« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »

2020年9月30日 (水)

忘れようとして(45)~新選組副長:土方歳三~その4~京から江戸へ

Img_20200511_100312-1

(前回からのつづきです)

 

土方歳三は、

名刀、「2代目:和泉守兼定(通称之定(=ノサダ))」と共に、

幕末の激動期を駆け抜けていきます。

 

(前回も書きましたが、「ノサダ」を土方に持たせたのは

司馬遼太郎のフィクションです)

 

文字通りに、

和泉守兼定に己と、新選組の命運のすべてを託したわけです。

 

ただ、皆様もご存じのとおりに、

幕末においては、戦いにおける武器の“主役”が、

既に、刀剣から鉄砲に変わっていました。

 

もちろん、土方歳三は、

天才的な「喧嘩師」でありますから、

積極的に西洋の軍事論を取り入れていきました。

当時、幕府側についていたのは、フランスでしたから、

(薩長を支援していたのはイギリスでした)

土方もフランス式軍学を、幕臣たちを通じて、

身につけていったようです。

 

鳥羽伏見の戦いの火蓋が切って落とされる直前の

土方歳三を、司馬遼太郎が描いている場面があります。

 

~~~~~~~~~~~~~~

(あれから、四年か)

わずか、四年である。しかし長州の軍備は一変した。

この攘夷主義、西洋ぎらいの長州藩が、

幕府から第一次、第二次征伐をうけているあいだに、

藩の軍制を必要上、洋式に切りかえた。

京都の薩摩、土佐の部隊も、この長州とおなじ装備である。

(どうやら、世界が変わってきている―)

歳三は、眼のさめるおもいで、かれらの軍容を見おろしていた。

~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『伏見の歳三』より

 

機に臨み変に応ず―

「喧嘩に勝つ」という目的のためには、

徹底した合理主義者であった土方歳三。

火器云々の話はもちろんではありますが、

“所詮、喧嘩は人間のやること、

ならば、最後はその人物の肚のありようで決する”

司馬遼太郎は、この小説で

そういうことを言いたかったのだと思います。

 

7/31の記事にて、ご紹介した章のつづきから、

歳三の言を読んでみましょう。

 

~~~~~~~~~~~~~~

「刀とは、工匠が、人を斬る目的のためにのみ作ったものだ。

刀の性分、目的というのは、単純明快なものだ。

兵書とおなじく、敵を破る、という思想だけのものである」

~~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(下)『大暗転』より

 

 

さて―

“この戦(いくさ)は勝てる”

そう考えて、鳥羽伏見の戦いに臨んだ土方歳三でしたが、

幕府軍は、まさかの敗北を喫します。

 

土方は、狙撃に遭い大ケガをした近藤勇

結核に侵された沖田総司らと共に、

京を離れ、江戸へと敗走していきました。

 

もちろん、土方の腰にあるのは、

「ノサダ」こと、和泉守兼定。

江戸へと向かう船中では、

土方は、なおも薩長軍を破る自信を持っていたのではないか―

とは、私の想像です。              (つづく)

 

 

*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版から引用しました。

PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています。

| | コメント (0)

« 2020年8月 | トップページ | 2020年10月 »