« 「日本の8月」も終わりましたね----十五年戦争のこと。(前篇) | トップページ | 「日本の8月」も終わりましたね--十五年戦争のこと(付記) »

2008年9月 7日 (日)

「日本の8月」も終わりましたね----十五年戦争のこと。(後編)

(前回の続きです)

同じ日、こんなサイトにも出くわしました。

        ↓

中島飛行 剣 秘話

軍用機で、「剣」という名称を目にしたのは、初めてでした。

ちょっと、長いのですが、読んでみました。

終戦直前の、(軍人でもなく、また、一般国民でもない)技術者サイドのこうした文章に接した記憶は、私にはあまりありません。

お読みいただくと、おわかりになりますが、「剣」とは、

米軍の上陸作戦阻止用に、開発を企図された「爆撃機」です。
筆者の青木邦弘氏も書いておられますが、

資材はもちろん、設計・開発に要する時間も、十分でない時期に、

大変な苦労があったようですが、

「特攻兵器」ではなく、なんとか、兵士も、機体も、還って来てほしい

これが、「剣」設計チームの「信念」だったようです。

 

ただし……ですよ、この「剣」については、

着陸輪は投棄して(通常の「引き込み式」を設計する時間、製造にかかわる精度維持が、当時は極めて困難な状態であった)、「胴体着陸」を当初から予定、とのことなのですが、

 

飛行訓練も満足にできない時期であろうに、若年兵に無事、「胴体着陸」が可能か。

そのような機体の、企図するような再使用が、はたして可能か、

また、当時、“虎の子”ともいえる、エンジンに損傷は考えられぬか。

エンジンに被害はなくとも、プロペラの破損は免れないのでは。

「速力」を設計の第一目標にするため、いろいろな装備を省く、とあるが、

機体鋼板の軽量化等が当然、考えられ、

これこそが、パイロットの生命軽視につながらないか。

 

以上のことは、ただ単に、青木氏への非難、というよりも、

先の「海龍」の開発についても同じことが言えますが、

技術者の「最後の良心」といえども(「海龍」も、魚雷発射後は、母艦への帰還を想定されてはいた)

「時勢」、もしくは、「歴史」という、いわば「大河の如き激流」には、

人間の力など、まるで、無力なものなのでしょう。

氏の文章をお読みいただくと、分りますが、

当時は、政府も、軍も、もちろん国民も含め、全てにおいて、精神的にも、物理的にも「極限的疲弊状態」にあった、と思われます。

今現在の2008年における思考、感覚での判断は、必ずしも適当ではないかもしれないのですが……。

 

「剣」は結局、陸軍の審査をパスせず、実戦には使われませんでした。

(米軍人の名前をはっきりと覚えておられる青木氏が、当時の陸軍審査官の名前を明記されていません、これはなにか意味があるのだろうか)

そういえば、先に挙げた「海龍」も実戦への出撃はなかったと思います。

もちろん、「剣」、「海龍」が使用されなかったといっても、他の「特攻兵器」で多くの兵士が、命を落としていったのは、言うまでもありません。

§この「戦争を知っている子供たち」が希望の全てだった

過日、川井郁子さんのライブ・レポで、私は、

        ↓

SAPPARI WAYA: あのヴァイオリンこそ、「歌声」そのものです。~川井郁子さんライブ

----------------

「川井郁子さんの最新アルバムは、「新世界」。

次代の地球を担う、子供たちへの「生命の賛歌」―

これこそが、このCDのテーマです、とライブ当日、川井さんは語っておられました」

----------------

と、記しましたが、

もう一度、クリフォード・マッカーシー氏の写真に戻り…

 

“とにもかくにも、十五年にわたる戦争が終わった、

少なくとも、夜が来たら、家の灯りはつけることができるのだ”

1945年当時の国民は、そんな気持ではなかったでしょうか。

「8・15」を、「敗戦記念日」といわずに、「終戦記念日」というのは、

「戦争」からの、このような「解放感」があったからではないか、とは私の推測です。

しかし、その一方、国家は存亡の危機にあったのは事実。

「この日本民族の行く末はどうなるのか」

これも、全国民が等しく持ち合わせていた不安感の最たるものでした。

しかし、この写真、

       ↓

昭和毎日: 米兵が撮った1945年の東京 - 毎日jp(毎日新聞)

「海龍」と戯れる、この「戦争を知り尽くした子供たち」に、

当時の大人たちは、日本民族の未来、すべての夢と希望を託したのでしょう。

そして、

我が国は、史上稀な復興を実現してゆくことになります…。

ただ、今なお、この地上に戦火の絶える時はありません。

戦争により、真っ先に傷つくのは、いうまでもなく、子供たちです。

 

最後に、CD「新世界」に寄せられた、川井郁子さんご自身のメッセージの一部を紹介して、この稿を終えます。

 

大いなる自然の恵みと、愛情に守られて夢と笑顔いっぱいの子供たち…

それが近い未来に訪れる「新世界」でありますように!

新世界 新世界

アーティスト:川井郁子
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2008/07/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 「日本の8月」も終わりましたね----十五年戦争のこと。(前篇) | トップページ | 「日本の8月」も終わりましたね--十五年戦争のこと(付記) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

コメント

剣は昭和20年1月下旬に設計が始められ、一ヵ月半ほどで1号機が出来ているようですね。木製の部品もあり、100機あまりが作られたようです。胴体下部に爆弾を積める構造でしたが、機銃は装備されていない。物資が不足している中での製作者の苦労が伝わってきますが、同時に軍部の見通しの甘さと人命軽視の態度も見え隠れしますね。

投稿: TAC | 2008年9月 7日 (日) 23時48分

TACさんへ
>軍部の見通しの甘さと人命軽視の態度も見え隠れしますね。
同感です。この「剣」が、もしも実戦に参加していたら、ほぼ100%、「特攻」に使われたと思います。
陸軍審査官(青木氏が名前を秘していました)が、「OK」を出さなかったのは、もしかしたら、いや、本当に「もしかしたら」ですよ、
「もうこれ以上の犠牲者は----」
という配慮があったのかもと----いや、これはやっぱり、的外れですか。

投稿: てんけい | 2008年9月10日 (水) 11時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「日本の8月」も終わりましたね----十五年戦争のこと。(後編):

« 「日本の8月」も終わりましたね----十五年戦争のこと。(前篇) | トップページ | 「日本の8月」も終わりましたね--十五年戦争のこと(付記) »