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2022年1月29日 (土)

忘れようとして(61)~『燃えよ剣』~最後に。

Img_20211117_115816

(前回からのつづきです)

 

一昨年のこと、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の最終回が、

放送日の前から、かなり話題になっていました。

なんでも、“今までになかった結末”という旨のウワサでしたので。

それまでこのドラマは、1分たりとも観たことはなかったのですが()

その最終回だけは、しっかりと観ることにしました。

 

観終えて…

つまり、“明智光秀生存説”ってことだったのかな…。

それはいいけど、「見せ方」が“もうひとつ”でしたし、

撮影がコロナ禍の真っ最中、という制約もあったのでしょうが、

戦闘シーンも迫力に欠けていましたね。

(それまで一度も観ていないのに、エラそうですな)()

 

 

そこで思い出したのは、同じくNHK大河ドラマの『源義経』。

こちらは1966年の放映でした。

源義経尾上菊之助(現:七代目 尾上菊五郎)、弁慶緒形拳

静御前藤純子(現:富司純子)が、それぞれ演じていましたね。

 

このドラマの最後のシーンは、

義経が弁慶をはじめとする従者を引き連れて、

深い深い霧の中へと消えてゆき、

“義経=ジンギスカン説”を示唆しつつ終わる、というものでした。

“よくある手法”とはいえ、今も印象に残っています。

 

そうそう、更に特筆すべきは、

このドラマのテーマ音楽の作曲が、あの武満徹!!

義経の運命を暗示するような、

物悲しく、かつ美しい主題を横笛が奏でていきます。

芥川也寸志作曲の『赤穂浪士』のテーマと並ぶ

NHK大河では双璧をなす名曲ですね。

 

 

話が脱線しましたが、つまり、

映画でも、TVでも、小説でも、

結末部(多くはクライマックスが来ます)において、

いかに観客・読者を感動させるか、さらに

余韻・余情を惹き起こせるか、あるいは、

伏線の回収がちゃんと出来ているか、

そこで「感動の再構成」を可能ならしめるか、

等々が要求されるわけです。

 

それを思うと、映画『燃えよ剣』のエンディングも、

『麒麟がくる』の最終回も、

私的にはやや不満の残るものでした。

 

 

話題を元に戻しましょう、

小説『燃えよ剣』の最終章は、「砲煙」。

先日、この章を読み返していて、思い出したことが。

それは次の一文。

 

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

(引用者注:歳三の)死体は、函館市内の納涼寺に葬られたが、

別に、碑が同市浄土宗称名寺に鴻池の手代友次郎の手で建てられた。

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

この碑について、数十年前の当時、

“このような碑は存在しない、司馬遼太郎の創作ではないか”

などと言われていて、私などは実に解せない感情に囚われたのですが、

昔と違って今はネットの時代、調べてみますと、

しっかりと称名寺にこの碑は建っているとのこと。

 

この“ミステリー”の因は、

『燃えよ剣』が上梓されたのが1964年、

そして3度にわたる火災の後、

その碑が再建されたのが1972年(1973年とも)、

という“タイムラグ”にあったのではないかと、現在は推察しています。

 

さて、忘れようとして(54)において、

“(お雪を江戸まで送り届けた)市村鉄之助

数奇な人生を送ることになる”と、記しましたが、

原作の最終章「砲煙」で、

司馬遼太郎は、この市村鉄之助の“その後”を書いています。

以下、少し長めの引用になります。

ちなみに、市村は実在の新選組隊士です。

 

 

(引用開始)~~~~~~~~~~~~

土方家では、明治二年七月、

歳三の小姓市村鉄之助の来訪でその戦死を知った。

(中略)

市村鉄之助の来訪は劇的だったらしい。

雨中、乞食の風体で武州日野宿はずれ石田村の

土方家の門前に立った。

当時、函館の賊軍の詮議がやかましいという風評があったため、

こういう姿で忍んできたのであろう。

「お仏壇を拝ませていただきたい」

といい、通してやると、

「隊長。―――」

と呼びかけたきり、一時間ほど突っぷして泣いていたという。

(中略)

のち家郷を出、西南戦争で戦死した、ということは既述した。

歳三の狂気が、この若者に乗りうつって、ついに戊辰時代の物狂いが

おさまらなかったのかもしれない。

(引用終了)~~~~~~~~~~司馬遼太郎:『燃えよ剣』(下)「砲煙」

 

 

市村鉄之助は実在とはいえ、

この土方家を訪ねるエピソード自体は、

司馬遼太郎の創作ではないかな……

にしても、このシーン、映画、或いはTVでも、

時間的余裕があれば、撮ってみたいですね。

『終』の字と、エンドロールの間に挿入するとか…

 

                          (つづく)(文中敬称略)

 

*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています

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