忘れようとして(44)~新選組副長:土方歳三~その3~和泉守兼定・パンデミック
(前回からのつづきです)
一度はやや収まったように見えた新型コロナウイルスですが、
最近、再びその猛威を発揮しつつあります。
このウイルスの特性、ということもあるでしょうが、
何よりも政府の対応のマズさが目につきますね。
そんな中、8/28に安倍首相が辞意を表明しました。
この件についても、触れねばとは思いますが、
それでは本稿が進まない(苦笑)。
ちなみに、ですが…
実は、新選組誕生に、少なからず影響を与えていたのが、
現在のコロナウイルスと同様の、
“パンデミック”であったということを書いておきましょう。
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近藤勇も土方歳三も歴史の子だ。
しかも幕末史に異常な機能をはたすにいたったことについては
妙な伏線がある。
麻疹(はしか)と虎列刺(コレラ)である。
この二つの流行病がかれらを走らしめて
京都で新選組を結成させるにいたった数奇は、
かれら自身も気づいていまい。
(中略)
沖田の報告では、江戸の町々はどの家も雨戸を締め切って、
往来に人がなく、死の街のようになっている。
夏というのに両国橋に涼みに出かける者もなく
夜舗(よみせ)も立たず、花柳街(いろまち)も、
吉原、岡場所をとわず、
遊女が罹患しているために店を閉めて客をとらない。
第一、湯屋、風呂屋、髪結床といった
公衆のあつまる場所にはいっさい人が寄りつかず、
このため、江戸の男女は垢だらけになり、
地虫のように屋内で息をひそめている。
~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『疫病神』より
司馬によれば、
「はしか」はこの年(1862年)の正月ころ、
長崎に入港した異国船が持ち込んだものらしい。
一方、「コレラ」は、今回が日本では3度目の流行だったという。
上の文を読めば、“パンデミック”に見舞われた社会の状態は
“時は変われど、人は変わらず”、
まるで現在と一緒ですね。
こうなりますと、江戸で天然理心流の剣術道場を開いている
近藤勇としては、その経営が成り立たない。
道場の門人といっても、武士は一人も居ません。
若旦那、旗本の中間部屋の連中、博徒、寺侍等々といったたぐいですから、
10月頃になって疫病が下火になったからといっても、
一度離れた門人は、帰ってはこないのです。
このことが、近藤勇に、道場経営に見切りをつけさせ、
京都の浪士隊への応募に向かわせた一因であろう…、と。
話を戻しましょう。
土方歳三の佩刀、和泉守兼定は、
東京:日野市の土方歳三資料館に残されています。
江戸時代の刀工:11代目の作刀によるもので、
幕末に、京都守護職を務めていた
会津藩主:松平容保から拝領したものである、
というのが通説です。
しかし、司馬遼太郎は、そこに独自のフィクションを加えました。
同じく「和泉守兼定」には違いないのですが、
「2代目:和泉守兼定(通称之定(ノサダ))」を、
土方に持たせたのです。
「ノサダ」は室町時代の名刀中の名刀とされ、
農民あがりの土方歳三が、逆立ちしても
手に入れることなど、とても出来ないはず。…
(これは沖田総司と、菊一文字の関係と同一ですね)
土方が「ノサダ」を手に入れる経緯を、
司馬遼太郎がどういうプロットを駆使して、描いているか
ぜひとも原作本を開いていただきたい。
1970年のTV映画では、この場面は
第一話に登場していたようです。
盲目の刀剣商の老人に扮していたのは、
かの名優:加藤 嘉。
あの映画『砂の器』(1974年 野村芳太郎監督)の
父親役で有名な方です。
なんて、エラそうに書きましたが、
具体的にどのようなシーンであったかなど、訊かないでください、
これまた、完全に忘れ切っておりますので(笑)。
そこでこの老人のセリフを、小説から引用しておきましょう。
~~~~~~~~~~~~~~
わざわざ和泉守兼定をさがしているというこの浪人が、
盲人の勘で、ただものでない、と思ったというのである。
「数百年間、この刀はあなた様に逢いたがっていたのだろう。
手前には、なんとなくそういうことがわかります。
五両、それがご不満ならさしあげてもよろしゅうございます。
お嗤いなさいますか。道具屋を五十年もしていると、
こういう道楽もしてみたいのさ」
~~~~~~~~~司馬遼太郎「燃えよ剣」(上)『浪士組』より
前回、この「和泉守兼定」が『燃えよ剣』のもうひとつの主役、
などと記しましたが、
それにはこのTV映画冒頭の
タイトルバックの印象が大きかったと思います。
栗塚旭の顔半分と刀(真剣)のアップ、
それに『燃えよ剣』の4文字を重ねたところで、
ストップモーション!
更にこの写真は、一話毎に数回あるCM明けにも使われていましたから、
そのインパクトたるや強烈至極。
また、土方が自室に籠り、ただ一人で和泉守兼定を抜いて
無言で見つめている―そんなシーンも幾度となくあったように思います。
いかにも剣に生き、剣に殉じた土方歳三を象徴していました。
(つづく)(文中敬称略)
*司馬遼太郎「燃えよ剣」は、新潮文庫版から引用しました。
PS:ピンク色の文字にはリンクを貼っています。
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