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2007年9月22日 (土)

「ゴッドファーザー」(本田美奈子.さんへ捧ぐ)

「ゴッドファーザー~愛のテーマ」

(本田美奈子.さんへ捧ぐ) 曲:Nino Rota

           詞:てんけい

 

風に 想いが あるのなら

わたしの こころ 伝えてよ

果てない み空の 

雲の 彼方の あの人へ

 

雨降る 夜さえ 星空 探すわ

 

「いいえ… ひとりじゃ ないのね」と

そっと つぶやき 振り向けば

 

儚い 夜更けが

私の 窓を 濡らしてく

 

 

星に ひとみが あるのなら

あの日の 夢を 映してよ

遥かな ふるさと 

川のほとりの 夕暮れを

 

「いつまでも ふたりで 生きる…」と 誓った

 

だから ひとりに させないで

あふれる 涙 今日もまた

 

ふたりの この愛

 

銀河の涯(はて)に 咲く日まで

 

 ~~~~~~~~~~~

 4/18に、本田美奈子.さんのCD「クラシカル・ベスト」の御紹介のとき、

SAPPARI WAYA: 20074

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ところで、私は、本田さんがどのような詞を書かれたか、ずっと興味がありましたが、やはり、「天才」本田美奈子.さんは、私の予想とは全く違った、独自の詩界を展開されてらっしゃいました。

(実は、私も、「ゴッドファーザー~愛のテ-マ」に詞を書きかけていましたが、恥ずかしくなりましたので、やめます<苦笑>。)

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などと、書いたのですが、

思うところあり、拙詞の掲載に至りました。

 

かって、本田さんの掲示板において、Mさんより、

「音楽におけるメッセージ性、というものについて、どう思うか」

という、問題提起があった際に、私は、

 

「音楽を聴いているときは、『言葉』には、たいして神経を払っていない」

という旨の返事を書いたと思うのですが、

 

どうも、そうでもないように思えてきました。

 

もちろん、詞を伴わないインストルメンタルは、別として、案外、「コトバ」の存在は、意識的、無意識的にも、大きいものがあるのかもしれないと、考えているこの頃です。

 

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さて、本田美奈子.さんは、一流の「声楽家」であることは、もちろんですが、このまま、お仕事を続けられたなら、「詩人」としても、名を成しえたことでしょう。

 

本田さんのクラシカル・クロスオーバーは、

 

「クラシックに、日本語の詞をつける」

 

というものです。本田さん以前にも、このような試みは、どなたかの手により、なされたような記憶もあるのですが、今現在、ちょっと思い出せません。(苦笑)

 

 

6/4、羽田先生の訃報に接したとき、

SAPPARI WAYA: 20076

近年の「クラシック・ブーム」は、私的な見解では、

本田美奈子.さん と、「のだめ」と、TVにおける羽田健太郎氏のご活躍の賜物、と考えていたのだが(偏狭な考えかも、ですが)。

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と、記しました。

 

試行錯誤の末に、ようやくたどり着いた、その道の半ばにして、夢を断たれた、本田さんの御無念は、筆舌に尽くせません。

 

さて、彼女のクラシカル・クロスオーバー路線の成功の因のひとつとして、昭和~平成を通じての大作詞家、岩谷時子氏の存在が挙げられることは、間違いないでしょう。

岩谷先生は、素晴らしい日本語詞の創作により、本田さんの新たな世界を切り拓くことに、実に多大な貢献をされました。

 

~~~~~~~~~~~~~~

ときに、小生の「ゴッドファーザー~愛のテーマ」ですが……

 

アルバム「時」に収められた、本田さんのscatによる、「ゴッドファーザー~愛のテーマ」を聴きながら、想を練ったのですが… 

 

何ヶ月も費やしたわりには、どうだかなあ、「湿っぽい」しねえ…

 

「本田美奈子.さんへ捧ぐ」なんて、書いているけど、“女性コトバ”になってしまい…

 

本田さんからは、「わたし、こんなに、“泣き虫”じゃないから!」

なんて、「お叱り」を受けそうだし…

 

今は、ただただ、己の非才を嘆くのみです。

~~~~~~~~~~~~~~

「クラシカル・クロスオーバー」に戻りますが、

 

最近、私は「絵本」を、連想しています。

 

みんな、子供の頃は、まず、「絵本」を手にしましたよね。

 

成長につれて、「絵」と「文字」の地位が逆転して、

「挿絵」付きの本になり、

やがて、「文字」だけの書物へと変わっていくのですが、

 

ある意味、「クラシカル・クロスオーバー」って、「絵本」みたいなもの…

 

なんて、考えたりしているこの頃です。(むむ、「稚拙」な「暴論」だ)

 

いずれにせよ、日本語詞により、クラシック音楽に関心を持たれる方が増えたなら、結構なことでしょう。

 

本田美奈子.さんって、たいそう、大きな“実験”に着手されていたんですね。

 

で、……「てんけい」も、次回は、クラシック曲に、詞をつけてみます。(笑)

(アホ、やめとけ、やめとけ)  (おしまい)

 

(付記)

ニーノ・ロータのこの曲、映画公開時も大ヒットしました。

本当に、綺麗なメロディーラインです。

そして、星の数ほどのたくさんの歌手の方が、歌っておられますね。

また、ピアノや、バイオリン等等、さまざまな楽器のアレンジでも、楽しめます。

 

本日は、他のアーチスト、オーケストラには、ご遠慮願い(笑)、

本田美奈子.さんの「ゴッドファーザー~愛のテーマ」に絞ります。

 

アルバム「時」では、スキャット、また、

 

「天に響く歌」では、本田.さん御自身の作詞による歌唱が、鑑賞できます。見事な詩です。

時 本田美奈子.クラシカル・ベスト~天に響く歌~(DVD付)

 

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コメント

てんけいさん、こんにちは。JIROです。

この詩(「詞」ではなく敢えて「詩」と書きます)、実に美しいですね。感動しました。 てんけいさんのロマンチシズムが見事に現れていると思います。この歌の昔の日本語歌詞、「遠い世界の片隅に・・・」よりもずっと良いと思います(僭越な云い方で失礼ですが)。

>何ヶ月も費やしたわりには、どうだかなあ、「湿っぽい」しねえ…

と仰いますけれども、この歌は、切ない、悲しい歌なのですから、陽気な言葉は相応しくないですよ。てんけいさんの詩はぴったり合っています。本田美奈子さん読んだら喜ぶでしょう。

人の作品を批評するのは簡単ですが、じゃ、あなた、自分で書けるの?と問われたら、大抵のひとは俯いてしまう。私は散文的な人間ですから、とてもこのような美しい詩は書けません。兎に角、非常に感じ入りましたので、突如お邪魔してしまいました。

乱文、何卒、ご容赦のほど。

それでは、失礼致します。

投稿: JIRO | 2007年9月23日 (日) 11時59分

てんけいさん、おじゃまします。
泉の如く溢れるてんけいさんの才能に感服しております。 素晴しい。

てんけいさんに問題提起をなさったMさんとは、おそらくクラシックに造詣が深いあの方だと思います。 てんけいさんはMさんのことをお考えになられた上でそのようなご回答をなさったのではないでしょうか。

私は十代のころ、作詞と作曲のどちらが素晴しいかと問われたならば作曲だと答えていたでしょう。 それは、作詞は言葉をつなぎ合わせたものだけど、作曲は何もないところから作り出されるものだから作詞家よりも作曲家のほうが素晴しいと思っていました。
しかし、二十代になって作詞が〔言葉〕の組み合わせならば、作曲も〔音〕の組み合わせで、どちらも才能がなければできないことで、それは素晴しい芸術である。と考えが変わりました。

美奈子さんのヴォイストレーナーをなさっていた岡崎さんは「彼女は音楽を通して何かをしようとしていたのでは。」と仰いました。 私は、美奈子さんは音楽の力で親善大使のようなことをなさりたかったのでは、と思います。 ただ、そこには野心というものはなく、世界に音楽で平和の輪をつくろうとなさっていたのでは、などと勝手に想像をしてしました。

投稿: 西日本 | 2007年9月23日 (日) 17時13分

文章の最後に誤植がありました。

× してしました。

○ してしまいました。 

投稿: 西日本 | 2007年9月23日 (日) 17時21分

JIROさんへ こんばんは。
ようこそ、こんな「わやくちゃ」なブログに、おいでくださいました。
しかも、御忙しい中、コメントまでいただき、感激して居ります。

>私は散文的な人間ですから、とてもこのような美しい詩は書けません。
いえ、これは、御謙遜かと存じます。常々、JIROさんの記事は、拝読しておりますが、理路整然、加えて、非常に美しく、かつ、正確な日本語を、綴っていらっしゃいます。

 私も、そのような文章を書きたいものだ、と思ってはいるのですが、いやー、なかなか-----。知力、あ、これは、もともと無いのですが、体力、気力の衰えは感じますねー-----。中でも、「気力」、これが小生における、一番の問題かもです。(苦笑)

 過分なお褒めをいただき、光栄です。何よりの励みになります。
 有難うございました。

投稿: てんけい | 2007年9月23日 (日) 23時58分

西日本さんへ こんばんは。コメント、有難うございます。
>泉の如く溢れる------
ハイ、溢れておりません。(苦笑)でも、今後の励みにさせていただきます。

「音楽とメッセージ」という、いわば「古くて新しい問題」が、心にひっかかってきたのは、うーん、美奈子さんの歌でも、勿論そうでしたが、平原綾香さんの「スタート・ライン」「クリスマス・リスト」を聴いた辺りから、再び、私の中で、「大きな課題」になってきました。けどねー、これ、小生如きの手には負えぬ“難題”かもしれません。(笑)

>美奈子さんは音楽の力で親善大使のようなことをなさりたかったのでは、と思います。
そうですね、西日本さんのおっしゃるように、彼女は、「音楽の向こう側にあるもの」を、しっかりと、見据えていらっしゃったように、私も想像しています。

オードリー・ヘップバーンといえば、私のような世代の憧れの的でした。彼女が銀幕から遠ざかってから、アフリカ等を訪問された際の映像は、ご覧になられたことがあると思いますが、私は、10年、また20年後の美奈子さんのイメージを、重ねることがあります。
え、「違います」って?スミマセン、失礼しました。(苦笑)

投稿: てんけい | 2007年9月24日 (月) 00時02分

てんけいさん、おじゃまします。
もしも世の中の音楽が全てインストゥルメンタルだったら〔詞〕は不必要で、メロディーの美しさに涙することはあっても、これほどまでに様々な曲で、多くの人の喜怒哀楽の感情を刺激することはなかったでしょう。
たとえば私は『ジュピター』が素晴しい応援歌だと思ってしまうのは〔詞〕の力に依るものだと言っても過言ではないと思います。 もっとも、岩谷さんの詞と、井上さんのアレンジと、美奈子さんの歌唱が結集して生まれたものですが。

美奈子さんがなさりたかったことは、てんけいさんの仰るようにオードリー・ヘップバーンさんの活動に近いものがあったと思いますが、コピーではなく、美奈子さんにしか思いつかないオリジナルなものになっていたのではと思います。

話は変わりますが、MFWに美枝子さんがスレ立てをなさい、てんけいさんがレスされておりました。 私もしました。
今はまだ一方通行ですが、やがてお母様とやり取りができる日が来ると思っています。

投稿: 西日本 | 2007年9月24日 (月) 14時21分

西日本さんへ
>たとえば私は『ジュピター』が素晴しい応援歌だと思ってしまうのは〔詞〕の力に依るものだと言っても過言ではないと思います。

確かに、おっしゃるとおりですね。ただ、「音楽」だけでも、「コトバ」を超越して、人間の感情そのものに働きかける、ということもまた、あるのでしょう。
こうなると、「大脳生理学」の分野かしらん。(苦笑)

>美奈子さんにしか思いつかないオリジナルなもの

これは、私もそう思います。なにしろ、彼女、「天才」ですから----。
突拍子もないことを言い出して、高杉氏や、美枝子さん、大あわて--------なあーんてね。(笑)

>美枝子さん

いやー、この「気力」、特に私など、見習うべし、です。

投稿: てんけい | 2007年9月24日 (月) 22時07分

こんばんわんこ(^-^)\

いや

ごっどファーザーの詩 
イイかも!!\(^O^)ノ

投稿: きょろちゃん☆ | 2008年2月 6日 (水) 20時07分

きょろちゃん☆さんへ こんばんは。

かような、むさ苦しいブログへ、ようこそおいでくださいました。
なおかつ、コメントまで頂戴して、ただ「嬉しい!」の一言に尽きます。
本当に、有り難うございました。

投稿: てんけい | 2008年2月 7日 (木) 17時07分

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