2024年3月31日 (日)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(41)~~~~~~~~~ 「戦艦『大和』反転の真相」深井俊之助氏(その7)

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Amazon 戦艦「大和」反転の真相

 

(前回よりのつづきです)

 

レイテ沖海戦は194410月のことでしたので、

今年はちょうど80年目にあたります。

 

さて、本書「戦艦『大和』反転の真相」を通読した際は、

“なるほど、これは有力な説かも”

と感じたのですが、もちろん一部に“疑問”な箇所もありました。

 

2023年11月の記事において、

本書の深井俊之助氏の主張を引用しました。

つまり、氏の論としては、

「『ヤキ1カ電』は、ねつ造であり、

そもそもレイテ湾に突入するつもりは

なかったのではないか」ということですが、

その理由を再掲します。

 

*************************

1.優秀な「大和」の通信機器・通信班では受信していない。

2.通信要員が一部しかいない栗田艦隊の通信班が受信したと。

  (出発して早々に旗艦「愛宕」が沈められたため、栗田艦隊司令部は

「大和」に移乗していました)

3.発信者も受信者も記されていない電報など存在し得るか。

*************************

 

深井氏は、本書中で他にも論点を述べられていますが、

ド素人の私でも、“そこはどうか---”と思い、

あえて紹介しませんでした。

本日はそれらを紹介してみます。

「『栗田艦隊の反転』は予定どおりだった」

という深井氏の推理の根拠です。

 

(引用開始)*************************

小澤艦隊については、

「旗艦を軽巡『大淀』に変更」

との電報から、

空母を沈められた代償におとり任務をまっとうしたと

私は確信していた。

*************************(P.200

 

栗田艦隊の参謀たちは、

小澤艦隊のおとり作戦が成功していたとは、

判断していませんでした。

あとひとつ。

 

(引用開始)*************************

レイテが見えそうな距離まで進撃しながら

(栗田艦隊が)反転した位置と時間である。

これは、海図で見ると翌日にシブヤン海を通って

パラワン水道の西へ抜けて敵の航空攻撃を避けうる、

じつにきわどいタイミングである。

*************************(P.212

 

当初の計画に従って、レイテに向かわずに反転したのだ、

という主張として、上記のように書いておられます。

 

 

まず、最初の「小澤艦隊の電報」から。

さすがに、この文面で「作戦成功」と読み取ることは

難しい、と思います。

それならば、前もって“暗号”を決めておくべきだったと

思いました。

「捷一号作戦」などと仰々しい名前を付した割には、

こんな基本的(かつ最重要)なことも

なされていなかったのでしょうか。

 

次に、「反転した位置と時間」です。

当時の栗田艦隊は、味方にせよ、敵にせよ、

正確な位置や戦況など、とても把握出来ていなかったのが実情です。

ですから、これはさすがに「偶然」であり、

戦後、両軍からの検証を得て導き出された

“結果論”に過ぎないと考えます。

 

話は戻りますが、「ヤキ1カ電」とは本物なのか、

また、ねつ造だったのか。

これは永遠の謎かもしれません。

 

ただし、深井俊之助氏が、非常な力点を置いて

述べておられた一文がありますので、

これだけはぜひとも引用しておかねばなりません。

 

(引用開始)*************************

余談だが、一部戦後の記録には

この電文いわゆる「ヤキ1カ」電を

「敵 機動部隊見ゆ」としているものがあるが、これは違う。

たしかに私が見たものは、

「敵 大部隊見ゆ」だった。

*************************(P.202

 

ここら辺りに、この電信の謎を解くカギはないものか、

とも思うのですが、どうでしょうか…         (つづく)

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2024年2月29日 (木)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(40)~~~~~~~~~ 「戦艦『大和』反転の真相」深井俊之助氏(その6)

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Amazon 戦艦「大和」反転の真相

 

(前回よりのつづきです)

 

「前回」と申しましても、2ケ月ぶりに、

レイテ沖海戦の話題に戻ります。

 

「ヤキ1カ(『やきいちか』と読みます)電」の謎は深まるばかりで、

深井俊之助氏の主張のように、

ねつ造であるかどうかは、私自身は何とも言えません。

 

「ヤキ1カ」電。

それは一体、何だったのでしょうか-----

 

 

Wikipediaを読みますと

~~~~~~~~~~

「ノキ5ソやヤンメ55というヤキ1カの近くで、ほぼ同時刻に敵を発見したという情報は第二航空艦隊や第六艦隊、軍令部など他部隊に伝わっている---

~~~~~~~~~~

と記されています。

 

本書「戦艦『大和』反転の真相」には、

フィリピン海域の地図と、位置を特定する

日本海軍の縦軸・横軸の記号(数字とカタカナ)が示されていますので、

それを使って、それぞれの場所を調べてみました。

更にまた他のサイトでは、「ヤル1カ」を示した電報もあったといいます。

 

ところで----

私は12月の記事で、

「米機動部隊発見という電報は、5種類ほど存在するらしい」

と書いたのですが、これだと4種にしかなりません。

“あとひとつ”は何処へいった?それが今、わからない。(苦笑)

 

※「ノキ5ソ」から。

まずこの電文の最後の文字「ソ」が

本書の地図の凡例に該当がありません。

ただ、概略の位置の判定には「ノキ」だけで十分です。

 

※「ヤンメ55

これも「メ」が本書の凡例に依りますと、

見当たらない文字で、意味不明なのです。

素人考えでは記号の「×」のことかな、などと思いましたが、

ともかく「ヤン」を位置判定に使いました。

 

2023年1130日の本シリーズ記事(その4)において、

「私はWikipedia100%正確であるとは思っていません」

と書きましたが、これがその例なのか、あるいは、

本書の図面のほうが間違っているのでしょうか。

 

※「ヤル1カ」

「他のサイトで見ました」と書きましたが、こちらのURLです、

ヤル1カと栗田艦隊 - Togetter

2016年12月のK2Wさんの「ブログ」(合ってる?)を

参照させていただきました。

 

 

「ノキ5ソ」は、問題となっている「ヤキ1カ」のすぐ近くで、

栗田艦隊との直線距離は、いずれも約100km内外。

 

「ヤンメ55」は栗田艦隊から見て、

北の方向にかなり遠方で、約500km

「ヤル1カ」はそれの更に北方で、約560kmでした。

 

栗田艦隊と最も近距離なのは「ヤキ1カ」で、

レイテ突入を中止、反転して、そちらへ向かうことを決断します。

しかし、目標とした敵艦隊は居なかったのでした。

 

ヤル1カと栗田艦隊 - Togetter

に拠りますと、「ヤル1カ」には確かに米機動部隊

(第38任務部隊 =Task Force 38)

が存在していたといいます。

そして、「ヤル1カ」電のモールス信号の受信時に、

「ヤキ1カ」と取り違えたのではないか、

(ちょうどサマール沖海戦の真っ最中で、騒音と振動が猛烈であった為)

という説を紹介されていますが、大いにあり得る事だと思います。

 

一方、「ヤキ1カ」「ノキ5ソ」については、

友軍偵察機が栗田艦隊を米艦隊と見間違えたのではないか、

という説が有力です。

現実に、栗田艦隊は日本軍機から攻撃を受け、

あわてて日章旗を掲げたということもあったとのこと。

 

いったいモールス信号の誤通信、また偵察機の誤認、

というようなことが起きる頻度は、どの程度のものだったか気になります。

 

レイテ沖海戦は終戦1年前のことですから、

このとき、既に日本軍は、

多くの熟練のパイロット・兵士を失っていたのは事実。

 

なお、私が今回初めて知ったことを。

当時の電信ですが、一旦、中継基地へ送られていたのだそうです。

ですから、60分乃至それ以上のタイムラグが生じるのは、

全く普通のことであり、

このような通信環境は日米双方に共通であったと。

 

小学生ですらスマホを持っている現在からは、

想像が出来ない状況でありました。      (つづく)

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2024年1月31日 (水)

忘れようとして(64)~統一教会と木原事件が最重要。

「戦艦『大和』反転の真相」のつづき、の前に少しだけ・・・

忘れる前に、書いておきます。

 

自民党の政治資金パーティーをめぐっての

“裏金疑惑”の捜査は、

文字通り「大山鳴動、ネズミ一匹」の状態で終了しました。

 

エックス(旧ツイッター)では、

#検察がんばれ」の文字も踊っていましたね。

ただ、今回の結果はほぼ想定どおりでした。

(「ほぼ」と書いたのは、“五人衆”の内、一人くらいは----と)

 

というのも、伊藤詩織さんの事件、

名古屋入管でのウィシュマさん死亡、

袴田事件の再審のことなどを思い出せば。

 

おっと、森友学園と桜を見る会もありました。

そのような流れの中、

まさか検察が豹変するとも思えません。

 

まだ検察審査会という段階が残っていますが、

庶民にはやり切れない思いがつのるばかりの今日この頃です。

 

 

よく聞かれた言葉に、

「政治にはカネがかかる」というのがありますが、

私流に申せば、

“それは『本末転倒』である”といえます。

 

なぜか。

 

「政治にカネがかかる」と云うと、

政治が「目的」で、カネが「手段」なのですが、

現在の政治家連中のホンネは、

カネが「目的」で、政治は「手段」に過ぎないのです。

 

殆どの議員どもにとっては、

“国民の生活”とか、“国家の将来”などは、二の次・三の次であり、

むしろそれらは、自身の蓄財のための方便でしかない。

 

要するに、「政治家」ではなくて「政治屋」。

我が国に、二世・三世議員が多い理由がこれで判りますね。

 

政治資金規正法を変えるにしても、

「政治屋」どもにマトモな法改正ができるハズがありません。

なぜなら、泥棒が巡査を兼ねているのと一緒だからです。

 

また「派閥をなくす」云々には、興味はありません。

決してなくならないでしょう。

 

 

忘れぬうちに、まとめておきます。

~~~~~~~~~~~~~~

  1. 派閥などどうでもいい。また、なくならない
  2. 泥棒が巡査を兼ねている連中の作る法律は、抜け穴だらけ
  3. なにより、カネが第一目的のヤツらばかりが議員をやっているのだ、                               そこから改めないと解決が無い。

~~~~~~~~~~~~~~

 

そんなことより、私が最も問題にしたいことといえば----

ひとつは、旧統一教会のこと。

自民党は、どうしても、ココと縁を切る気はないと見えます。

 

旧統一教会は日本の政治の骨格も、方向性も歪めてしまっている、

そう私は判断しています。

 

ついでに----

これは私の妄想ですが、

今回、検察にアゲられた会計責任者・秘書等の人たちは、

統一教会から送り込まれたのではないか。

だって、議員、または会計責任者のどちらか、または両者が

それぞれを相手取って訴訟を起こしても、なんら不思議ではないでしょ。

双方ともおとなしくしているのは、不自然でしかありません。

 

あとひとつは、木原事件。

週刊文春のみが報じているのですが、

他のマスコミは、ずっと口をつぐんだままです。

これは張本人たる木原氏の事件性もさることながら、

メディアの姿勢こそが問われていることでもあります。

 

はっきり言って、政権への忖度。

 

“第四の権力”といわれるマスコミのだらしなさが、

権力の暴走(特に安倍政権以降)を許してしまい、

さらに、司法・検察すらも、

政権におもねるだけの組織になってしまいました。

 

と、ここまで書いてきて、

やはり最大の課題は、

私たち国民の側にあります。

韓国国民や、フランス国民を見習って、

もっと怒りの声を上げねばなりません。

 

今年は総選挙がありそうな予感がしているのですが、

まずは、棄権をせずに、

自民、国民民主、維新、公明(自国維公=地獄いこう)には

投票しないこと。

 

現在の岸田内閣の「支持率20%台」は、

あまりにも高過ぎます。

私ならどう見ても、ひとケタ以下の代物。

今年は「考えて行動する有権者」を心がけましょう。

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2023年12月31日 (日)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(39)~~~~~~~~~ 「戦艦『大和』反転の真相」深井俊之助氏(その5)

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Amazon 戦艦「大和」反転の真相

 

(前回よりのつづきです)

 

「ヤキ1カ電」についての深井氏の説は、

確かに理論的・原則的にはそのとおりなのですが、

現実問題として、それぞれに、

“いや、必ずしもそうとばかりは言えないのだ”

といった反証が、Wikipediaには書かれています。

 

「『理論』と『実務』は違うのだ」ということですね。

 

特に、この場合の「実務」は、(イヤな言葉ですが)

極限状態=“命のやり取り”をしている「戦場」にあるのです。

当時、栗田艦隊は数度にわたる空襲を受け、

「大和」のみならず全ての艦艇が混乱の極にありました。

言うまでもなく「大和」は、当時最高の装備、機器を備えていましたが、

米機による攻撃で、通信設備は甚大な被害を生じていたというのです。

 

「ヤキ1カ」の地点ではないのですが、

その周辺の海域に米機動部隊発見、

という電報は、5種類ほど存在するらしいのです。

また、「大和」は受電していないものの、

他艦では受信出来ていた電信もあるといいます。

 

Wikipediaを読んでいきますと、

“うーむ、深井氏の結論に揺らぎが----

私は、そんな思いに傾いていきました。

 

また、深井氏は本書中に、「栗田艦隊反転」当時に

「大和」指令室内で深井氏たちが上官たちと交わした会話や、

艦橋内の人員の配置図も再現しておられますが、

Wikipediaには、“いや、そのような会話は無かった”

という証言もあります。

 

“一体、何が真実なのだろう?”

 

深井氏と共に参謀達に抗議を行ったとされる2人は

共に戦死されました。

 

「大和」航海長の津田弘明(ひろあき)大佐は、

同じ空間にいました。

氏は戦後もご存命で、深井氏が岡山に居た頃、

会って何度も話されたといいます。

津田氏は「あれは行けばよかったな」(=レイテ湾に突入すべきだった)

と洩らしておられたと、深井氏は書かれています。

残念ながら、津田氏は身体が丈夫ではなく、

若くして亡くなられたそうです。

 

また、当時、乗員の尊敬を一身に集めていたといわれる、

「大和」艦長の森下信衛(のぶえ)大佐も、

やはり、現場に居合わせていました。

戦後のある時期に、深井氏は、

彼と会う約束をされたのですが、たまたま、そのときに

森下氏が体調を崩されてしまい、面談は実現せず、

その後ついに、氏は他界されてしまいました。

 

なにしろ80年前の出来事、

新しい事実はもう、出て来ないかもしれませんね。----

 

本書を読了して、深井氏の記憶力、頭脳の明晰さには感服しました。

なにしろ、今でもiPadやスマートウオッチを使いこなしておられる、

というのですから、“ITオンチ”の私なんぞは、

足元にも及びません。

 

しかし、初めて読んだとき、違和感を覚えたのが1か所ありました。

捷一号作戦時、“おとり”を務めた小澤艦隊の司令官、

小澤治三郎(じさぶろう)中将から

短刀を贈られた、というくだりです。

 

~~~~~~~~~~~

S19.10.18から数日前のことだったと思う。

その際、士官室に集められ森下艦長から手渡されたはずだ。

~~~~~~~~~~~(P.223

 

文末の「はずだ」。

こんな曖昧な書き方をされているのは、

本書中で、この箇所だけです。

Wikipediaで、某氏の以下の記述が紹介されていまして、

その理由が判明しました。

 

~~~~~~~~~~~

「大和」は捷号作戦が作成された時点で既に外地にいて、

内地にいた小沢中将と深井が合い(ママ)、

軍刀をもらうことなど出来ない

~~~~~~~~~~~

 

この某氏の反論を受けて、深井氏はTV・講演で話していた内容を

書籍化の際に、修正されたということのようです。

 

Wikipediaだけではわかりませんが、この某氏の議論は、

“そもそも、深井氏は指令室には現れなかった”

ということかもしれないと考えました。

 

それはそうと、Wikipediaの記述に、

~~~~~~~~~~~

(某氏は)「最近大和の元高級将校と自称する人物」

と遠回しに深井を名指し

~~~~~~~~~~~

というくだりを読むと、彼にちょっとした「悪意」を感じます。

 

 

これはあくまで一般論として、ですが、

人間の記憶なんて、実にアテにならないものです。

そんなことを、

このたび、レイテ湾海戦について考えてみて痛感しました。

 

敗戦時、軍関係者は機密資料を一斉に焼却処分しました。

 

でも、平時の現在は、公文書は日本国の貴重な歴史史料として、

国民全体の共有財産なのですから、

大事に扱わなければいけない。

然るに、現政権は公文書を

改ざん、破棄、あるいは、最初から作成しない、

という目茶苦茶なことを堂々とやっている。

これだけでも、現政権の不信任に足る十分な事由です。

                       (つづく)

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2023年11月30日 (木)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(38)~~~~~~~~~ 「戦艦『大和』反転の真相」深井俊之助氏(その4)

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Amazon 戦艦「大和」反転の真相

(前回よりのつづきです)

 

栗田艦隊は、なぜレイテ湾に向かわずに、反転してしまったのか。

戦後、深井氏はこの件について、独自に調査を積み重ねてこられたようです。

そして、本書での結論は、

 

「『大和』司令部に乗艦していた

作戦参謀:大谷藤之助(とうのすけ)中佐が電報をねつ造した」

 

ということでした。

その電報とは?

所謂、「ヤキ1カ電」といわれる電報です。

 

Wikipediaで当該電文を調べてみますと、

0945スルアン灯台5113浬ヤキ1カ機動部隊アリ」

と、あります。

 

一方、本書の深井氏による記述によると、

「敵 大部隊見ゆ ヤキ一カ 〇九四五」(P201)

また、

「栗田艦隊の北90キロメートルに敵大部隊あり、

地点ヤキ一カ、〇九四五」(P188

とも紹介されています。

 

3種類も見ると戸惑ってしまいます)

 

電報のフォーマットをネット検索してみました。

深井氏が漢数字を用いておられますので、

おそら戦闘日誌等と同じく、縦書きなのだろう、と思っていましたが、

どうやら、その通りで、

「軍用電報送達紙」という印刷用紙が使用されていたらしい。

 

右端にタテ長に受信人・発信人の欄があり、

上部に発所、着所・受信手、及びそれぞれの月日・時刻・所在地の欄が

あります。(他にも欄がありますが判読不能でした)

残りの空白部分に電文を記入する、といったフォームでした。

なお、通信手段としては、モールス信号が使われていたようです。

 

さて、数字の「0945」は時刻、「ヤキ1カ」は位置を表す記号です。

「ヤ」が横軸、「キ」が縦軸で「1カ」は更に

その該当した“マス目”を、更に16分割して、

その内の1部分を特定しています。

 

電報に書かれた位置の米艦隊と戦うために、

レイテ湾とは反対方向に舵を切った、ということですね。

 

深井氏が、その「ヤキ1カ電」をねつ造であると断じた理由は

次の3点。

 

*************************

  1. 優秀な「大和」の通信機器・通信班では受信していない。
  2. 通信要員が一部しかいない栗田艦隊の通信班が受信したと。

  (出発して早々に旗艦「愛宕」が沈められたため、栗田艦隊司令部は「大和」に移乗していました)

  1. 発信者も受信者も記されていない電報など存在し得るか。

*************************

 

上記の深井氏の結論は、私には「初見」でありましたが、

“レイテ湾海戦について、現場の兵士による

こんな明白な説が展開されているのだから、

この本は、さぞ大ベストセラーになったのかな“と思いましたが、

どうだったのでしょう。

(小生、新聞・TVはこのところ御無沙汰していますので、

世間の情勢には疎いものでして)

 

とにかく、レイテ沖海戦 - Wikipedia

をチェックすることにしました。

 

*************************

ちょっと横道にそれますが、

私はWikipedia100%正確であるとは思っていません。

でも、参考に資するには重宝なことが多いです。

 

あと、特記しておくべきことがひとつ有りますので。

 

日本語版ウィキペディアの歴史修正主義」という問題ですね。

この件、数年前からあったのですが、

たぶん―今も存在していると思っています。

具体的には、先の大戦に関した項目で頻出しており、

例えば、「731部隊」とか、所謂「慰安婦」ですとか「南京事件」等々。

 

ごく最近々の事案では、松野官房長官の、

関東大震災時の朝鮮人殺戮に関し、

「政府内に事実関係を確認できる記録が見当たらない」という発言。

→関東大震災時の朝鮮人虐殺 「記録なし」松野官房長官:東京新聞

 

「日本語版ウィキペディアの歴史修正主義」が、

「今も存在している」と想像している理由は、

先日の「Dappi事件に関する判決」があります。

デマ拡散『Dappi』 首相は調査を否定 中日スポーツ

この「Dappi」には自民党が深く関与していると考えるのが妥当。

 

つまり、「現在の自公政権は歴史修正に躍起になっている」。

「日本語版ウィキペディアの歴史修正主義」も、

Dappi」に倣ってでしょうか、

組織的に歴史修正主義勢力が動いている可能性が高い。

*************************

 

レイテ沖海戦 - Wikipediaの分量は、大変なものです。

正直、全文を読んでいませんが、

深井氏の説についても、記述がありました。

 

ここで私が判ったことは、本書の刊行を待つまでもなく、

以前から、つまり、終戦直後から

「『ヤキ1カ電』ニセ物説」は存在していたらしいですね。

                                (つづく)

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2023年10月30日 (月)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(37)~~~~~~~~~ 「戦艦『大和』反転の真相」深井俊之助氏(その3)

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Amazon 戦艦「大和」反転の真相

8月の記事のつづきです)

ガザ地区で、イスラエルが戦争を始めてしまいました。

イスラエルは、イランと開戦するかも、と思っていましたが、

いずれにせよ、大規模な戦争になりそうです。

しかも、ウクライナ戦争と同じく、全く先が見えません。

“こんな時に、「レイテ沖海戦」どころか”

と自分でも思ってはいるのです。

人間はこのような蛮行・愚行をいつまで続けるのでしょうか…

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

レイテ沖海戦の作戦目的は、

フィリピンの日本軍基地を守り抜くこと。

作戦名は「捷(しょう)一号作戦」と呼ばれていました。

「一号」と言うからには、「二号」以下も有りまして、

連合軍が攻め込んでくる日本の地域によって、

「四号」までが想定されていたとのこと。

これは、本書によって初めて知りました。

 

ちなみに【捷】という漢字は、「敏捷」の「捷」で、

「早い」という意味の他に、

同じ音読みの【勝】と同じく、「勝つ」という意味があります。

 

さて大本営は海軍の総力を結集して、

本作戦に投入します。

と言いましても、1944年といえば戦争末期、

艦艇数も、航空機の数もかなり少なくなっていました。

4つの艦隊が編成されまして、

内訳は、本書によれば、

 

栗田艦隊 32

西村艦隊 7

志摩艦隊 7

小澤艦隊 17

 

小澤艦隊は空母4隻を擁し、

空母に搭載された航空機は108機。

他に、フィリピン基地の航空機が150-200機。

 

艦艇数に関しては、若干の異説もあるようですが、

いずれにせよ、当時の海軍の残存戦力を、

全てかき集めたものです。

1941年の開戦時の威容と比べると、なんとも寂しい兵力なのですね。

 

米軍側の兵力については、深井氏の記述はありません。

他の本(注1)を見ますと、

「戦艦12、空母35,巡洋艦26、駆逐艦141」とありました。

214隻、単純な数量比較で日本軍の3倍強。

航空兵力も、やはり少なくとも約3倍は有していたはず。

 

但し、このような数字の列挙のその前に………

あのレイテ沖海戦の時点で、

日本の制空権はほぼ皆無でしたし、

即ちそのことは、米潜水艦の自由な活動を保障しますから、

制海権も、米軍が圧倒していました。

(現実に、栗田艦隊は出撃直後に潜水艦の攻撃を受け、

旗艦を含めた重巡洋艦3隻を失っています)

 

制空権・制海権共に奪われていた状態で、

戦力も圧倒的に米軍側が優勢。

この現実を最初に、認識しておく必要があります。

 

 

さて、“カギ”は、4隻の空母を擁した小澤艦隊です。

実は、この艦隊の任務は“おとり”でした。

自身を犠牲にして、レイテ島付近から米空母部隊をおびき出し、

栗田・西村・志摩艦隊のレイテ湾への進入を成功せしめる、

という計画なのです。

ただし、「空母4隻」といっても、

正規空母は1隻のみ、あとは改造空母。

御存じのように、1942年のミッドウェー海戦において、

日本海軍は正規空母4隻を一度に失っていました。

 

“おとり”を使ってレイテ湾を急襲する、とは

なんとも情けない窮余の一策----

いや、「作戦」とも呼べない無謀なものですが、

そこまで大本営は追い詰められていた、ということです。

 

ところで現実には、米軍はこの“おとり”作戦に引っ掛かってしまいます。

 

さァ、主力の栗田艦隊が突入する番・・・と思いきや、

艦隊はレイテ湾へ向かわずに、違う方向に進んでいきます。

これが世にいう、「栗田ターン」「栗田艦隊 謎の反転」なのでした。

                                    (つづく)

 

(注1)「日本の戦争解剖図鑑」(2016年:(株)エクスナレッジ刊)より

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2023年9月30日 (土)

忘れようとして(63)~ジャニーズ事務所の件ですが

「戦艦『大和』反転の真相」のつづき、の前に少しだけ・・・

忘れる前に、書いておきます。

 

~~~~~~~~~~~~

くだらねえな、どのTV #ジャニーズ 事務所の会見ばっか。これを #体制翼賛 TVの見本という。それより、なぜTV局が当初この事件を無視してきたのか、そっちのほうが大問題。社長が代わろうが、社名が変更されようが、枝葉末節。#東山紀之 #藤島ジュリー景子

 

9/3の #サンモニ(#TBS)でも #ジャニーズ 事件に対し局の姿勢を言ってたが、ならば #松野官房長官 の #関東大震災 の直後に起きた #朝鮮人 殺戮について「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」との発言をスルーするか?当日の特集「関東大震災から百年」だったんだぞ!

~~~~~~~~~~~~

 

以上、9/7tweetしたつぶやきです。

あ、現在は“ポスト”って言うのですね。

時間を置いて、もうひとつのポスト。

 

~~~~~~~~~~~~

#NHK は当時この問題について認識が薄く、その後も取材を深めてニュースや番組で取り上げることはありませんでした」嘘!#木原官房副長官 の問題を取り上げないのもそうなの?#ジャニーズ 事務所及び、政権への忖度。#松野官房長官 の #関東大震災 に関する発言も酷い。

~~~~~~~~~~~~

 

さて、あの「大政翼賛会的TV中継」(TV東京のみ別路線w

から、数日経ちましたが、

「大山鳴動して鼠一匹」状態であると私は思っています。

 

ジャニーズ事務所は、大きく改革されるとは思えない。

メディア側も、今後の報道姿勢が変化するかといえば、それも「No」である。

 

まず、ジャニーズ事務所について。

社長は替わりましたが、藤島ジュリー景子氏の「院政」は続くと思います。

彼女が株式を保有し続けるというのもその一因。

東山紀之氏に、会社経営の実務はありません。

が、会見の席上、「性加害者」の一面があったらしい、ということが

暴露されてしまったのは、皮肉なことでした。

 

そしてメディア側の問題。

三つ目のtwNHKが出したコメントを引用しましたが、

たぶん、他のTV局も似たりよったりのことを発表するのでしょう。

 

“当時この問題について認識が薄く”というのは大嘘で、

要するにジャニーズ事務所側から、

「貴社にはウチのタレントは出演させない!」

そうなることを恐れて、報道してこなかった、

それが本当の理由のハズです。

 

それは、NHKのみならず他の民放各局も同じこと。

ジャニーズに縁を切られたら、

あらゆる番組(バラエティー・音楽・ドラマ)が

制作出来なくなってしまいます。

そのことを怖れて、ジャニー喜多川を批判できなかった―

これが正解。

 

今ではどうでしょう、

ジャニーズ事務所のタレントのCM打ち切り等が相次ぎ、

まさに、「バスに乗り遅れるな」----

 

―この言葉は、日本がドイツ・イタリアとの三国同盟を

締結する直前の頃、つまり1940年に

日本国内で軍部を中心に、国民全体にも沸き起こった流行語だそうです。

つまり、“欧州戦線で勝ちまくっているナチス=ドイツと手を組もうじゃないか”

ということ。

この「三国同盟」が英米との開戦の原因の一つとなったのは、

皆様、ご存じのとおり。―

 

ジャニーズ事務所を支持する気持ちは

1ミリもありませんが、CM打ち切り等の連鎖を見ていると、

この「『バスに乗り遅れるな』状態」を思い出してしまいました。

あたかも“熱病”のように、

人々が一斉にある方向へ走り出してしまうことには、

十分な注意が必要です。

 

ところで、TBSNHKが今回の件

―以前にもブログに書きましたが、

30年も前から故北公次氏がその著書で

ジャニー喜多川の犯罪を明らかにされていました―

で、コメントを出しているようですが、

私は、まったく信用していません。

 

BBCの報道以後、かなり時間をおいて、

ようやく各局がジャニーズ事務所に対し、

批判の声を上げ始めましたが、その一方で----

たとえば、木原元官房副長官の疑惑については、

TV・ラジオ・新聞、いずれもその報道は皆無なのです。

 

だが、ジャニーズ事務所はとにかく叩く、

「バスに乗り遅れるな」の風潮の如く、一斉に叩く。

 

 

BBCの報道を待つまでもなく、

特に芸能関係のTV番組製作者の多くは、

ジャニー喜多川の事件を周知していたと思われます。

なぜ、“これは犯罪では”と

声を上げなかったのか、または上げられなかったのか。

そこが重要なポイントです。

 

同様に、木原元官房副長官の疑惑についても、

なぜ、“この事件はおかしいよね”と、

報道しないのでしょうか。

あるいは報道できない事情があるのでしょうか。

 

更に、驚くべきことに、今頃になって、

渋谷のNHK放送センターの内部に、

ジャニー喜多川専用の“リハーサル室”があった

ということが判明しました。

更に、同様の部屋はテレビ朝日にも

六本木の旧社屋時代にあったというのです。

 

9/7のNHKの声明が、

いかに嘘にまみれたものであったことかが、判明しました。

 

―こうなると、東京キー局すべてに

同じような施設があったのでは?と想像してしまいます―。

 

 

10月のジャニーズ事務所の2回目の会見より大事なのは、

メディアは、これまでの、

ジャニーズ事務所に対する誤った対処を、公開・猛省すること。

 

同時に、木原疑惑の事件に象徴されるように、

安倍首相時代より殊に顕著になった

政権への忖度・自主規制の体制を改め、

「権力の監視役」の立場を守ること。

 

が、なにより、

有権者=国民が、もっとしっかりしないとね・・・

ということになるのですが。

私は、総選挙は近いのでは、と予想していますが、

自民・公明・維新・国民民主には決して

投票しないことですね。

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2023年8月31日 (木)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(36)~~~~~~~~~ 「戦艦『大和』反転の真相」深井俊之助氏(その2)

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Amazon 戦艦「大和」反転の真相

(前回よりのつづきです)

 

前の記事の写真では、ちょっと大きめにしてみたのですが、

それでも「大和」の両舷の副砲は見えにくかったですね。

 

著者の深井俊之助氏は、もともと第一高等学校への

進学が第一志望だったとのことです。

第一高等学校というと、東京帝国大学の予科に相当しますから、

元来、氏は“学問肌”だったのかもしれません。

しかし、人間の運命とはわからぬもので、軽い気持ちで受験した

海軍兵学校(こちらも“狭き門”だったそうです)

の入試に合格してしまいます。

 

最終試験の面接試験官が伊藤整一中佐でした。

 

卒業後、氏は駆逐艦、軽巡洋艦、巡洋戦艦(=高速戦艦)の

各艦の乗務を経て、

1944年3月に、戦艦「大和」の副砲長としての着任を命じられます。

 

本書の前半は、深井氏が「大和」へ乗艦するまでの経緯が書かれています。

レイテ沖海戦の勃発は同年10月のことですから、

いよいよこの本の眼目、いわゆる「栗田ターン」、

すなわち「栗田艦隊謎の反転」の真相が書かれているのですが、

もうひとつ、深井氏が戦後初めて明らかにされた事件がありました。

 

この事件と、「栗田艦隊謎の反転」に共通するキーワードが

「命令違反?」です。

 

開戦以来、連戦連勝を続けてきた日本軍は、

ミッドウェー海戦(19426月)で大敗北を喫します。

そして同年8月、ガダルカナル島攻防戦が始まります。

(翌年2月まで続きました)

 

7月初めより、ガダルカナル島(以下、「ガ島」)の設営隊員2700名が、

マラリアと赤痢に悩まされつつ、

ジャングルを切り開いて滑走路を完成させました。

深井氏は時系列に従って記述されています。

 

*************************

8/4 ガ島設営部よりラバウル司令部へ、

   「滑走路完成 諸般の事情から考え、すみやかに

   戦闘機の進出を必要と認む」との電報を、深井氏が傍受。

(当時、氏は付近で駆逐艦「初雪」にて作戦任務にあたっていた)

8/5 ラバウル司令部は、零戦12機をガ島に進出せしめる。

8/6 零戦隊々長(深井氏は、あえて実名を記されていません)は、

「現在の居住施設はあまりに粗悪、隊は任務を全うすることは困難、

施設が完備するまでラバウルにて待機する」との電報を発信、

   同日、ラバウルへ帰投。

8/7 早暁、ツラギ島(ガ島の北側)、米軍の砲撃・上陸を受け全滅、

    610ツラギ守備隊、最後の電報を発信。

    「われ最後の一兵まで死守す、武運長久を祈る」

*************************

 

これが長きに亙る、ガダルカナル島攻防戦の始まりでした。

当然、著者はこの事件について憤慨されています。

*************************

「寝場所がよくない」というだけで

900km後方のラバウルに引き揚げたことは、重大な命令違反、

我々「初雪」乗員らも、その勝手な振る舞いに

「飛行機乗りは何をやっているんだ」と憤懣やるかたない思いであった。

*************************

 

この事案、戦争の帰趨が決定していたレイテ沖海戦の頃とは異なり、

1942年のことでしたから、

この“ラバウル零戦隊の反転”は、ある意味、

「栗田艦隊謎の反転」以上の重大事件かもしれません。

 

著者はそんなに多くの頁を割いてはおられませんが、

この件も、深井氏が今回初めて明らかにされたとのことです。

 

歴史に“If”を言い出すとキリがないのですが、

もし、あの時零戦隊がガ島にとどまっていたならば、

戦況は大きく変わっていた可能性があります。

私の想像ですが、これは当時、ラバウル司令部を

慢心・楽観気分が支配していた表れなのでしょう。

 

そういえば、1942年といえば、

零戦にとって“難敵”となったグラマンF6FF4Fの後継機)が

まだ実戦投入されていない時期だったかもしれません。

                             (つづく)

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2023年7月30日 (日)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(35)~~~~~~~~~ 「戦艦『大和』反転の真相」深井俊之助氏(その1)

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Amazon 戦艦「大和」反転の真相

この本の副題は「海軍士官104歳が語る戦争」、

宝島新書より20187月の発行ですから、わりと新しい本です。

(単行本は2016年発行)

 

6月24日、プリゴジン氏の率いる軍事組織「ワグネル」が、

モスクワへの進軍を、「反転」ではなく、突然に中止しました。

もしも、ロシア国内で内乱が発生したならば、

それが、ウクライナ戦争の停戦の契機になるかも、

と勝手に想像していましたが、シナリオは別の方向に進んでいきました。

 

プリゴジン氏に何が起きたのか、

まだよく分からないのが現状ですが、

このたびのことで、

元軍国少年の私が思い出したことがあります。

 

それは本書の題名のとおり、

第二次世界大戦の「レイテ沖海戦」(1944年)における

「栗田艦隊 謎の反転」でした。

 

その前にそもそも、レイテ沖海戦とはなんぞや、

ということなので、簡単な説明を。

 

第二次大戦末期の194410月、フィリピンを奪回せんと攻め込んできた

連合軍の進攻を阻むために、

日本海軍が一大作戦を企図したのです。

その目的はレイテ島(ルソン島から見て南東部にあります)への

米軍上陸阻止。

 

しかし、なぜかレイテ湾を目前にした、

「大和」を旗艦とする栗田艦隊は、進入せずに反転してしまいます。

この事件が、今次大戦の最大の謎でした。

 

偶然、図書館の書架で見かけたのが本書。

まず、目を引いたのが表紙の戦艦「大和」の写真です。

これは、有名な写真で、

(といっても、「大和」の写真は数多く残っていません)

モノクロでは見慣れていましたが、

ここでは着色補正が施されています。

 

撮影月日は判明していて、19411020日、

高知県宿毛湾沖で、完成時に行われた公試運転中のもの。

最高速度は、27.46ノット、つまり50.9km/時を計測しました。

 

実は、従来の白黒写真では気づきませんでしたが、

煙突とマストの中間の下方にも、

副砲の砲身が見てとれます。

大和・武蔵の世界最大の、直径46cm主砲は有名ですが、

15.5cm副砲は、前後に各1基と、

写真のように左右にも各1基が配置されていました。

PC画面上で見えるかどうかは微妙)

 

しかし1944年、

ということは、レイテ沖海戦の直前に

航空機による攻撃に対抗する改装工事として、

左右の副砲は撤去され、対空兵器が増設されました。

ですから、(私の知る限りですが)

「大和・武蔵」の市販の模型キットは、

改装後の外観が採用されています。

 

…………………………

2019年のこと、

『アルキメデスの大戦』という映画が、公開されました。

大和型戦艦の建造をめぐってのストーリーですが、

劇中、艦の計画段階に、出てきた模型が、

(当然ながら)副砲を4基備えていまして、

あらためて“へぇー、これが最初のビジュアルなんだね”

と思ったものです。

 

この映画の原作は三田紀房氏の漫画だそうです。

そのオリジナルは存じませんが、

映画のほうは、“失敗作だな”というのが私の感想。

「数学で戦争を止めようとした男がいた」

という広告のコピーに惹かれて観たのですが、

現実に「大和」は完成してしまったし、

戦争も実際に起きてしまいました----

では、“なぜ、そうなったのか”

この点の掘り下げがなされていなかった、と思いました。

 

映画の骨格にも私は不満がいっぱいで、

やはり、普通にオープニングとエンディングのCG映像は

入れ替えたほうがよかったのではないでしょうか。

…………………………

話が脱線しましたが、

なぜ「大和」の副砲にこだわっているかといえば、

本書の著者の深井俊之助(ふかい・としのすけ氏は

レイテ沖海戦時、

「大和」の副砲長を務めておられたのです。       (つづく)

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2023年6月30日 (金)

魔女は眠らない、聖女は眠れない(34)~~~~~~~~~ 『十五歳の戦争』西村京太郎氏

Img_20230626_115021『十五歳の戦争』https://amzn.to/3PAf5Zs

 

2022年3月、ミステリー作家の西村京太郎氏が他界されました。

今回は、集英社新書シリーズから、

西村京太郎氏の『十五歳の戦争』を取り上げてみます。

この本の副題は「陸軍幼年学校『最後の生徒』」、

小説ではなく、氏の人生を綴ったもので、2017年の刊行。

氏は、1930年生ですから、

なるほど、このようなご経験をお持ちだったのですね。

表紙カバーの見返しに書かれている文から。

 

~~~~~~~~~

昭和2041日、少年:西村京太郎は、

エリート将校養成機関「東京陸軍幼年学校」に入学した。

8月15日の敗戦までの、短くも濃密な四か月半。

「天皇の軍隊」の実像に戸惑い、同級生の遺体を燃やしながら

死生観を培い、「本土決戦で楯となれ」という命令に覚悟を決めた―

~~~~~~~~~

 

戦中~戦後の時代、

作家としてご成功されるまでの自叙伝であります。

そして、昭和史に興味を持つ私は、

やはり、「あの戦争」についての、西村氏の想いに注目してみました。

 

氏は、本書の中で、

「なぜ、日本はあのような無謀な戦争を始めてしまったのか」

という疑問には正面から答えられてはいません。

 

ただし、「日本人が戦争(現代戦)に向かない理由」として、

7つの項目を挙げておられました。

その内、私が、特に気になった4つの事項を紹介します。

~~~~~~~~~

1.   国内戦と国際戦の違いがわからない。

4. 日本人は、権力に弱く、戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしまう。

6. 日本人の場合、社会の前に世間があって、その世間に屈して、社会的行動を取れない。

7. 日本人が、一番恐れるのは「臆病者」とか「卑怯者」といわれることである。

   だからそのようにいわれるのを恐れて、戦争に賛成した。

~~~~~~~~~

 

  1. は、「国際感覚」のことだろうと考えました。

戦後80年になろうとしている現在、このことに関しては、

まだまだ遅れていると思っていますし、また、

それは「日本人の英語力」についても関連することであります。

魔女は眠らない、聖女は眠れない(30)

 

6. 最も注目したのが、これです。「社会」と「世間」。

この二つの語の定義付けから始めないと、

議論が進みませんが、著者による説明はありません。

そこで、私たち読者が考えないといけないのですが。

 

「社会」と「世間」-----

私的には、「理想」と「現実」、あるいは、

「大情況」と「小情況」、「理知」と「感情」ですとか、

そんな風な理解をしているのですけどね…

 

自分なりの例を挙げますと、

最近、話題のジャニーズ事務所の性加害事件。

でも、こんなことは、既に1988年、

男性アイドルグループ、フォーリーブスの一員だった、

北公次氏が公表しておられた事で、

“いまさら”の感のほうが強いのですが、

この事案に関して、

ジャニーズ事務所の現役タレントの

会見とか証言は無いですよね。……

 

西村氏のおっしゃる「社会的行動」とは、そういうことではないか。

そんなことを想像しつつ、読んでいました。

ジャニーズ事務所に対し、発言を控えるタレント、

なかなか報道さえもしなかった国内のメディア、

それを思うと、

日本が戦争へと突き進んでいった「あの時代」との

相似性が見えてくるのではないか。

 

ロシアがウクライナ侵略を開始して、

1年4か月が経ちました。

無理からぬことでもありますが、今まさに、我が国は

“戦時ムード”が立ち込めているように思えます。

 

岸田首相は、もう少しマトモな人物だと思っていましたが、

安倍・菅より酷い、ということがはっきりしました。

 

 

あとひとつ、西村京太郎氏は、

「日本は戦争の中立国になるべし」という

ユニークな論を綴っておられます。

当然ですが、「中立」というからには、

「戦争はしない」ということに他なりません。

 

~~~~~~~~~

戦争に向かない日本こそ、

その役をやれると、私は確信する。

アジアの、或いは世界のスイスになるのだ

~~~~~~~~~

 

上記のように、氏は第二次世界大戦のスイスを

例に示しておられます。

スイスは、ナチス・ドイツと連合国側を天秤にかけつつ、

外交を進めて自国の安全を保った、と書いておられました。

 

言い換えると、“二股膏薬的外交”の成果であり、

スイスが戦火に巻き込まれなかった因は、

決して、国民皆兵制の軍事力ではなかった、というのです。

(詳細は本書をお読みください)

たしかに、こういうところに

日本の進むべき道のヒントがありそうですね。

 

広島でのG7サミットを思い出してください。

現在の核兵器均衡の状況を追認しながら、

我が国の立場は西欧諸国の側にベッタリの方向を一層明確にし、

あらためて中国・ロシアとの対峙姿勢を打ち出しました。

 

が、日本は欧米とは異なり、

中露とは文字通りの、国境を接する隣国なのです。

これは、危険な“賭け”のような方針であると感じています。

その危険が、現実にならなければよいのですが…

 

被爆地:広島を、その「舞台背景」として

“利用”しただけの今回のサミットは、

見るべきものが全く乏しい“から騒ぎ”でした。

(勿論、私はロシアのウクライナ侵略にも、

習主席が進めている中華帝国主義にも反対です)

 

西村京太郎氏の提唱された

「日本は戦争の中立国になれ」は、

至極うなずける議論ですが…

 

安倍前首相はプーチン大統領と27回もの会談を重ねたのに、

また、「日本は、ミャンマーとは独自のパイプがある」とか、

言われていたにもかかわらず、外交成果は「ゼロ」でした。

課題は、日本の外交力・国際感覚だと思います。

 

たしかに「中立国」なんて

“絵に描いた餅”のようなハナシ、かもしれませんが、

岸田首相のように「米国追随一択」では、

大きな過ちに日本国民が巻き込まれかねません。

西村京太郎氏のような視点を、常に忘れずにいることが肝要です。

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