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2007年1月17日 (水)

1・17の記憶 阪神淡路大震災(その1)

この時期、やはりあの日、「1・17」について触れないわけにはいかないのかもしれぬ。あまり、書きたくもない、というか、「頭の中の消しゴム」が大きくなって、記憶もずいぶんと怪しくなってきたのも事実。頭が「消しゴム」に占領される前に書いてみよう、と思った。ちなみに、今年は十三回忌にあたる。

私は、母と二人暮らしだった。私の家庭に限っていえばなのだが――あの惨事の中、二人とも無事だったのは、まさに運がよかった、としか言いようがない。

 母は、「その時」私鉄のホームに居た。線路がムチのようにしなる様を見た、という。とても立っていられず、しゃがみこんでいた。地震がおさまって、階段を下り、改札口のある1階へ行った。柱から、鉄筋がむき出しになっていた。外へ出ると、風景が一変していた。ほんの数分前までは、駅の前にあった商店街が消えていたのである。それから、どういう道を通って自宅にたどり着いたのかは、全く覚えていない、という。

私は、というと、「その時」は会社に居た。「ドカーン」という耳が壊れそうなものすごい音がして、激しく振動した。私の第一感は、「爆弾」ないし「爆発」であった。私はカウンターの下に身を隠した。停電であたりは、真っ暗である。誰かが、駐車車両のヘッドライトをつけよう、と叫んだ。惨状が徐々に誰の目にも明らかになってきた。2階部分を支えるコンクリートの柱からは、やはり何本もの鉄筋がむき出しになっている。地面は全体として1m近く落ち込んでいたと思う。至るところで、亀裂と陥没が起きている。広場があったので、皆、外へ出たが、しばらくして、水が地面全体を覆いだした。「津波だっ!」その声にいっせいに逃げ出した。“もう、ダメかもしれん” 私は、正直、そう考えた。もし、本当に津波が襲っていたならば、私も命を落としていたことだろう。それが津波ではなく、埋立地特有の「液状化現象」である、と知ったのは後日のことである。私は階段を全速で駆け上がり、2階の駐車場へ向かった。

先に書いたように、津波は来なかった。これこそ、「不幸中の幸い」だった。2階の事務所もめちゃめちゃな状態であった。“コンピューターは大丈夫のようだ”と思ったのは覚えている。飼い猫が「ニャーニャー」と泣き叫んでいる。猫も無事だったようだ。

「阪神高速が倒れている」と、社員の一人が言った。「ウソをつけ」即座に否定したのは私である。「日本の高速道路はロス級の地震がきても大丈夫」が“常識”ではないか。が、しかしそれは、ウソでもデマでもないことがわかってくる。「市内の方々で火事が起きている」ともいう。事の重大性が、ようやくこの私にも呑み込めてきた。社員は三々五々、会社をあとにして、自宅へ帰っていった。家族の安否がなによりも気がかりである。私も何度も自宅に電話をかけるが、誰も電話口に出ない。ますます心配になってくる。(出ないハズ、である。前述のように、母は家には居なかったし、電話機は全壊した家屋の下敷きになっていて、誰も受話器を取ることなど、不可能だった)

私はただ一人、最後まで社に残っていた。“一斉に会社を出ても、道路が混むだけだ”。というより、心の動揺を静める時間を要した、というのが本当のところだった。駐車場へ出て、西の方を見ると、黒煙が4-5本、立ち上っていたと記憶する。「オレの家はどのあたりだろう」ただ、呆然とした想いでその煙を眺めるだけだった。

事務所に帰ると、電話が鳴っている。山の手の方の得意先からである。「あの、今日は配達がないんですか」「いや、こちらは地震で、とてもそれどころでは……」「何時になってもいいんですけどね」……こんな会話をしたように思う。“北のほうは、被害が少ないらしい”と想像できた。次に、氷上郡の得意先からも電話があった。「明日は、営業するの?」……私はなんて答えたのか、覚えていない。…

10時頃だったか、会社を後にして、国道43号線に出た。確かに阪神高速の橋脚は北側へ完全に倒壊していた。聞いてはいたが、いざ自分の目で見ると、全身を震えが襲った。信号機は停電で役に立たない。(そのときは既に、警官が出動していて、手信号で交通整理をしていた、と思う)国道2号線もひどいものだった。建物が道路側へ倒れこんでいて、左車線はほとんど塞がっている。電柱、信号機も倒れ、切れた電線はぶら下がっている等々、走行は思うにまかせない。我が家の近くの、かって威容を誇ったボウリング場すらも、半分崩れ落ちている。“だめだ、あのボウリング場がこれでは…”そのとおり、木造の自宅には望みなどあるはずがない。運転中、頭にあったのは、母の葬式のことばかりだった。(つづく)

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