「日本の8月」も終わりましたね----十五年戦争のこと。(後編)
(前回の続きです)
同じ日、こんなサイトにも出くわしました。
↓
軍用機で、「剣」という名称を目にしたのは、初めてでした。
ちょっと、長いのですが、読んでみました。
終戦直前の、(軍人でもなく、また、一般国民でもない)技術者サイドのこうした文章に接した記憶は、私にはあまりありません。
お読みいただくと、おわかりになりますが、「剣」とは、
米軍の上陸作戦阻止用に、開発を企図された「爆撃機」です。
筆者の青木邦弘氏も書いておられますが、
資材はもちろん、設計・開発に要する時間も、十分でない時期に、
大変な苦労があったようですが、
「特攻兵器」ではなく、なんとか、兵士も、機体も、還って来てほしい
これが、「剣」設計チームの「信念」だったようです。
ただし……ですよ、この「剣」については、
着陸輪は投棄して(通常の「引き込み式」を設計する時間、製造にかかわる精度維持が、当時は極めて困難な状態であった)、「胴体着陸」を当初から予定、とのことなのですが、
飛行訓練も満足にできない時期であろうに、若年兵に無事、「胴体着陸」が可能か。
そのような機体の、企図するような再使用が、はたして可能か、
また、当時、“虎の子”ともいえる、エンジンに損傷は考えられぬか。
エンジンに被害はなくとも、プロペラの破損は免れないのでは。
「速力」を設計の第一目標にするため、いろいろな装備を省く、とあるが、
機体鋼板の軽量化等が当然、考えられ、
これこそが、パイロットの生命軽視につながらないか。
以上のことは、ただ単に、青木氏への非難、というよりも、
先の「海龍」の開発についても同じことが言えますが、
技術者の「最後の良心」といえども(「海龍」も、魚雷発射後は、母艦への帰還を想定されてはいた)
「時勢」、もしくは、「歴史」という、いわば「大河の如き激流」には、
人間の力など、まるで、無力なものなのでしょう。
氏の文章をお読みいただくと、分りますが、
当時は、政府も、軍も、もちろん国民も含め、全てにおいて、精神的にも、物理的にも「極限的疲弊状態」にあった、と思われます。
今現在の2008年における思考、感覚での判断は、必ずしも適当ではないかもしれないのですが……。
「剣」は結局、陸軍の審査をパスせず、実戦には使われませんでした。
(米軍人の名前をはっきりと覚えておられる青木氏が、当時の陸軍審査官の名前を明記されていません、これはなにか意味があるのだろうか)
そういえば、先に挙げた「海龍」も実戦への出撃はなかったと思います。
もちろん、「剣」、「海龍」が使用されなかったといっても、他の「特攻兵器」で多くの兵士が、命を落としていったのは、言うまでもありません。
§この「戦争を知っている子供たち」が希望の全てだった
過日、川井郁子さんのライブ・レポで、私は、
↓
SAPPARI WAYA: あのヴァイオリンこそ、「歌声」そのものです。~川井郁子さんライブ
----------------
「川井郁子さんの最新アルバムは、「新世界」。
次代の地球を担う、子供たちへの「生命の賛歌」―
これこそが、このCDのテーマです、とライブ当日、川井さんは語っておられました」
----------------
と、記しましたが、
もう一度、クリフォード・マッカーシー氏の写真に戻り…
“とにもかくにも、十五年にわたる戦争が終わった、
少なくとも、夜が来たら、家の灯りはつけることができるのだ”
1945年当時の国民は、そんな気持ではなかったでしょうか。
「8・15」を、「敗戦記念日」といわずに、「終戦記念日」というのは、
「戦争」からの、このような「解放感」があったからではないか、とは私の推測です。
しかし、その一方、国家は存亡の危機にあったのは事実。
「この日本民族の行く末はどうなるのか」
これも、全国民が等しく持ち合わせていた不安感の最たるものでした。
しかし、この写真、
↓
昭和毎日: 米兵が撮った1945年の東京 - 毎日jp(毎日新聞)
「海龍」と戯れる、この「戦争を知り尽くした子供たち」に、
当時の大人たちは、日本民族の未来、すべての夢と希望を託したのでしょう。
そして、
我が国は、史上稀な復興を実現してゆくことになります…。
ただ、今なお、この地上に戦火の絶える時はありません。
戦争により、真っ先に傷つくのは、いうまでもなく、子供たちです。
最後に、CD「新世界」に寄せられた、川井郁子さんご自身のメッセージの一部を紹介して、この稿を終えます。
大いなる自然の恵みと、愛情に守られて夢と笑顔いっぱいの子供たち…
それが近い未来に訪れる「新世界」でありますように!
アーティスト:川井郁子
新世界
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2008/07/23
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コメント
剣は昭和20年1月下旬に設計が始められ、一ヵ月半ほどで1号機が出来ているようですね。木製の部品もあり、100機あまりが作られたようです。胴体下部に爆弾を積める構造でしたが、機銃は装備されていない。物資が不足している中での製作者の苦労が伝わってきますが、同時に軍部の見通しの甘さと人命軽視の態度も見え隠れしますね。
投稿: TAC | 2008年9月 7日 (日) 23時48分
TACさんへ
>軍部の見通しの甘さと人命軽視の態度も見え隠れしますね。
同感です。この「剣」が、もしも実戦に参加していたら、ほぼ100%、「特攻」に使われたと思います。
陸軍審査官(青木氏が名前を秘していました)が、「OK」を出さなかったのは、もしかしたら、いや、本当に「もしかしたら」ですよ、
「もうこれ以上の犠牲者は----」
という配慮があったのかもと----いや、これはやっぱり、的外れですか。
投稿: てんけい | 2008年9月10日 (水) 11時49分