2024年1月31日 (水)

忘れようとして(64)~統一教会と木原事件が最重要。

「戦艦『大和』反転の真相」のつづき、の前に少しだけ・・・

忘れる前に、書いておきます。

 

自民党の政治資金パーティーをめぐっての

“裏金疑惑”の捜査は、

文字通り「大山鳴動、ネズミ一匹」の状態で終了しました。

 

エックス(旧ツイッター)では、

#検察がんばれ」の文字も踊っていましたね。

ただ、今回の結果はほぼ想定どおりでした。

(「ほぼ」と書いたのは、“五人衆”の内、一人くらいは----と)

 

というのも、伊藤詩織さんの事件、

名古屋入管でのウィシュマさん死亡、

袴田事件の再審のことなどを思い出せば。

 

おっと、森友学園と桜を見る会もありました。

そのような流れの中、

まさか検察が豹変するとも思えません。

 

まだ検察審査会という段階が残っていますが、

庶民にはやり切れない思いがつのるばかりの今日この頃です。

 

 

よく聞かれた言葉に、

「政治にはカネがかかる」というのがありますが、

私流に申せば、

“それは『本末転倒』である”といえます。

 

なぜか。

 

「政治にカネがかかる」と云うと、

政治が「目的」で、カネが「手段」なのですが、

現在の政治家連中のホンネは、

カネが「目的」で、政治は「手段」に過ぎないのです。

 

殆どの議員どもにとっては、

“国民の生活”とか、“国家の将来”などは、二の次・三の次であり、

むしろそれらは、自身の蓄財のための方便でしかない。

 

要するに、「政治家」ではなくて「政治屋」。

我が国に、二世・三世議員が多い理由がこれで判りますね。

 

政治資金規正法を変えるにしても、

「政治屋」どもにマトモな法改正ができるハズがありません。

なぜなら、泥棒が巡査を兼ねているのと一緒だからです。

 

また「派閥をなくす」云々には、興味はありません。

決してなくならないでしょう。

 

 

忘れぬうちに、まとめておきます。

~~~~~~~~~~~~~~

  1. 派閥などどうでもいい。また、なくならない
  2. 泥棒が巡査を兼ねている連中の作る法律は、抜け穴だらけ
  3. なにより、カネが第一目的のヤツらばかりが議員をやっているのだ、                               そこから改めないと解決が無い。

~~~~~~~~~~~~~~

 

そんなことより、私が最も問題にしたいことといえば----

ひとつは、旧統一教会のこと。

自民党は、どうしても、ココと縁を切る気はないと見えます。

 

旧統一教会は日本の政治の骨格も、方向性も歪めてしまっている、

そう私は判断しています。

 

ついでに----

これは私の妄想ですが、

今回、検察にアゲられた会計責任者・秘書等の人たちは、

統一教会から送り込まれたのではないか。

だって、議員、または会計責任者のどちらか、または両者が

それぞれを相手取って訴訟を起こしても、なんら不思議ではないでしょ。

双方ともおとなしくしているのは、不自然でしかありません。

 

あとひとつは、木原事件。

週刊文春のみが報じているのですが、

他のマスコミは、ずっと口をつぐんだままです。

これは張本人たる木原氏の事件性もさることながら、

メディアの姿勢こそが問われていることでもあります。

 

はっきり言って、政権への忖度。

 

“第四の権力”といわれるマスコミのだらしなさが、

権力の暴走(特に安倍政権以降)を許してしまい、

さらに、司法・検察すらも、

政権におもねるだけの組織になってしまいました。

 

と、ここまで書いてきて、

やはり最大の課題は、

私たち国民の側にあります。

韓国国民や、フランス国民を見習って、

もっと怒りの声を上げねばなりません。

 

今年は総選挙がありそうな予感がしているのですが、

まずは、棄権をせずに、

自民、国民民主、維新、公明(自国維公=地獄いこう)には

投票しないこと。

 

現在の岸田内閣の「支持率20%台」は、

あまりにも高過ぎます。

私ならどう見ても、ひとケタ以下の代物。

今年は「考えて行動する有権者」を心がけましょう。

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2023年9月30日 (土)

忘れようとして(63)~ジャニーズ事務所の件ですが

「戦艦『大和』反転の真相」のつづき、の前に少しだけ・・・

忘れる前に、書いておきます。

 

~~~~~~~~~~~~

くだらねえな、どのTV #ジャニーズ 事務所の会見ばっか。これを #体制翼賛 TVの見本という。それより、なぜTV局が当初この事件を無視してきたのか、そっちのほうが大問題。社長が代わろうが、社名が変更されようが、枝葉末節。#東山紀之 #藤島ジュリー景子

 

9/3の #サンモニ(#TBS)でも #ジャニーズ 事件に対し局の姿勢を言ってたが、ならば #松野官房長官 の #関東大震災 の直後に起きた #朝鮮人 殺戮について「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」との発言をスルーするか?当日の特集「関東大震災から百年」だったんだぞ!

~~~~~~~~~~~~

 

以上、9/7tweetしたつぶやきです。

あ、現在は“ポスト”って言うのですね。

時間を置いて、もうひとつのポスト。

 

~~~~~~~~~~~~

#NHK は当時この問題について認識が薄く、その後も取材を深めてニュースや番組で取り上げることはありませんでした」嘘!#木原官房副長官 の問題を取り上げないのもそうなの?#ジャニーズ 事務所及び、政権への忖度。#松野官房長官 の #関東大震災 に関する発言も酷い。

~~~~~~~~~~~~

 

さて、あの「大政翼賛会的TV中継」(TV東京のみ別路線w

から、数日経ちましたが、

「大山鳴動して鼠一匹」状態であると私は思っています。

 

ジャニーズ事務所は、大きく改革されるとは思えない。

メディア側も、今後の報道姿勢が変化するかといえば、それも「No」である。

 

まず、ジャニーズ事務所について。

社長は替わりましたが、藤島ジュリー景子氏の「院政」は続くと思います。

彼女が株式を保有し続けるというのもその一因。

東山紀之氏に、会社経営の実務はありません。

が、会見の席上、「性加害者」の一面があったらしい、ということが

暴露されてしまったのは、皮肉なことでした。

 

そしてメディア側の問題。

三つ目のtwNHKが出したコメントを引用しましたが、

たぶん、他のTV局も似たりよったりのことを発表するのでしょう。

 

“当時この問題について認識が薄く”というのは大嘘で、

要するにジャニーズ事務所側から、

「貴社にはウチのタレントは出演させない!」

そうなることを恐れて、報道してこなかった、

それが本当の理由のハズです。

 

それは、NHKのみならず他の民放各局も同じこと。

ジャニーズに縁を切られたら、

あらゆる番組(バラエティー・音楽・ドラマ)が

制作出来なくなってしまいます。

そのことを怖れて、ジャニー喜多川を批判できなかった―

これが正解。

 

今ではどうでしょう、

ジャニーズ事務所のタレントのCM打ち切り等が相次ぎ、

まさに、「バスに乗り遅れるな」----

 

―この言葉は、日本がドイツ・イタリアとの三国同盟を

締結する直前の頃、つまり1940年に

日本国内で軍部を中心に、国民全体にも沸き起こった流行語だそうです。

つまり、“欧州戦線で勝ちまくっているナチス=ドイツと手を組もうじゃないか”

ということ。

この「三国同盟」が英米との開戦の原因の一つとなったのは、

皆様、ご存じのとおり。―

 

ジャニーズ事務所を支持する気持ちは

1ミリもありませんが、CM打ち切り等の連鎖を見ていると、

この「『バスに乗り遅れるな』状態」を思い出してしまいました。

あたかも“熱病”のように、

人々が一斉にある方向へ走り出してしまうことには、

十分な注意が必要です。

 

ところで、TBSNHKが今回の件

―以前にもブログに書きましたが、

30年も前から故北公次氏がその著書で

ジャニー喜多川の犯罪を明らかにされていました―

で、コメントを出しているようですが、

私は、まったく信用していません。

 

BBCの報道以後、かなり時間をおいて、

ようやく各局がジャニーズ事務所に対し、

批判の声を上げ始めましたが、その一方で----

たとえば、木原元官房副長官の疑惑については、

TV・ラジオ・新聞、いずれもその報道は皆無なのです。

 

だが、ジャニーズ事務所はとにかく叩く、

「バスに乗り遅れるな」の風潮の如く、一斉に叩く。

 

 

BBCの報道を待つまでもなく、

特に芸能関係のTV番組製作者の多くは、

ジャニー喜多川の事件を周知していたと思われます。

なぜ、“これは犯罪では”と

声を上げなかったのか、または上げられなかったのか。

そこが重要なポイントです。

 

同様に、木原元官房副長官の疑惑についても、

なぜ、“この事件はおかしいよね”と、

報道しないのでしょうか。

あるいは報道できない事情があるのでしょうか。

 

更に、驚くべきことに、今頃になって、

渋谷のNHK放送センターの内部に、

ジャニー喜多川専用の“リハーサル室”があった

ということが判明しました。

更に、同様の部屋はテレビ朝日にも

六本木の旧社屋時代にあったというのです。

 

9/7のNHKの声明が、

いかに嘘にまみれたものであったことかが、判明しました。

 

―こうなると、東京キー局すべてに

同じような施設があったのでは?と想像してしまいます―。

 

 

10月のジャニーズ事務所の2回目の会見より大事なのは、

メディアは、これまでの、

ジャニーズ事務所に対する誤った対処を、公開・猛省すること。

 

同時に、木原疑惑の事件に象徴されるように、

安倍首相時代より殊に顕著になった

政権への忖度・自主規制の体制を改め、

「権力の監視役」の立場を守ること。

 

が、なにより、

有権者=国民が、もっとしっかりしないとね・・・

ということになるのですが。

私は、総選挙は近いのでは、と予想していますが、

自民・公明・維新・国民民主には決して

投票しないことですね。

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2022年2月27日 (日)

忘れようとして(62)『燃えよ剣』~新選組副長最後の命令。

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(上の写真は1972年発行の新潮文庫版)

 

(前回からのつづきです)

 

市村鉄之助は実在の隊士」と前回書きました。

司馬遼太郎は、『燃えよ剣』の終わりに近い部分に、

「小姓市村鉄之助」の一章を設けています。

 

市村鉄之助のWikipediaを開いてみますと、

生没年は1854-1873年(1877?)とあります。

短い生涯でありました。

 

1867年の新選組の隊士募集で

兄の辰之助(「鋠之助」の表記もあり)と共に14歳で入隊。

当然、鉄之助はあまりに若過ぎる年齢だったのですね。

『燃えよ剣』を読みますと、歳三は、

「お前は沖田総司に似ている」という理由で、入隊を許可した…

と描いています。

(局長:近藤勇は、当時狙撃を受け、重傷を負っていたので

新選組は、歳三の指揮下にありました)

 

そして、若い鉄之助を病床にある沖田の看護役に付けました。

このときの、鉄之助と沖田、

そして歳三との三人の間に交わされるやりとりが、

実に面白くもあり、そしてまた悲しくもあり…。

 

新選組ファンとしては、

小説の舞台は既に北海道、残り頁も少なく、

“終点”に近くなっているのですが、

こうして再び、(既に亡くなっている)沖田総司に再び遇えることが、

嬉しくてたまらないのです()

(司馬遼太郎のサービス精神もあったのでしょう)

 

 

さて、TV映画の『燃えよ剣』の歳三は、

忘れようとして(54)にて書きましたように、

 

斎藤君、これは新選組副長の命令である。江戸へ帰れ

 

と言って斎藤一を逃がしました。

そして、原作本ではどうだったか、といいますと、

土方は、五稜郭から、お雪と一緒に、

市村鉄之助をその警護役として帰していました。

 

 

何度も繰り返しますが、お雪は架空の人物。

されば、鉄之助は一人で北海道を出たのでしょうか?

 

実は、二人。

 

鉄之助ともう一人、それは、

同じく新選組隊士であった、渡辺市造という人物。

彼は、鉄之助とほぼ同年代の若い隊士で、

歳三との“地縁”がキッカケで入隊したらしいのです。

両名とも、一番隊、二番隊等々ではなく、

「両長召し抱え」即ち、近藤・土方直属の隊士でした。

 

二人は英国船で函館を脱出、横浜に着きます。

途中まで一緒に行動しますが、

鉄之助は歳三の親類を訪ねて

(なぜならば、歳三の写真を託されていたといいます)

日野を目指し、一方、市造は川越の方へ向かいました。

“地縁”を頼って、市造も一緒に行けばよさそうなものですが、

なにしろ、新政府の取り締まりが厳しく、

周りの者に危害が及んでは…という配慮があったのでした。

 

この間の詳しいいきさつは、

以前にもご紹介申し上げたかもしれませんが、

土方歳三資料館のブログをご参照ください。

ブログの日付は20165月、

極めて最近、判明した事実であったわけです。

 

 

冒頭に書きましたように、鉄之助は早逝でしたが、

市造の没年は1908年、

ということは、50代なかばまで存命だったのですね。

 

こうして、歳三は二人の青年隊士を、

五稜郭から無事に生還させることができました。

 

 

と、いうよりも……

二名に対しての、新選組副長の“最後の命令”でした。

それは、

 

死ぬな。生きろ

 

このことに他ならなかったのです。

 

 

さて、『燃えよ剣』の小説は、

前回、市村鉄之助が土方家を訪れる劇的な場面までご紹介致しました。

 

ここからは、小生の“妄想”でありますが(笑)、

 

□■□■□■□■□■□■□■□■

(妄想ですよー)

映画のエンドロールが流れる如く、

司馬遼太郎は、ここで物語を終えようか、とも一瞬思いましたが…

 

『燃えよ剣』は、司馬の土方歳三に向けての

「弔辞」に違いないのです。

 

 

(ここで終わっては、土方歳三がうかばれまい)

 

 

最後にもうひとつのエピソードが、付け加えられました。

それは…

 

 

お雪の登場でした。

 

10行にも満たぬ短く美しい文章です。

お雪はひとことも喋りません。

 

『燃えよ剣』は、剣と血と殺戮に明け暮れた物語でしたが、

この部分を読みますと、そんなこともどこかへ消し去られ、

蝦夷の地の限りなく広い空を見渡しているような、そんな気分に浸れます。

そして、涙が滲んできます。

 

 

引用は致しません(苦笑)

ぜひとも、原作本をお手にとってご鑑賞ください、ということで。

                                            

長くなり過ぎました。

これにて約3年におよぶ、

『燃えよ剣』の思い出の記の終了です。

 

乱筆乱文、妄言多謝。          (文中敬称略)(おしまい)

 

**ピンク色の文字にはリンクを貼っています

 

PS:ここまで書き終えましたが、皆様ご承知のとおり、

  今現在、ウクライナが酷い状況になっています。

  プーチン大統領はあまりに非道です!

  彼の地の方々に何も出来ませんが、

  何があっても生き延びてください。

  神の御加護を

 

#ウクライナ #キエフ #戦争反対 #ロシアは出ていけ

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2022年1月29日 (土)

忘れようとして(61)~『燃えよ剣』~最後に。

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(前回からのつづきです)

 

一昨年のこと、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の最終回が、

放送日の前から、かなり話題になっていました。

なんでも、“今までになかった結末”という旨のウワサでしたので。

それまでこのドラマは、1分たりとも観たことはなかったのですが()

その最終回だけは、しっかりと観ることにしました。

 

観終えて…

つまり、“明智光秀生存説”ってことだったのかな…。

それはいいけど、「見せ方」が“もうひとつ”でしたし、

撮影がコロナ禍の真っ最中、という制約もあったのでしょうが、

戦闘シーンも迫力に欠けていましたね。

(それまで一度も観ていないのに、エラそうですな)()

 

 

そこで思い出したのは、同じくNHK大河ドラマの『源義経』。

こちらは1966年の放映でした。

源義経尾上菊之助(現:七代目 尾上菊五郎)、弁慶緒形拳

静御前藤純子(現:富司純子)が、それぞれ演じていましたね。

 

このドラマの最後のシーンは、

義経が弁慶をはじめとする従者を引き連れて、

深い深い霧の中へと消えてゆき、

“義経=ジンギスカン説”を示唆しつつ終わる、というものでした。

“よくある手法”とはいえ、今も印象に残っています。

 

そうそう、更に特筆すべきは、

このドラマのテーマ音楽の作曲が、あの武満徹!!

義経の運命を暗示するような、

物悲しく、かつ美しい主題を横笛が奏でていきます。

芥川也寸志作曲の『赤穂浪士』のテーマと並ぶ

NHK大河では双璧をなす名曲ですね。

 

 

話が脱線しましたが、つまり、

映画でも、TVでも、小説でも、

結末部(多くはクライマックスが来ます)において、

いかに観客・読者を感動させるか、さらに

余韻・余情を惹き起こせるか、あるいは、

伏線の回収がちゃんと出来ているか、

そこで「感動の再構成」を可能ならしめるか、

等々が要求されるわけです。

 

それを思うと、映画『燃えよ剣』のエンディングも、

『麒麟がくる』の最終回も、

私的にはやや不満の残るものでした。

 

 

話題を元に戻しましょう、

小説『燃えよ剣』の最終章は、「砲煙」。

先日、この章を読み返していて、思い出したことが。

それは次の一文。

 

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

(引用者注:歳三の)死体は、函館市内の納涼寺に葬られたが、

別に、碑が同市浄土宗称名寺に鴻池の手代友次郎の手で建てられた。

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

この碑について、数十年前の当時、

“このような碑は存在しない、司馬遼太郎の創作ではないか”

などと言われていて、私などは実に解せない感情に囚われたのですが、

昔と違って今はネットの時代、調べてみますと、

しっかりと称名寺にこの碑は建っているとのこと。

 

この“ミステリー”の因は、

『燃えよ剣』が上梓されたのが1964年、

そして3度にわたる火災の後、

その碑が再建されたのが1972年(1973年とも)、

という“タイムラグ”にあったのではないかと、現在は推察しています。

 

さて、忘れようとして(54)において、

“(お雪を江戸まで送り届けた)市村鉄之助

数奇な人生を送ることになる”と、記しましたが、

原作の最終章「砲煙」で、

司馬遼太郎は、この市村鉄之助の“その後”を書いています。

以下、少し長めの引用になります。

ちなみに、市村は実在の新選組隊士です。

 

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

土方家では、明治二年七月、

歳三の小姓市村鉄之助の来訪でその戦死を知った。

(中略)

市村鉄之助の来訪は劇的だったらしい。

雨中、乞食の風体で武州日野宿はずれ石田村の

土方家の門前に立った。

当時、函館の賊軍の詮議がやかましいという風評があったため、

こういう姿で忍んできたのであろう。

「お仏壇を拝ませていただきたい」

といい、通してやると、

「隊長。―――」

と呼びかけたきり、一時間ほど突っぷして泣いていたという。

(中略)

のち家郷を出、西南戦争で戦死した、ということは既述した。

歳三の狂気が、この若者に乗りうつって、ついに戊辰時代の物狂いが

おさまらなかったのかもしれない。

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

市村鉄之助は実在とはいえ、

この土方家を訪ねるエピソード自体は、

司馬遼太郎の創作ではないかな……

にしても、このシーン、映画、或いはTVでも、

時間的余裕があれば、撮ってみたいですね。

『終』の字と、エンドロールの間に挿入するとか…

 

                          (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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2021年12月31日 (金)

忘れようとして(60)~終章その9:新選組副長 土方歳三

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(前回からのつづきです)

 

  • 映画『燃えよ剣(2020)』の感想。

 

1970年放送のTV映画『燃えよ剣』の話も

最終回に至りましたので、

今回は、10月に公開された映画についての

私の感想を書いてみますね。

 

所謂“ネタバレ”云々に関しては----

ま、結末は周知のことですからなぁ。

 

さて、先日まで、この映画のラジオスポットが

よくオンエアされていました。

大都市圏での公開が終了したのでしょう、現在は流れていません。

 

そのラジオCMに使われていたのが、

主役を務めた岡田准一が映画の中で放ったセリフ、

 

新選組副長土方歳三

 

でした。

 

この台詞については、前回の記事で、原作本からご紹介いたしました。

引用箇所を更に短くして、以下に再掲します。

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

 

「名か…」歳三はちょっと考えた。

  しかし函館政府の陸軍奉行、とはどういうわけか名乗りたくはなかった。

 

  

「新選組副長土方歳三」

 

 

といったとき、官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。

歳三は駒を進めはじめた。

 

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

考えてみれば、この『燃えよ剣』という小説は、

 

最終章の「新選組副長土方歳三」という、

 

このひとことだけを書くために

数百頁にわたる物語を費やしてきた、とも言えるのではないでしょうか。

 

だからこそ、ラジオのスポットでもこのフレーズが採用されたに違いない。

 

でも-----映画を見終わった後に思ったのですが、

新選組ってなぁに?、とか、

岡田准一は知ってるけど、土方歳三なんて知らない、

っていう人がおられたならば、

その方に、あの映画の、あのシーンの、

あの言葉の“重さ”が伝わったかな??―――と。

 

年代も、嗜好も、その他何もかもが異なる観客全員のことを考えるなんて、

相当無謀なことですが、この一点だけは、譲ってほしくなかったな、

という気持ちが残りました。

 

この「新選組副長土方歳三」というセリフを印象づけるには、

なによりも、歳三のその当時の肩書きが、

「函館政府:陸軍奉行」であることを、

映画を観ておられる人々に周知させておかねばなりません。

しかし、その“伏線”が十分ではありませんでしたから。

 

あと、いろんなことを考えたわけです。

 

例えば、近藤勇たちの群舞シーンは必要だったのか、とか

歳三の“ヒョコヒョコ”とした感じの歩き方の設定はどうなのか

(ならばむしろ、「歳(とし)の鬼あし」を強調すべき)

とか、文句が続々(苦笑)。

 

2019年4月の忘れようとして(29)で、

===============

新選組を扱った場合、ほとんど「芹沢鴨暗殺」のエピソードが

挿入されるのですが、そこの部分に貴重なフィルムの“尺”、

つまり(上映の)時間をいくばくか費やしてしまうことになります。

私なら“芹沢鴨抜き”でのドラマ進行を考えたいのですが…。

===============

と申し上げていましたが、

“やはり、芹沢鴨は要らなかったよなー”

って思ってしまいます。

 

今回の映画『燃えよ剣』の上映時間は148分。

その中に、編年式で多くの出来事を網羅していましたので、

“詰め込み過ぎ”の感は否めません。

 

あるいは、いっそお雪も出さない、

という選択すらも、私は考えてしまいました。

それほどに、時間的制約が厳しかったわけです。

 

お雪といえば、ラストの場面、

彼女が歳三の亡骸に寄り添うカットは必要だろうか、とか-----

いけない、またクレームが(苦笑)。

 

 

しかし、岡田准一の演技と殺陣には好印象を持ちましたし、

山田涼介沖田総司

鈴木亮平近藤勇も適役でした。

 

ビゼーの「真珠採り」が使われたりして、音楽も意欲的でしたねー。

脚本・監督の原田眞人も、悩みに悩み抜いて本を書き上げたのでしょう。

 

冒頭、五稜郭に居る歳三の独白から映画はスタートしますが、

この試みも、大変面白いと思いました。

あ、でもこの映画が、こういうスタンスであることの

観客への“念押し”は必要じゃなかったかな----

いけない、またクレームが。。。

 

 

全体的に、この映画は、

新選組を知らない方々には、「わかりにくいでしょう」

というのが、私の結論。

映画を鑑賞されたなら、ぜひとも、

原作を読まれることをお勧めします。

 

乱文長文妄言多謝。                (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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2021年11月27日 (土)

忘れようとして(59)~終章その8:新選組副長 土方歳三

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(前回からのつづきです)

 

歳三は単騎、函館市中の官軍本陣前に現れました。

 

本映画(1970TV放映)、最後の、

そして、最高最大のクライマックスです。

 

歳三がこの闘いに向かう設定は、小説とは異なるものの、

官軍本陣前のこのシーンは、原作を正確になぞっていました。

そこで、ここでは司馬遼太郎の著書より引用させていただきたく思います。

 

 

……。

ところで、拙ブログは、20193月より、

『燃えよ剣』にかかりっきりに、なっているのですが。

もともと音楽関係の話題を主たるものとしていました。

しかし、

8年前の『アメイジング・グレイス』について書いた文章において、

(→2013年1月 SAPPARI WAYA

なぜか(苦笑)、『燃えよ剣』のこのラストの部分を、

引用していたのです。

クロスオーバー歌手のヘイリーと、土方歳三が、

どういうことで、つながっているのか、複雑怪奇ですなぁ。(爆)

そこいらへんが、拙ブログ“が

“さっぱりわやくちゃ”を看板に掲げている由縁であります。

 

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

………歳三はゆく。

 

ついに函館市街のはしの栄国橋まできたとき、地蔵町のほうから駆け足で駆けつけてきた増援の長州部隊が、この見慣れぬ仏式軍服の将官を見とがめ、士官が進み出て、

「いずれへ参られる」と問うた。

 

「参謀府へゆく」 

歳三は、微笑すれば凄味があるといわれたその二重瞼の眼を細めていった。むろん単騎斬りこむつもりであった。

 

「名は何と申される」

長州部隊の士官は、あるいは薩摩の新任参謀でもあるかと思ったのである。

 

 

「名か…」歳三はちょっと考えた。

  しかし函館政府の陸軍奉行、とはどういうわけか名乗りたくはなかった。

 

  

「新選組副長土方歳三」

 

 

といったとき、官軍は白昼に竜が蛇行するのを見たほどに仰天した。

歳三は駒を進めはじめた。

 

士官は兵を散開させ、射撃用意をさせた上で、なおもきいた。

「参謀府へ参られるとはどういう用件か。降伏の軍使ならば作法があるはず」

 

「降伏?」

歳三は駒の歩度をゆるめない。

「いま申したはずだ。新選組副長が参謀府に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ」

あっ、と全軍射撃姿勢をとった。

歳三は馬腹を蹴ってその頭上を跳躍した。

 

が、馬が再び地上に足をつけたとき、鞍の上の歳三の体はすさまじい音をたてて地にころがっていた。なおも怖れて、みな近づかなかった。(中略)

 

それから六日後に五稜郭は降伏、開城した。総裁、副総裁、陸海軍奉行など八人の閣僚のなかで戦死したのは歳三ただひとりであった。(後略)

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

“壮絶といった、ありふれた言葉ではすまされない

TV映画史に残る、印象的な映像だったと思います。

 

 

原作どおりに、歳三の乗った馬が跳躍していく

スローモーションのカットがあったように記憶していますけどね…。

 

薩長軍の銃声。

 

地面に突っ伏して倒れる歳三。

 

断末魔の歳三の顔のアップが、一瞬あったように思います。

 

右手に刀を握ったまま倒れている歳三をめがけて、

なおも無数の銃弾が浴びせられます。

 

ここは、アメリカ映画の名作『俺たちに明日はない』(1967

のラストシーンを想起しました。

 

カメラはロングショットに切り換わります。

官軍兵士たちは、なかなか歳三に近寄りません。

いや、近寄れません。

 

 

更に徐々にカメラが引いていく中、

名優:左右田一平のナレーションが入ります。

 

「歳三は、『函館政府陸軍奉行』とは言わず、

『新選組副長』と名乗って死んだ。

その六日後、五稜郭は降伏、開城した。

函館政府の閣僚のなかで

戦死したのは土方歳三ただひとりであった」

 

そして、テーマ音楽が流れ、

半年に及ぶドラマは完結を迎えたのです。

(つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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2021年10月30日 (土)

忘れようとして(58)~終章その7:新選組副長 土方歳三

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(前回からのつづきです)

 

先日、10/15より公開中の映画『燃えよ剣』を観てきました。

監督・脚本は、原田眞人司馬遼太郎の創作人物である、

お雪七里研之助が新解釈で登場していることも興味深かったです。

この作品の感想は、またいずれ、ということで。

 

 

1970年のTV映画『燃えよ剣』最終回に戻ります。

 

  1. 伝蔵の死
  2. 斎藤一との別れ
  3. 五稜郭での軍議
  4. 歳三の見た夢

と、エピソードが続いてきました。

 

いよいよ文字通りの最後のエピソードになるのですが、

「歳三の見た夢」で思い出したことがありまして、

 

それは、歳三の前に現れた、すべての隊士が

黙したまま、一言も語らなかったことです。

 

夢の中では、亡くなった人は喋りませんよ、

もし、お話できたら、それは吉兆かもしれません

 

と、私が幼い頃、誰かに聞いたことがあったのです。

ですから、TVを観ていて、

“あ、やはりそうなんだ”って想ったものでした。

 

ところで、

私が司馬遼太郎の原作本を手にしたのは、後日のことですが、

小説の中では、

近藤勇が、歳三に語りかけていました。

一体、何を話したのかは

原作を読んでください、ということであります(苦笑)。

 

 

さて、「歳三の見た夢」に続くのは、

最終話のクライマックス、

「歳三の最期」の場面です。

 

上映中の映画『燃えよ剣』のラストも

なかなかのものでした。(これ以上、書きません)

 

原作によりますと、“函館奪還作戦”を企図し、

歳三は僅か50余名のみを率いて出陣しました。

 

 

TV映画ではどうだったか。

 

馬上の歳三は、早朝、唯一人で五稜郭を出ます。

目指すは、函館市内の官軍司令部。

山道を駆け下りていく歳三。

鬼気溢れる歳三の顔のアップ、

そして、ロング、と画面転換。

 

この間ずっと、作詞:結束信二、作曲:渡辺岳夫

歌:東京混声合唱団の

『燃えよわが命』(本TV映画の挿入歌)が

映像のバックに流れています。

 

 

『燃えよわが命』(部分)

 

春まだ浅き 壬生の朝

誠一字に集いたる

ますらおたちの 雄叫びが

燃えよわが剣 わが想い

 

都の風に うそぶけば

吹雪と花の 乱れ飛ぶ

明日は屍を 晒すとも

燃えよわが剣 わが祈り   (以下略)

 

 

そして……

単騎、歳三は官軍本陣の前に現れます。 

                (つづく)(文中敬称略)

 

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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2021年9月30日 (木)

忘れようとして(57)~土方歳三:終章その6~油小路事件

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(前回からのつづきです)

 

さて、夢に現れた、

新選組八番隊組長:藤堂平助と、

「油小路事件」の話題ですね。

 

 

「油小路事件」とは、

新選組内部の分派抗争で、

藤堂を含む15名ほどの隊士が

「御陵衛士」―

(「ごりょうえじ」と読みます、“勤皇派新選組”といったカンジでしょうか)

として、隊を離れていきました。

 

その御陵衛士たちを殲滅せんとして、

新選組が京都市内の油小路で、引き起こした斬り合いです。

ついに藤堂は、この戦いで命を絶たれますが、

子母澤寛は、その詳細を調べて『新選組始末記』に著しています。

 

司馬遼太郎も『燃えよ剣』の原作では、

その子母澤の聞き書きを、踏襲した描写になっています。

該当箇所に目を通してみましょう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「平助、永倉だ」

といいながら剣をぬき、軒へ身をよせ、逃げろ、といわんばかりに

南への道をひらいてやった。

 藤堂は永倉の好意に気づき、駆けだそうとした。

安堵したのがわるかったのだろう。背後に油断ができた。

その背へ、平隊士三浦某が一刀をあびせた。

 藤堂はすでに身に十数創をうけている。

 さらに屈せず、三浦を斬ったが、ついに力尽き、刀をおとし、

軒下のみぞへまっさかさまに頭を突っこんで絶命した。

~~~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『剣の運命』より

 

以上は、子母澤の『新選組始末記』と、ほぼ同一の内容です。

更に、同書によれば、

藤堂の評判が、以下のように書かれています。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

品行は余りよくなかったともいうが、

人物がしっかりしているので、近藤勇も、

衛士達を斬ることになった時にもなお、

「あれだけは助けて置きたいものだ」

といっていた位である。

~~~~~~~~~~~子母澤寛『新選組始末記』 54「油小路の屍」より

 

 

では、1970年のTV映画『燃えよ剣』では、どうであったか。

ほぼ忘れかけてはいるのですが(苦笑)、

この「油小路事件」の回を、思い出してみます。

 

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

藤堂平助は、やはり仲間からも慕われていたのでしょう、

どの新選組隊士も、相手が藤堂と見るや、

“逃げろ”と言う者、あるいは無言で、

刀を交えることなく、走り去っていきます。

(『燃えよ剣』また『新選組始末記』にあるように、

永倉新八が登場したか否かは憶えておりません)

 

実際、藤堂も困惑しました。

ただし、形勢はというと、御陵衛士に比べて、

新選組のほうが、圧倒的に人数が多く、

非勢にあるのは、藤堂たちの側です。

 

そんな中、運命のいたずら、とでもいうのでしょうか、

藤堂は土方歳三に出くわしてしまいます。

他にすべはなく、

土方に斬りかかっていきますが…

 

結果、藤堂は油小路でその命を絶たれました。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 

 

藤堂平助の剣の流派は、北辰一刀流で、

近藤・沖田や、歳三らの天然理心流ではありませんが、

新選組結成以来の仲間でありました。

歳三とて、藤堂と斬り合わねばならぬとなったとき、

実に複雑な心境であったのですね。

 

 

前回の記事において、

脚本家の結束信二が、歳三に

 

「俺はあのとき、君を介錯したつもりだった」と言わせしめたのには、

 

「油小路事件」をこのように脚色していたからなのです。

 

 

藤堂平助を演じていたのは、

平沢彰という俳優です。

この方も、時代劇の脇役としての出番が多い方だったようです。

お顔は‥‥

タレントのグッチ裕三に似ていたような記憶があるのですが。

 

そんな話のついでに、筆を滑らせてみますが、

実際の藤堂は、かなりの“イケメン”であったと史料に残されています。

(残念ながら、沖田総司には、そういった記録は有りません)(苦笑)

 

なお、藤堂平助は、

「新選組四天王」のうちの一人として謂われることがあります。

それほどの撃剣の使い手でした。

ちなみに、残る三名は、

永倉新八、斎藤一、そして沖田総司。

(「新選組四天王」の人選には異説もあります)

 

このうち、永倉は既述のように、「油小路事件」の現場に居ました。

斎藤は、新選組側の“スパイ”として御陵衛士に潜入していたようです。

沖田は、このとき既に病床にあり、この戦闘には参加していません。

 

“イケメン”の藤堂、ということで、

ちょっと隊士の年齢を調べてみました。

「油小路事件」の起きた1867年当時の年齢です。

 

まず、新選組副長:土方歳三は、32才。

藤堂平助→23

永倉新八→28

斎藤一→23

沖田総司→23?24?26?

(沖田の生年については異説が存在します)

 

藤堂、斎藤が意外と若く、また、

同い年だったのですね。

 

来月公開の映画『燃えよ剣』では、

この油小路事件はどのように映像化されるのでしょうか。

                       (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から、

子母澤寛『新選組始末記』は、中公文庫版から引用しました。

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2021年8月28日 (土)

忘れようとして(56)~土方歳三:終章その5~その夜の夢。

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(前回からのつづきです)

 

司馬遼太郎の原作を読みますと、

それは明治2年(1869年)59日の夜のこと。

 

連日の戦闘に疲れ切った歳三は

自室で身を横たえていましたが、

ふと人の気配に気づき、寝台から降りてゆきます。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

眼をこらして、かれらを見た。

眼の前に人がいる。ひとりやふたりではない。

群れていた。

~~~~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『砲煙』より

 

1970年のTV映画『燃えよ剣』の最終回は、

6ヶ月続いたドラマの「総集編」よろしく、

主な新選組隊士の“総出演”となります。

 

ただ小説との相違点は、

歳三がひとりひとりに対面しながら、言葉をかけていくのです。

“さすが結束信二”と思わせる脚本ですね。

 

***********************************

(誰かいる)

歳三が近づいてゆくと、

その男がくるりと振り返った。

 

沖田総司である。

 

「来てくれたのか。元気になったんだな」

 

歳三は嬉しくなって声をかけた。

沖田はいつものように、ただニコニコと笑っている。

 

「戦さが忙しくて、見舞いにもなかなか行けなかったな。

すまないと思っている」

 

沖田は微笑みながら、

(いえ、そんなこと)

と、首を横に振った。そして、

(土方さん、ほら、あちらを―)

と言うように、視線を向けた。

 

そこに立っていたのは、原田左之助

***********************************

 

という風に、隊士が別の隊士を一人ずつ紹介してゆきます。

 

この夢の中に現れた面々を、

 Wikipediaから検索してみました。

 

それによりますと、近藤勇沖田総司以外では、

原田左之助、藤堂平助、河合耆三郎、井上源三郎、松原忠司

とあります。

松原忠司、はどうだったでしょうか…

私はまるで記憶にないのですけどね。

他の4名は合っていました。

山崎烝は、ひょっとしたら登場していたかも、と思っていましたが。

 

***********************************

歳三は、原田左之助に話しかけます。

 

「上野では彰義隊と一緒に、官軍を相当に痛めつけたそうだな」

 

原田は、苦笑いしながら

(いやあ、土方さんほどには)

というような表情を見せながら、次の隊士の方を見やります。

 

藤堂平助は、黙々と愛刀の柄巻を巻き直していたように思います。

 

「またやってるのか、相変わらずだな、君は」

 

藤堂のいつもの“習慣”だったのでしょう。

歳三には京の油小路事件が忘れられません。

 

「藤堂君、俺はあのとき、君を介錯したつもりだった。

許してくれ」

 

藤堂は、ちらと歳三を見て笑いましたが、その手を止めません。

そして、横の方を見ますと、

 

勘定方の河合耆三郎がいます。

 

「河合君、君には面倒なことばかり押し付けたな」

 

河合は頭を搔きながら、ただ恐縮するばかり。

 

井上源三郎も来ていますが、

歳三の顔を見るなり、泣き出してしまいます。

 

「いいんだ、いいんだ、源さん。もういいんだ」

 

と、なだめる歳三。

そして、井上の示す方を見ると、局長の

近藤勇が立っています。

 

「近藤さん、来てくれたのか!

やっぱり、あんたは俺の兄貴だ!」

 

歳三の声も、弾みます。

 

………………………

「どうした?近藤さん!何か言ってくれ!」

近藤は、歳三が何を言っても笑っているだけで無言なのです。

 

後ろを向くと、疲れたのか、

沖田は横になって、ひじ枕をしながら、ニコニコ笑っている。

隣では、座り込んでいる藤堂が、一心不乱に柄巻を直している。

井上は、まだ歳三を見ては泣いている。

 

「みんなもどうした!なぜ黙っている!

なにか喋ってくれ!」と、叫ぶ歳三。

と、ここで目を覚ましました。

 

(夢か―)

 

歳三は沖田の寝そべっていたあたりの床を撫でてみます。

「あったかい…そうか、みんなで俺を迎えに来やがった」

 

笑いながら、涙を浮かべます。

***********************************

 

夢に現れた順番は、最初の沖田総司と、

最後の近藤勇以外は覚えていません。

また、歳三が語りかけた内容も、

原田・藤堂・井上・近藤以外は、はっきりとは記憶にありません。

 

また、近藤の場面で「……」と書いたのは、

上に書いたセリフ以外に、もう二言三言、

歳三が話しかけていたのですが、

どのような内容だったか、全く憶えていないのです。

同様に、沖田に語った言葉も、

“こんな感じだったかなぁ”というくらいのものでして(苦笑)。

 

ところで、藤堂とのシーンにおける

“油小路事件が忘れられない”については、

少し補足が必要かもしれません。    (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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2021年7月31日 (土)

忘れようとして(55)~土方歳三:終章その4~軍議。

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(前回からのつづきです)

 

明治2年(1869年)5月、五稜郭では軍議が開かれていた。

榎本武揚函館政府総裁が、唯一頼みとしていた海軍は

既に壊滅状態。

土方歳三と同じく陸軍奉行の大鳥圭介は、

「籠城して抗戦」を主張している。

 

***********************************

榎本総裁は言った。

「ここは土方君の意見を訊こう」

歳三は腕を組み眼を閉じたまま、終始沈黙を貫いていたのである。

 

副総裁の松平太郎もそれに応じた。

「そうだ、土方さん、あなたは誰よりも、戦さの経験が豊富です」

 

「私は―」

歳三はつぶやくように語り始める。

 

「私は戦います」

 

「なにっ!それでは軍議にならん!」

いまにも、つかみかかりそうな剣幕の大鳥。

 

歳三は、微笑すれば凄みがあるといわれた

その二重瞼の眼をようやく開いた。

「では訊くが、これは勝つための軍議であるか」

「当たり前ではないか!」激高する大鳥。

 

「私は、驚いている」

歳三のその言葉を聞いて、

大鳥は、いよいよ顔色を変えて立ち上がる。

それを制する松平。

「土方さん、続けてください」

 

「『籠城』とは援軍を待つための策であるはず」

歳三は大鳥に一瞥をくれた。

「どうすれば勝てるかと訊かれたら、こと此処に至っては策は無い。

だが、どう戦うかと問われたならば、私にも考えはある」

 

言い終わると、歳三は再び腕を組み、両眼を閉じた

***********************************

 

 

1970年のTV映画『燃えよ剣』の最終回、

斎藤一との別離のシーンに続いての思い出話です。

 

私のおぼろげな記憶ではありますが、

大筋としてそんな流れだったとすれば(持って回った言い方ですな)、

前回にも書いたように、

脚本家:結束信二は、この軍議のシ-ンにおいても、

司馬遼太郎の原作の二つの場面を

巧みにまとめている、という印象を持ちます。

 

 

配役を検索しました。「役名→俳優」です。

大鳥圭介→長谷川明男

松平太郎→中田博久

榎本武揚→横森久

 

榎本総裁役の横森久については、印象が薄くあまり覚えていません。

現存している写真どおりに、立派な髭をつけたメークでした。

 

大鳥役の長谷川明男は当時の二枚目俳優でして、よく覚えています。

たしか、別のTVドラマでは主役も務めていたはず。

ネットで調べてもよくわかりませんが、

『おれは大物』(現代劇:1964)だったかなぁ----?

 

松平役の中田博久は外見的に、

今でいうところの、 “濃い” くっきりした顔立ちでした。

そんなことよりも、なにより函館政府内では、

土方歳三の“味方”という、

大鳥とは逆のスタンスを取っていたので、

それがよく覚えている一番の理由かもしれません。

 

 

「逆のスタンス」と書きましたが、

歳三は(近藤勇も同様ですが)畢竟、

武州三多摩の農民の出身で、

幕臣でもないですし、学問や教養もありません。

 

ただひとつ、“剣の道”だけで、ここまで歩んできたのですから。

 

そんな新選組に対しては、当初から、

幕府側には、軽蔑・反感を持つ人間が、いっぱい存在したはずです。

 

軍議の成り行きはどうあれ、

歳三の“肚”はとっくに決まっていました。

 

はるばる函館まで訪ねてきたお雪に、

歳三は次のように語っています。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「官軍が、私の未来を作ってくれるのさ。(中略)

(たま)と血と硝煙。

私の未来には、音も色も匂いもちゃんとついて、眼の前にある」

~~~~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『再会』より

 

司馬によれば、それは59日の夜のこと。

歳三は、ある夢を見ます。

                                                               (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

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