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2009年8月 6日 (木)

「アヴェ・マリア~カッチーニ」を聴く。 本田美奈子さん。~<その1>

§実は、作曲者は“謎”。

この「カッチーニのアヴェ・マリア」であるが、

今では、“作曲者は、カッチーニではない”、というのが定説になっているようだ。

こんなことは、「フリースの子守歌」が長らく、

「モーツァルトの子守歌」と呼ばれてきた例もある。

ただ、この「アヴェ・マリア」の場合は、

先にあげた、「フリース⇔モーツァルト」のような、

いわば、“勘違い”の類ではなく、何者かが、意図的に、

「カッチーニ」の名前を騙った“フシ”があるらしい。

だとしたら、「本当の作曲者」ということも、気にはなるところだが、それは、

今後の“名探偵”の登場を待つことにしよう。

誰が、また、何のために仕掛けたのか解らぬが、

この“謎”が解ける日が、いつか来るかもしれない。

あの「ダ・ヴィンチ・コード」のように…。

§それは名画「モナ・リザ」を連想してしまう。

ところで、ダ・ヴィンチ、で思い出したが、

本田美奈子.さんの「アヴェ・マリア」を聴いていると、

私は、実に、不思議な感覚に襲われる。

 

ダ・ヴィンチの名画「モナ・リザ」は、視る人によって、

「微笑んでいる」ように見えたり、また、「悲しんでいる」ようにも見える、という。

いったい、本田さんは、この歌において、

「神への感謝」を表現しているのか、

逆に「嘆き」を歌に託しているのか、私には、どうにも判らないのである。

豊かで、精緻な感情表現の見事さは、本田さんの最も得意とするところだが、

この楽曲では、他の曲に比し、驚くほど、それを抑制しているように、私には思える。

アルバム『アヴェ・マリア』には、他に何曲か収録されているが、

“定型の解釈を拒む”というこの点において、

タイトル・チューンにもなっているこの楽曲だが、

(「VOCALIES」とともに)明らかに、「異質」である、と言えはしまいか。

ちなみに、ヘイリーさんの「AVE MARIA」を聴いてみよう。

You Tube動画)

http://www.youtube.com/watch?v=kQQSW35PrEY

ヴォーカル、オーケストレーション、共に、

スキの無い、完璧な美しさに満ち溢れている感がある。

言わば、「西欧的合理主義」を貫徹した、

“予定調和の世界”、とでも言えようか。

ヘイリーさんご自身も、非常に敬虔なクリスチャン、と伝え聞いているが、

美しく、そして、力強い、聖母を讃える歌唱だ

§満たされぬ心。

本田さんの場合はどうか。

チェロと、シンセサイザー他、という最小限の楽器構成、

加えて本田さんの、どこか異質なvocal

これを―

何も無い空間に「美」を見い出した、

「東洋的美意識」と言うのは、もちろん、言葉が過ぎようが、

ヘイリーさんの歌とは、真逆に、

どこまでいっても、気持が満たされないのである。

さしずめ、魂が、「無」の空間を、彷徨し続けるようだ。

神秘的なvocal、果てなく広がる「無」の時空、…

もしも…

何もない、「無の世界」が、この歌を象徴するものであるならば、

この「アヴェ・マリア」は、「感謝」でもなければ、また、「嘆き」にも非ず、

「祈り」、そのものかもしれない、と私には思えるのだが。(つづく)

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