて、

 

“あ、こんなシーン、あったかも…”と思った箇所がありました。

 

~~~~~~~~~~~~~~

沖田総司を連れて、祇園の料亭へゆく途上四条橋の上で、

夕映えに染まった秋の雲いくきれかが、しきりと東へ行くのを見た。

「総司、みろ、雲だ」

「雲ですね」

沖田も、立ちどまって、見上げた。(中略)

「句が出来た」

と、歳三はいった。豊玉(注:土方の俳号)宗匠にしては、

ひさしぶりの作である。

「愚作だろうなあ」

沖田はくすくす笑ったが、歳三はとりあわず、懐ろから句帳をとりだして

書きとめた。

沖田は、のぞきこんだ。

 

  ふるさとへむかつて急ぐ五月雲

 

「おや、いまは十一月ですよ」

「なに、五月雲のほうが、陽気で華やかでいいだろう。

秋や冬の季題では、さびしくて仕様がねえ」

「なるほど」

沖田は、だまって、歩きはじめた。

この若者には、歳三の心境が、こわいほどわかっているらしい。

~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『四条橋の雲』より

 

 

1970年のTV映画『燃えよ剣』においては、

俳句を詠むシーンはなかったと思いますが、

「総司、みろ、雲だ」に対する、沖田総司の

「雲ですね」という、まるで漫才のような場面はあったと思いますね。

 

なんともいえぬユーモアと、口には出せない切なさ…

間違いなく名場面のひとつです。

 

時は慶応元年の秋。

京の状況は、風雲急を告げています。

おそらくこのとき、二人とも同時に、

江戸の道場のこと、あるいは、

故郷の武州三多摩の風景を脳裡によみがえらせていたのでしょう。

 

(つづく)(文中敬称略)

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版から引用しました。

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2020年5月31日 (日)

忘れようとして(41)~「燃えよ剣」は忘れてはいませんので。

映画『燃えよ剣』は、このようなコロナ禍により、

当初5月公開の予定でしたが、延期となっています。

 

ただ、前回の記事(“やむにやまれず”アップしました)(笑)

に書いた「緊急事態宣言」は、

5/31現在、解除されておりますので、

入場者数等を抑制しつつ、近日の封切りになると思います。

 

この緊急事態宣言をめぐる与野党双方の動きには、

どうも合点のいかぬところが有りますし、

コロナを除いて政局を見渡しても、

とてもマトモな政治が運営されているとは、

お世辞にも言えません。

 

とはいえ-----

拙ブログのテーマも、『燃えよ剣』に戻して、

出来るだけ早く、“ゴール”に辿り着きたい、とは考えております。

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