忘れようとして(48)~新選組副長:土方歳三~その7~お雪みたび
(前回からのつづきです)
では、歳三が涙を見せた場面を、もうひとつ見てみましょう。
前回記事より2年後の1869年(明治2年)、
土方歳三は蝦夷の地に。
そして、
五稜郭に司令部を置く“函館政府軍”の下で、
官軍との戦いに明け暮れていました。
そんな戦時の際に、信じられないことが……。
なんと、お雪がはるばる江戸から歳三を訪ねてきたのです。
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背後が、しんとした。
お雪の小さな心臓の音まできこえるようであった。
「来ては、いけなかったでしょうか」
「…………」
歳三は、ふりむいた。
まぎれもなくお雪がそこにいる。右眉の上に、糸くずほどの大きさで、
火傷(やけど)の古いひきつりがあった。
歳三が、何度かその唇をあてた場所である。
それを見確かめたとき、不覚にも歳三は、ぼろぼろ涙がこぼれた。
「お雪、来たのか」
~~~~~~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『再会』より
歳三は背後にお雪が現れた気配を感じますが、
素直に振り向くことができません。
もちろん嬉しいには決まっていますが、
現実にお雪を眼前にしたら、自分がどうなってしまうか、
見当がつかない。
そのことが怖かったのですね。
ですから、窓の外を見ながら。
そこから見える函館湾の景色の説明を
喋りつづけていました。
そして、
歳三は後ろを振り返りますが―その瞬間、
とめどなく涙を流してしまいます……
前回と今回、
“鬼の副長”と恐れられた歳三にとって、
「涙」は最も似つかわしくないものでしょう。
その土方歳三が泣いた場面
―両方のシーンにお雪が係わっていました―
をご紹介しました。…
司馬遼太郎の原作を読んでいただければ、
なぜ、二人がこのような激しい愛の渦中に
身を投じることになったのか、
そのあたりの“輪郭”が、見えてくると思いますので、
あらためて、御一読をオススメいたします。
さて、お雪がどんな女性だったか…
それを探るために、二人の出逢いにまで遡ってみましょうか。
ある雨の夜のこと。
歳三が一人で壬生の新選組屯所へ帰るときに、
4-5人の討幕派浪士から襲撃を受けたのです。
2名は斬り倒しましたが、その後、逃走をはかります。
(負ける喧嘩はしないのが真の「喧嘩師」なのです)
なんとか逃げおおせたものの、
左腕、右脚のもも・甲に傷を負いました。
とりあえずの止血と手当てのために、
偶然飛び込んだ民家に居た女性が
お雪だった、というわけです。
この女性の人となりが巧みに描出された部分を読んでみます。
手傷を負った見ず知らずの男が、夜遅く転がり込んできたというのに、
お雪は落ち着いていました。
(武家の女か)
歳三はすぐさまそれを悟ります。
応急の手当は自ら施しましたが、
彼の着物は刀に切り裂かれ、また、雨と血で汚れきっている。
そんな歳三に、
お雪は、羽織・袴・襦袢まで用意して差し出すのです。
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「それは、ご好意だけ頂戴しておく。
まだ血がとまらぬというのに、せっかくお大事のお品を
汚(けが)しては申しわけない」
歳三は褌一つ、晒でぐるぐるしばりの姿のまま、大小をつかんで立ちあがった。
「そのまま、御帰陣なさいますか」
新選組副長ともあろう名誉の武士が、といった眼の表情である。
「お召くださいまし」
うむをいわせず、命ずるようにいった。
~~~~~~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『お雪』より
“ポイント”は最後の
「お召くださいまし」―ですね…
新選組の鬼副長に指図するとは、なかなかの人物です(笑)。
お雪が京に来て以来、彼の噂はよく耳にしていましたが、
実際に遇ってみると、そんな噂とは、
全くかけ離れた人物でした。
一方の歳三も、お雪のことを
“肚のすわった女性”であること、
また、なによりも話す言葉や顔立ちから、
江戸の出であることが見てとれ、
それが歳三には懐かしかったのです。
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このお雪を1970年のTV映画で演じていたのが
磯部玉枝という女優でした。
丸顔で、魅惑的な大きな眼が特徴。
…なんて書きましたが、どなただったかすっかり忘れていまして、
本稿を書くにあたり、あわてて調べた次第です(苦笑)。
このたびの映画では、
柴咲コウが抜擢されています。
“個性派”の彼女が扮するお雪には、興味が尽きません。
芯が強く凛とした感にあふれる彼女ならば、
まさに適役ではないですか!
(つづく)(文中敬称略)
*司馬遼太郎『燃えよ剣』は、新潮文庫版から引用しました。
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