2009年12月 9日 (水)

忘れようとして(5)~岩谷時子先生と順伊さん。(つづき)

岩谷時子先生と順伊さん…こう、お二人のお名前を並べますと、

ひょっとしたら、御二方から“クレーム”が来るかも(?)、ですが(苦笑)、

それはともかく、

私的には、ごく自然で、何の違和感もありません。

さて、……

順伊さんの詩ですね。

ちょっと、季節がズレたかな…。この作品にしてみました。

 

~~~~~

Stand by Me

君と二人
銀杏並木を歩いてみる
手をつないで

 

ぱらり ほろりと
秋の風に一番乗りで降りてきた
双子の銀杏の葉
金色の手のような
小さな双子の葉

 

拾う代わりに
小さな声で
Stand by Me
とつぶやいてみるの

 

秋の小さな約束

 

http://suni.cocolog-nifty.com/poem/2007/10/stand_by_me.html

~~~~~

 

Stand by Me」といいますと、あの有名なスタンダード・ナンバー、

Ben E. Kingの歌とか、あるいは、それを主題歌に使った映画を

思い出される方もいらっしゃいますでしょう。

ひょっとしたら、順伊さんも、この歌のことが、どこかアタマの中にあったのかも。

あるいは、「同名異曲」だったりして?

私事ですが、いわゆる「オノマトペ」(=擬声(音)語・擬態語のことです)とか、

英語を作品中に使用するのは、私は、好みません。

“好みません”、と書いておきます、「例外」もあったハズなので(笑)。

(ちなみに、順伊さんは、オノマトペを使われる機会は多いようです)

当時、私は、この作品に対するコメントで、“幻想的”などと、

ちょっと“場違い”な感想を、順伊さんに伝えてしまいましたが(苦笑)、

ここはやはり、別の方のコメント、すなわち、「ともさん」のおっしゃるように、

前半から後半への、すなわち、

あざやかで、すがすがしい展開の妙を、味わうべきですね。

作者のあたたかいお人柄が、よく出ているいい詩だと思います。

 

いよいよ、“冬本番”も近くなった昨今、

順伊さんの作品により、きっと皆様方に、

heart-warmingなひとときを感じていただけたことでしょう…。

おや、さっき、“英語を使用するのは、好みません”って書いたばっかし、

でしたねー。

まあ、「さっぱりわやくちゃ」が“看板”ですから、お許しくだされー(爆)。

                                (おしまい)

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2009年12月 6日 (日)

忘れようとして(4)~岩谷時子先生と順伊さん。

詩を書くことは、忘れたわけではなく、

原稿用紙は、いつも、アタマの中に、広げてはいます。

ハイ、仕事中も、です(笑)。

いい詩を書きたいナー、とは、いつも思っていますが、

「原稿用紙」は、いつまで経っても、“真っ白”のまま、

アタマの中の、ペンは全く動きません(笑)。

これでは、当ブログの、「MY詩集」というカテゴリーも、

いよいよ“看板倒れ”になりそうです(苦笑)。

 

えーと、…、当ブログ「MY詩集」での最も新しい作品といえば…、

実のところは、コレのハズです、「黒猫」。

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「黒 猫」

 

何もかも

 

背負いこんではみたが

 

やっぱり

 

つらい。

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http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_8b05.html

本人的には、気に入ってはいますが、

“次回作も、この程度は書きたいナー”と思っているうちに、この有様。

そこで、ということでもないですが、

「母の日」につづき、「てんけい イチ押し」の、

順伊さんの作品をご紹介しようと思います。

さて、先日の岩谷時子先生の記事中で、私は、

~~~~~

私の印象としては、岩谷先生の作品の最大の魅力は、

その「わかりやすさ」にある、と思っています。

~~~~~

などと、記しました。

実は、順伊さんの詩についても、同様の感想を有しています。

前回の「母の日」の文章において、彼女の作品について、こう書きました。

~~~~~

私たちが、日常使っている、平易な言葉ばかりなのですが、

とても「深いところ」を言い当てておられます。

~~~~~

http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-a524.html

 

私は、この「わかりやすさ」という点は、非常に重要ではないか、

と、常々、考えております。

もちろん、異論もありましょうが、やはり、

芸術というものは、万人に広く受け入れられてこそ価値がある」―

そんなふうに思っています。

難解な語句や表現に走ったところで、

結局、作者の自己満足に終わるのではないだろうか……

 

さらに、妄言をお許しいただけるならば、

 

「真理」は、常に「単純」である(べきである)。

 

とまあ、これは、小生の若い時分からの、妄想でありました(苦笑)。

ただ、ヘタをすると、「大衆迎合主義」におちいってしまう可能性もあり、

まあ…、難しいところです。(もち、オイラも、「大衆」の典型。)

脱線のついでです、先月、たまたま、

本年度の日本音楽コンクール(「毎コン」)の、

日本音楽コンクール

作曲部門の入賞者の作品を聴いていたのですが、

音楽の三要素とは、メロディ・リズム・ハーモニーであったはずだが…?”

というような思いにとらわれました。

別に、非難するわけでもないのですが、

いや、そんな資格など小生には無いのは、もちろんのことでして、

やはり、こういった「現代音楽」は、“私向き”ではございません(苦笑)。

なんの感動も、私は持ち得なかったのは事実でした。  (つづく)

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2009年11月23日 (月)

文化功労者に岩谷時子先生。/Yuccaさんの『Prima donna』。

§文化功労者に岩谷時子先生。

大変、遅くなり、無礼千万ではありますが、

既に皆様、御存じのとおり、

作詞家の岩谷時子先生が、去る10月、文化功労者に選ばれました。

文化勲章受章者・文化功労者:主な業績 - 毎日jp(毎日新聞)

おめでとうございます、とあらためて、お祝い申し上げます。

私の“アヤフヤ”な記憶では、先生のお名前を初めて知ったのは、

当時、ヒットしていた、加山雄三さんの歌の作詞、ということでした。

越路吹雪さんの曲の作詞(訳詞)も手がけておられたことを知ったのは、

それから後のこと。

昭和~平成にかけての偉大なる大作詞家でいらっしゃる先生に、

素人の私が、こんなことを申し上げるのは、

これまた、非礼もはなはだしいのですが、

私の印象としては、岩谷先生の作品の最大の魅力は、

その「わかりやすさ」にある、と思っています。

歌謡曲・ポップスですから、当然のことなのでしょうが、

なぜか格別に、先生の作品には、そんな感想を持ってしまいます。

いうまでもなく、岩谷先生には、

“星の数”ほどの名曲、ヒット曲がありますが、思いつくままに、挙げてみます。

 

まず、私が先生を知るキッカケになった、加山雄三さんのヒット曲から。

ちょっと、“ひねって”、B面曲です。

~~~~~~

「夕陽は赤く」(部分)作曲:弾 厚作 

夕陽あかく 地平のはて

今日も沈み 時はゆく

(中略)

君よ眠れ また逢う日を

夢みるような 星あかり

~~~~~~

美しいですね、このロマンチシズム。

平易な言葉を紡ぎ、しかも、このような詩界を作り出されたことに感激。

私の記憶では、加山雄三(=弾 厚作)さんの歌のほとんどは、

出来上がっているメロディーに

あとから、言葉をのせていくパターンだったと思うのですが、

プロとはいえ、それも、大変な作業ではあります。

 

次は、宮川泰先生作曲の名曲。

~~~~~~

「ウナ・セラ・ディ東京」(部分)作曲:宮川泰

哀しいことも ないのになぜか

涙が にじむ

(中略)

あのひとはもう わたしのことを

忘れたかしら とても淋しい

街は いつでも 後ろ姿の 幸せばかり

~~~~~~

小生“お気に入り”の歌です。

「後ろ姿の幸せ」というフレーズが、私の胸を打ちます。

 

時系列としては、「ウナ・セラ・ディ東京」よりもさかのぼりますが、

同じく宮川先生の作曲です。

~~~~~~

「ふりむかないで」(部分)作曲:宮川泰

ふりむかないで お願いだから

今ね スカート なおしてるのよ

あなたの好きな タータン・チェック

これから なかよく デートなの

ふたりで語るの ロマンスを

~~~~~~

当時の音楽界に、風穴“を開けたような感のある、

ザ・ピーナッツの大ヒット曲でした。

 

本田美奈子.さんのvocalが素晴らしいこの歌は、やはり、はずせません。

~~~~~~

「つばさ」(部分)作曲:太田美知彦

わたし つばさがあるの 太陽にきらめいて

はばたきながら 夢追いながら

はるかな旅をつづける

わたし つばさがあるの 心から輝いて

夜明けの色 夕日の色に

つばさを染めて 飛ぶのよ

~~~~~~

この、少女のようなみずみずしい感性は、どうでしょう!

やはり、「名曲」ですね。

もちろん、岩谷先生につきましては、ご受賞歴も、いっぱいありますし、

シャンソン、ミュージカルの訳詞にも、触れるべきでしょうが、

例により、岩谷時子 - Wikipedia等をご覧くださるよう、

お願い申し上げます。

 

ひとつ、残念なのは、もしも、本田美奈子.さんがお元気でいらっしゃれば、

今でも、年間1-2曲でも、彼女に、新しい詩をプレゼントされておられる

かもしれない、と考えたりするのですが、

どうか、これからもお元気で、

日本の音楽界を見守っていただきたい、と存じます。

§Yuccaさんの新CDが発表されました

さて、本田美奈子. さんは、後年、「クラシカル・クロスオーバー」の世界に、

その新境地を開かれましたが、

Yuccaさんが、このたび、やはり、その「クロスオーバー」のジャンルで、

新しいアルバムを発表されました。

考えてみれば、Yuccaさんについては、当ブログでは、コメントで、一度だけ

記したことがあるのみですね。

まず、新作のSET LISTから。

~~~~~

Prima donna

1  オンリー・ラヴ
2
 「四季」・夏~ヴィヴァルディ~
3
  アヴェ・マリア~シューベルト~
4
  エニィタイム・エニィウェア
5
 アルハンブラの思い出
6
 ロミオとジュリエット
7
 恋のアランフェス
8
 ピエ・イエーズ
9
 「第九」・歓喜の歌~ベートーベン~
10
 今宵キリストは生まれ給えり~グレゴリオ聖歌
11
 歌劇「魔笛」より~夜の女王のアリア~

~~~~~

実に、ワクワクする選曲ではありませんか?

私には いかにも、本田さんが選ばれそうな曲のように思えてなりません。

さて、音楽ファンの皆様には、特にご説明の要も無いところですが、

ごく、手短に。

 

4 「エニィタイム・エニィウェア」

「アルビノーニのアダージョ」が原曲で、英詩が付けられています。

6 「 ロミオとジュリエット」

ニーノ・ロータ氏の曲、つまり映画の主題歌の方。
7
  「恋のアランフェス」

いうまでもなく、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」がオリジナル。

8 「 ピエ・イエーズ」

フォーレではなく、ロイド・ウェーバー氏作品です。

YuccaさんのCDを聴くのは、第1作の「千の風になって」以来ですが、

本作は、それと比べると、

非常に、のびのびと、歌っていらっしゃるように感じました。

アルバム「千の風に----」は、クロスオーバーとはいえ、

ポップス調の発声に、ウェイトを置いていたような気がしますが、

今回は、ご自分の“持ち味”たる、声楽的なテイストを前面に

押し出されているのではないでしょうか。

とはいえ、「オペラはどうも…」といった方でも、

耳になじみやすく、十分に楽しめるアレンジ・構成になっています。

彼女の歌唱の実力は、

2「四季」・夏~ヴィヴァルディ~、11 歌劇「魔笛」より~夜の女王のアリア~

をお聴きになると、実感できるのではと思います。

 

音楽ファンに、幅広く受け入れられる作品になっています。

歌声に癒されますね。オススメです。(文中一部敬称略)

                            (おしまい)

--------------

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2009年11月11日 (水)

はいだしょうこさんが、本田美奈子.さんの「つばさ」を。

さて、本日、“得意”の番宣です。

11/14(土)、TV東京系の「ミューズの晩餐」(22:30~)に、

はいだしょうこさんが、御出演、

“人生で一番大切な歌”として、「つばさ」を歌われます。

ミューズの晩餐 テレビ東京

はいださんは、昨年でしたか、

本田美奈子.さんの追悼会に、御参加なさっていますが、

実は私、それまで、彼女のことは、全然、存じませんでした。

最近は、TVのバラエティー番組にも、よくお顔を出され、

今ふうにいえば、その、“天然キャラ”を発揮されていらっしゃるようですね。

11/14は、「歌手:はいだしょうこ」としての御登場ですので、

大いに楽しみにしたいと思います。

しょうこのMy Favorite Songs Music しょうこのMy Favorite Songs

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さて、このTV番組「ミューズの晩餐」ですが、ご覧になっていらっしゃる方なら、

御存じでいらっしゃいましょうが、

司会は、拙ブログでも、何度か御紹介申し上げた、

「クロス・オーバー界の旗手」、バイオリニスト:川井郁子さん、

本田さんと、ミュージカル「クラウディア」で共演された、寺脇康文さんの

お二人が務めておられます。

本田さんについての思い出話なども、

それぞれに、語ってくださるのではないでしょうか。

11/6が過ぎ、そして、来る11/22には、本田さんのメモリアル・コンサートである、

「音楽彩」が催されるこの時期、

特定非営利活動法人リブ・フォー・ライフ美奈子基金

全国の皆さんに、はいださんの「つばさ」を聴いていただけるのは、

本当にうれしいことですね。

なお、放送日時は、地域により異なるかもしれません。

あらかじめ、ご確認ください。   (おしまい)

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2009年11月 9日 (月)

忘れようとして(3)「これが将棋」。~大内延介九段

(前回よりつづいて、大内延介先生についてです)

後日………、

大内九段は、囲碁の林海峰九段との対談において、

次のような発言を残されています。

~~~~~

「僕が8二歩と打った時に、中原さんがすぐ同飛車と

取ってくれていれば、ああいう事件は起きなかった。

それが手洗いに立って帰ってくる何分かの間に、神の啓示というか、

僕の中に悪魔が宿ったっていうか、そうとしか考えられないですよね。

(中略)それを体験した時に、人間は運命付けられているのじゃないか

っていうような、運命みたいなのを感じますね。」

~~~(毎日コミュニケーション刊:「勝負の世界」(1987年)より 引用筆者

 

大内九段は、「運命」という言葉を使われていますが、

なぜ、このような間違った手を指されたのでしょうか。

もちろん、錯覚はプロ・アマ問わず、人間ならば避けられないものには

違いありません。

あるいは…、想像するに…

大内九段は▲4五歩以下の変化を、

相手の王様の詰み(=王様が、どこにも逃げられない状態のことです)

に至るまで、深く読み進めるあまり、

“既に、▲4五歩―△同銀―▲4四歩打の”必然の手順“を指してしまっている”

そんな錯覚に陥ったのではないでしょうか。

これは、私の想像ですが、この種の錯覚は、プロ棋士には時々ある、とも聞きます。

あまりにも深く、かつ緻密に、

(中盤の変化の多い局面では、数百手も読み進めることがある、と聞きます)

指し手を読むために生じることなのですね。

ですから、数十手~何百手も読まない(読めない)アマチュアには、

このようなことは、まず、起き得ないことであり、

その心理状態も、われわれには、なかなか想像し難い面がある。…

これも、私の仮説ですが。

~~~~~

この勝負の結末は、「引き分け」という結果に終わりました。

その後、中原名人の王様が絶体絶命の窮地を脱出、

“逃げ出し”に成功したわけです。

そして、次に行われた指し直しの勝負で、大内九段は敗退、

中原名人は、辛くも名人位の防衛を果たしました。

あの▲7一角を打つ前の局面は、

先手がほとんど勝っています。

野球に例えると、

「10対零、9回ツーアウト、ランナーなし」……

いや、10点差かどうかは、別にして、ともかく圧倒的な大差なのです。

野球ならば、逆転、もしくは同点などということは、あり得ない状況です。

しかし、将棋は別です。

僅か、一手のことで、形勢はひっくり返ってしまいます。

また、終盤戦において、“どう指しても勝ち”と思える局面が時々ありますが、

勝利につながる手は、実は、その内の一手だけ、という場合もよくあるのです。

そして、“早く勝ちたい”という気持と、“安全に勝ちたい”という

二つの相反する心理が、交錯する結果、

焦り・迷いが生じ、逆転負けを喫する…

これは、プロ・アマ問わず、将棋においては、

誰もが、幾度となく経験したはずです。

 

それにしても、なんと、将棋とは、

誘惑と、陥穽に満ちたゲームなのでしょうか。

どんなに有利、優勢な局面であっても、

つねに、“断崖絶壁”の状態にいるのだ、ということを、

自覚せねばなりません。

「勝利」へとたどり着く道は、いつも、細い道が1本残されているのみ…

ここまで書くと、「浄土の真宗」における、「念仏道」と、

なぜか、私には、重なって見えてくるような気がします。

http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_513f.html

いや、またも“ヘボ将棋”の身で、くだらぬ“寄り道”をしてしまいました。…

 

ところで、いかに、御訪問者も少なく、かように辺鄙なブログとはいえ、

当の大内九段にしてみれば、“二度と見たくもない” 将棋を

(御本人にすれば、たぶん、そうだろうと想像するのです)、

取り上げてしまったわけですが、もちろん、申し上げるまでもなく、

八段、九段といえば、プロの最高峰、A級棋士であり、

我々からすれば、神様に等しい存在です。

非難とか、そういった中傷めいた意図は、毛頭、ございません。

 

むしろ、

どんなに勝勢の局面であっても、一手間違えば、

あッというまに、敗北へと転落していく、

 

これが、将棋なのだ」 

 

ということを、あらためて、世に広く知らしめた、

これこそが、この名人戦における、最大の“眼目”であったような気がします。

 

昔、ある人に、

「囲碁と将棋って、どちらが面白いのですか?」

なんて、訊かれたことがあります。そこで、私は、

「私は囲碁については、よく、知りませんし、

今は将棋の方を、好んではいますが、比べるならば、

囲碁は宇宙、将棋は人生』、という風に例えられると思っています」

と、答えたことがあります。

 

ならば、私流に申せば、

これが、将棋なのであり、これが、人生なのだ」ということになるでしょう。

さて、不世出の大棋士、大山康晴第十五世名人の棋風は、かっては、

「表芸は矢倉、裏芸は振り飛車」(後年は、逆になりましたが)

と言われていました。

大内九段が、最近どのような将棋を指されていらっしゃるのか、

不勉強につき、存じませんが、

ぜひ、「裏芸の居飛車」でもって、いや、振り飛車でもいいのですが、

(氏の名著、「5七銀左戦法」は私の”バイブル”でした)

5七銀左戦法 @将棋 棋書ミシュラン!

今一度、棋界において”怒涛のひと暴れ”をしていただきたい。

それが、かの時代を知る、“あるオールド・ファン”の願いなのです。

                    (長文乱文妄言多謝、この稿了)

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付記:

前回ご紹介しましたURLをもう一度、ご紹介しておきます。

当該図面と解説がアップされています。

”語り継ぐために・・・

及び、“タイトル通り” 忘れようとして。

「穴熊囲い」のURLを貼るのを、ウッカリしておりました(苦笑)。

穴熊囲い - Wikipedia いい命名ですネ。

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2009年11月 8日 (日)

忘れようとして(2)~名人位は、すぐそこにあった。大内延介九段

さて、“忘れ去る前に”----前回のつづきですね、

将棋九段:大内先生についてであります。

昭和50年(1975年)の第34期名人戦、

中原誠名人に対する挑戦者は、大内延介(のぶゆき)八段(当時)。

大内八段といえば、「穴熊囲い」の“パイオニア“として、有名ですね。

大内延介 - Wikipedia

「穴熊囲い」とは、王様を、将棋盤の一番隅のマス目に移動して、

まわりを、金・銀・桂・香で囲む構えのことです。

この囲いは、私が子供の頃は、素人の“縁台将棋”用とされ、

「実戦向きにあらず」とされていたものでした。

どういう経緯でもって、

そのアマチュアの“専売特許”であった「穴熊」が、

名人戦という、“ヒノキ舞台”にまで登場するようになったかは、

今回は割愛します。

 

さて、この第34期名人戦は、両雄33敗で、最終局に決着が持ち込まれました。

私の記憶では、その間に1局、「矢倉戦」があり、大内延介八段が

勝ちを収めた将棋があったはずです。

当時、解説の升田幸三名人が、

「大内君は、こんなに矢倉を上手に指すのに、

なぜ、ホラ囲い(=穴熊囲いの別名です)ばかりやるのだろう」

というような御講評があったと記憶しています。

ところで、「矢倉」は、中原名人の得意戦法。

米長邦雄永世棋聖(元名人)の言葉を借りれば、

「矢倉は、将棋の純文学である」

ということになります。

(「なぜ矢倉戦法が、“純文学”なのか」ということですが、

これはまた、難しい問題ですね)

 

この最終局ですが、挑戦者大内八段が、

優勢、いや、勝勢で終盤に入りました。

 

図面がないと、分りづらいので、本局の解説がなされているURL

ご紹介いたします。よろしければ、ぜひ、ご参照のほどを。

変化手順にも、触れられておられますので。

”語り継ぐために・・・

 

まず、先手の大内八段は、中原誠名人の飛車の頭に▲8二歩と打ちました。

飛車が横に逃げれば、大内陣は安泰です。

ここで、中原名人は、手洗いに席を立ちます。

 

私は、前回の記事で、「棋士の作法」ということを申し上げました。

http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-d7dc.html

このとき、中原名人は、“負け”を覚悟していたと思います。

~~~~~

まず心を落ち着かせて、終局後の、名人位を失ったことについての、

記者団のインタビューに対するコメントを考えている…

~~~~~

控室の棋士、記者、また対局者の大内八段自身も、そのように想像したことでしょう。

そして、その推理は100%当たっていた、と私も思います。

さて、対局室に帰ってきた中原名人は、ゆっくりと、△8二同飛と、敵歩を取ります。

ここで、大内八段は信じられない悪手を指します。

持ち駒の中から、角を取り上げて、

 

▲7一角打!

 

このとき、大内延介八段は、手中にしていた名人位を、失うことになります。

まず、▲4五歩と突き、△同銀と取らせて、▲4四歩打…それから▲7一角と打つ。

これで、先手の勝ちでした。

もちろん、そんなことは大内八段も百も承知。

なぜなら、ずっと▲4五歩以下の変化を,

相手の王様が、完全に動けなくなるまで、

数十手にわたり、(終盤ですから、そのくらいの手数だと思うのですが)

読み切っていたからです。

もしも、…(勝負の世界に「もしも」は禁句なのですが)

中原名人が、あの時、

 

席を立たずに、ノータイムで、

大内八段の▲8二歩を、△8二同飛と取っていたならば、

必ず、大内八段は▲4五歩と指していたはずなのです。

そして、「新名人」の誕生、また、

将棋界も、将棋技術の変化・発展も、

現在とは、異なった様相を呈しているかもしれません。

………(注:タイトル・段位は対局当時のものです)

                       (この項、つづく)

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2009年11月 1日 (日)

忘れようとして(1)~芹澤博文九段のこと(付記)

先週のことだったが、朝、会社へ出かける直前、

“生涯、忘れ得ぬであろう光景”を目にしました。

 

瞬間、そう感じたのです。

涙が出そうでした。

クルマの中でも、私は、懸命に涙をこらえていました。

 

では、いったいどんな光景だったのか…と、いうことになるのですが、

どうしよう―、やはり、今日は書かないでおきます。

別に、何の変哲もない、

よくある家庭内の出来事ではあると思うのです。

そのとき、思ったこと―

“人生とは、やはり、辛くて、悲しいものだ”ということ。

言葉を換えて言えば、

“経済も、歴史も、みんな名も無く、貧しい市民が築き上げてきたものであり

“にもかかわらず、経済、また、歴史の荒波を、一番先に受けるのも、

その貧しい市民にほかならない“ということ。

そんなことを考えていたら、切なくなりました。

民主党は、先の選挙で大躍進して、“得意の絶頂”にあるのでしょうが、

その民主党にせよ、自民党にせよ、

為政者の連中には、365日、つつましく暮らしている、

庶民のことなど、絶対に分かることはないのではなかろうか。

……。

閑話休題。

 

~~~~~~

芹澤博文九段が「天才」であったのは、いいとして、

では、なぜ、彼は名人になれなかったのか”

 

そんな旨のメールをいただいたのですが…

ひとつ、思い出したことがあります。

それは、以下のようなこと。

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

新聞将棋の観戦記でくだらぬのは、対局当日の天気がどうであったとか、

対局者の、昼食のメニューが「かつ丼」だったとか、そんなことしか書かれてない観戦記である。本当に知りたいのは、その将棋の急所はどこであったか、

その局面では、どう指すべきであったか、それを知りたいのである”

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

アマチュアの棋客においても、“たとえ、香車一本でも強くなりたい”

(“ごくごく僅かでも上達したい”ということを、将棋では、このように表現します)

と願う人々は、このように思ったものです。(かっては、私もそうでした)(苦笑)

だいぶ昔のこと、将棋雑誌で上記のような投稿だったか、記事だったかを

見かけた記憶があります。

阪神大震災以降、私は、新聞を購読していませんので、わからないのですが、

最近の新聞の将棋欄はどうなのでしょう。

 

さて、確かに、言われるように、最も肝心なポイントについては、

何も書いていませんでした。

 

というよりも、正直なところ、小生如きアマチュアの“ヘボ棋客”には、

あまりにも、難問過ぎて、「書けなかった」わけですね。

ではありますが、

“さっぱりわやくちゃ”の理念のもと、少しだけ綴ってみます。

芹澤博文 - Wikipediaにある如く、芹澤九段の言動については、

いろいろと問題があったのは事実のようです。

確か、米長邦雄永世棋聖(元名人)の言だったと記憶するのですが、

(間違いでしたら、どなたかご訂正してください)

 

名人位とは、単に盤上の技術とかではなく、“将棋の神様”が授けるものだ

 

そのような言葉があったと思います。

 

芹澤九段についてですが……

氏は、その裏も表も無い、あまりにストレートな言動ゆえ、

非常に誤解も多かった、とも聞きます。

Wikipediaを読みますと、

芹澤九段は、なんだか“大悪党”のように思われるかもしれませんが、

みなさんが、TV画面でご覧になられた如く、

“さっぱりとした、好人物だった”のような評もありますので、

そのようなことも、頭の片隅に留めておいていただきたい。

ですから、私の感想としては、

 

あるいは…、「将棋の神様」が、少し、“ヘソを曲げられた”のかも…

芹澤九段については、そんな風に思っています。

なんのご参考にもならなかったですね。

 

スミマセン。

------------

 

ところで、名人になれなかった人物をもう一人覚えています。

その棋士とは、大内延介九段。

昭和50年(1975年)の第34期名人戦、相手は、中原誠名人(当時)

でした。

当時、私自身、実際に盤に並べた記憶があるのです。

寄り道のついでに、

“忘れる前に”、その、中原-大内戦のこと、及び、

芹澤九段も、実感されたことであろう、

将棋の“怖さ”について、少しだけ、触れてみます。

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2009年10月12日 (月)

「将棋には、『理外の理』がある」~芹澤博文九段<その2>

(前回のつづきです)

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その芹澤博文が、あるとき、激しく泣いた。

芹澤が屋台のオデン屋で飲んでいて、急に涙があふれてきたというのである。

そのとき、芹澤は、突如として、

 

「ああ、俺は、名人になれないんだな」

 

という思いがこみあげてきたのだそうだ。

~~~~~~~~~~山口瞳著「血涙十番勝負」より

 

さて、“ヘボ将棋”の身ではありますが、

芹澤博文九段と将棋のことについて、もう少し、気ままに書き進めます。

§棋士の作法。

将棋の対局で、自分に負けを言い聞かせるときが、棋士にとって、

最も辛い瞬間でしょう。

どんなに考えても、自分に“勝ち筋”が浮かばない、つまり、

どうしても、“一手足らない”―

言わば、“一手違い”で負けている、ことを確認したときなのです。

プロ棋士どうしの勝負では、上記のように、

「一手違い」の勝負になることが多いわけですね。

ちなみに、「一手違い」という言葉を、もう少し詳しく説明しますと、

最終の負けの時点で、

もしも、自分の手番であると仮定した場合、

実際の勝敗の結果とは逆に、“自分が勝っている”。

(=もしも、自分が手を指す順番ならば、先に相手の王様が取れる)

そういう状態のことを言います。

さて、実戦では、粛々と手を進めていき―

ともかく、さきほど読み切った「一手違い」の局面まで、指し進めるわけですね。

これは、“武士の作法”と同じで、

“首を差し出している”わけです。

 

(私が負けているのは、承知しています、さあ、どうぞ)

 

ですから、最後の局面で、相手に「負け」を宣告するそのときは、

“心、まるで穏やかなる湖面の如く”

いたって冷静になっているのが常です。

淡々と、かつ、胸を張って、ポイントの場面にさかのぼって、

自分の意見を語り始めます。

一方、勝ちを収めた相手は、顔面は紅潮、視線は盤上に落としたまま、

じっと、対手の話に耳を傾けています。

ですから、一見、どちらが勝者かわからない。

将棋を知らぬ記者が、勝者だと思って、間違えて敗者の方に、

「おめでとうございます」と言って、インタビューした、

という笑い話もあったとか。

 

§棋士の人生。

では、棋士の人生で、一番辛いときとは何か。

それは、

 

「自分は、名人にはなれないのだ」

 

と、悟った瞬間であると、いいます。

冒頭の一文は、芹澤九段が、作家:山口瞳氏に語ったという、

有名な逸話ですが、

その後も、芹澤九段の酒量はますます、増えていくことになります。

紛れも無く、彼の早逝(51歳で逝去)の因は、「酒」でした。

すべての棋士にとっての目標は、

 

「名人になること」

 

これに尽きる、と思います。

しかし、当然のことながら、全員が名人になれるわけではありません。

涙を呑まねばならぬ人の方が、圧倒的に多いのです。

 

比べるのが、突飛なことは、百も承知なのですが、

今、話題の鳩山由紀夫新首相は、1885年初代伊藤博文から数えて、

93代の内閣総理大臣です。

将棋の名人位の起源は、江戸時代までさかのぼりますが、

世襲制の時代には13人、実力制に変わってからは、12人。

「名人」を名乗った人は、合わせても、25名に過ぎません。 

名人位とは、このように、その歴史も、格式も、

“ケタはずれ”に重いものといえましょう。

「格式」だけではありません、

なにぶん、記憶が曖昧で、これも、芹澤九段の談だったような気がするのですが、

 

「こいつは、将来、きっと名人になる、といったような相手には、

上手の六枚落のハメ手まで教える…そこまでやるものなんですよ」

 

長くなるので、説明は省きますが、要するに、

棋士生活において、金輪際、必要のないであろう知識でさえ、

名人ともなれば、

身につけておかねばならないのです。

 

最後に、

先にご紹介した、芹澤博文 - Wikipediaにも記述が無いのですが、

芹澤九段が、よく色紙等にお書きになった言葉に、以下のようなものが

あったと、私は記憶しています。

それを、ご紹介して、拙稿を終えます。

 

「将棋は苦し 酒は楽し 人生は哀し」芹澤博文九段)

                   (長文乱文妄言多謝、この稿、了) 

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2009年10月 3日 (土)

「将棋には、『理外の理』がある」~芹澤博文九段<その1>

芹澤博文九段(1936~1987)、とおっしゃる将棋の棋士がおられました。

 

過日の山城新伍さんの訃報に接し、思い出したのですが、

芹澤さんは、その山城さんが司会をされていた、TVのバラエティー番組に、

レギュラーとして、出演なさっていたので、

覚えておられる方もいらっしゃると思います。

当時の棋士の内では、なかなかトークも機知に富んでいて、また、

番組収録時は、いつも、御令室とご一緒にスタジオ入りしておられました。

芹澤博文 - Wikipedia

棋風は、棋理に明るく、早見え・天才型、堂々たる居飛車の本格派。

デビューされたとき、“将来の名人は確実”といわれたほどの、逸材でした。

ところが、運命とは皮肉なもので、ついに、彼は名人になれませんでした。

ときに…、

芹澤九段はご存じなくても、つい先日、現役を引退された、

中原誠第十六世名人については、お名前を聞かれた方も多いと思うのですが、

このお二人、どちらも同門、つまり、高柳敏夫九段門下なのです。

そして、芹澤九段は、中原第十六世の兄弟子にあたります。

ここで……

ちょっと、申し上げますと、一般に、将棋における師匠は、

弟子に将棋の稽古はつけません。

もしも、将棋を指すとしたら、回数的には1回、あるいは2回のみ。

入門時に、実力を見るため、1回指します。

あとは、本人の努力次第。

弟子のやることは、掃除、洗濯とか、師匠の身のまわりの世話です。

何年か経って、仮に、将来的に見込みがない、と判断されれば、

「おまえは将棋指しには向かない。故郷へ帰って、次の仕事を考えろ」

となるわけです。

そこで、餞別の意味をこめて、“お別れ”の将棋を指します。

これが、2回目。

 

現在は、また状況は異なるのでしょうが、かっては、そういうものだったようです。

中原十六世にとって、幸運だったのは、前述のごとく、

兄弟子に、天才:芹澤九段が居たことでしょう。

若い頃、ずいぶんと、稽古をつけてもらったと聞きます。

もちろん、本人の素質・努力があったればこそ、なのですが、

中原十六世の将棋観の構築にとって、

芹澤九段は欠くことのできない存在であったと思うのです。

そして、中原十六世は、「将棋界の若き太陽」といわれ、

21歳にして、棋聖位に就き、

その4年後、大山康晴十五世名人より、名人位を奪取します。

その後、次々とタイトルを奪取していき、

永らく続いた“大山時代”にピリオドを打ち、

“中原時代”を築き上げてゆくことになるのです。

さて…

将棋には、「理外の理」がある

芹澤九段の言葉でした。

そこで、彼の創始した、「猪突銀戦法」をご紹介します。

 

後手番ながら、攻勢を企図し、先手に代わって将棋をリードしてゆきたい。

そのために、開発した戦法です。

しかし、攻勢を取る、というにもかかわらず、

飛車は下段に引いたまま(先手とは逆)、銀だけを最前線に繰り出していく、

という“アンバランス”な布陣。

「棋理には反しているが、これで後手が十分に戦えるはずだ」

それが、天才:芹澤九段の見解でした。

言葉では解りにくいので、図面を紹介します。

将棋を指される方は、是非、一度ご覧ください。

「H.SERIZAWA.doc」をダウンロード

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(なお、上記ファイルの引用元です。

        ↓

九段 芹沢博文の 猪突銀戦法 @将棋 棋書ミシュラン!

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2009年9月29日 (火)

続:「アヴェ・マリア~カッチーニを聴く」。平原綾香さん。~<それを聴くまえに>

荻野目洋子、という歌手がいます。

ここ数年、“休業中”ですが、「引退」はしていません、念のため。

彼女のデビュー当時、

「このタイプの歌手は、絶対にスキにはなれないだろうな」

そんな風に思っていました。

(詳細は、別の機会に)

私が彼女に“大注目”するキッカケになったのは、

皆様ご存知の、

ダンシング・ヒーロー」が大ヒットして、なおその後のことになります。

「てんけいのCDラック」(拙ブログ右下方)にあります、

アルバム「VERGE OF LOVE」を聴いてからでした。

さあ、それからは……

打って変わって、“タイヘン”なことになっていくのですが(苦笑)、

これもまた、別の機会に(笑)。

「可愛さあまって 憎さが百倍」などといわれますように、

つまるところ、

人間心理の「好き」と「キライ」は、“紙一重”なのですね。

つくづく、そう思っています。

 

さて、平原綾香さん、なのですが、

以前、「罪ほろぼしシリーズ」にも書きましたように、

私が、初めて、彼女のシングル、「ジュピター」を聴いたとき、

 

「これは、音大生の歌唱ではない」と、

 

某掲示板に書いたことがあります。

本田美奈子.さんのサイトではありません、他の歌手のです)

後になって、

平原さんは、「音大」といっても、「声楽科」ではなく、

「ジャズサックス専攻」と知ったのが、小生の“罪ほろぼし”の

“出発点”、となったわけですね。

今では、平原さんといえば、「てんけい・イチおし」の“筆頭格”です。

ホントに変れば、変るものだ。

自分でもそう思う。

それにしても、彼女の声は、ブレス音が耳につくし、

“喉の開け方が狭いのでは”という印象も有った。

さらに、どこか、息の“漏れている”ような気もする。

(学問的には「有気音」というのだそうです)

声、それ自体も、特に「美声」とはいえないし、

高音が出る、といっても、“か細すぎる”ではないか。

 

しかし、よく、これだけ“悪口”を書いたものですね(苦笑)。

とにもかくにも、

私的には、“常識はずれのvocal“のように思えました。

だが、やがて…、

平原綾香さんは、そういった常識を超越したところに

存在するのかもしれない、と思い直すようになっていったのです。

 

そういえば、最近のこと……

理外の理というものがある

と言い切った人物がいたことを思い出しました。

デビュー時、「神童」「天才」の名を、ほしいままにした、

将棋九段:芹澤博文氏です。

平原綾香さんの「AVE MARIA」のまえに、

芹澤九段のことを、思い出しつつ、書いてみようと思っています。

(あくまで個人的感想です、乱文、及び、妄言多謝。)

 

PS:ちなみに、荻野目洋子にかぎっては、私は、敬称はつけません。

  まあ、そういう“個人的習慣”です。それも、また別の機会に(爆)。

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