2009年11月11日 (水)

はいだしょうこさんが、本田美奈子.さんの「つばさ」を。

さて、本日、“得意”の番宣です。

11/14(土)、TV東京系の「ミューズの晩餐」(22:30~)に、

はいだしょうこさんが、御出演、

“人生で一番大切な歌”として、「つばさ」を歌われます。

ミューズの晩餐 テレビ東京

はいださんは、昨年でしたか、

本田美奈子.さんの追悼会に、御参加なさっていますが、

実は私、それまで、彼女のことは、全然、存じませんでした。

最近は、TVのバラエティー番組にも、よくお顔を出され、

今ふうにいえば、その、“天然キャラ”を発揮されていらっしゃるようですね。

11/14は、「歌手:はいだしょうこ」としての御登場ですので、

大いに楽しみにしたいと思います。

しょうこのMy Favorite Songs Music しょうこのMy Favorite Songs

アーティスト:はいだしょうこ
販売元:PONYCANYON INC.(PC)(M)
発売日:2008/07/16
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さて、このTV番組「ミューズの晩餐」ですが、ご覧になっていらっしゃる方なら、

御存じでいらっしゃいましょうが、

司会は、拙ブログでも、何度か御紹介申し上げた、

「クロス・オーバー界の旗手」、バイオリニスト:川井郁子さん、

本田さんと、ミュージカル「クラウディア」で共演された、寺脇康文さんの

お二人が務めておられます。

本田さんについての思い出話なども、

それぞれに、語ってくださるのではないでしょうか。

11/6が過ぎ、そして、来る11/22には、本田さんのメモリアル・コンサートである、

「音楽彩」が催されるこの時期、

特定非営利活動法人リブ・フォー・ライフ美奈子基金

全国の皆さんに、はいださんの「つばさ」を聴いていただけるのは、

本当にうれしいことですね。

なお、放送日時は、地域により異なるかもしれません。

あらかじめ、ご確認ください。   (おしまい)

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2009年11月 9日 (月)

忘れようとして(3)「これが将棋」。~大内延介九段

(前回よりつづいて、大内延介先生についてです)

後日………、

大内九段は、囲碁の林海峰九段との対談において、

次のような発言を残されています。

~~~~~

「僕が8二歩と打った時に、中原さんがすぐ同飛車と

取ってくれていれば、ああいう事件は起きなかった。

それが手洗いに立って帰ってくる何分かの間に、神の啓示というか、

僕の中に悪魔が宿ったっていうか、そうとしか考えられないですよね。

(中略)それを体験した時に、人間は運命付けられているのじゃないか

っていうような、運命みたいなのを感じますね。」

~~~(毎日コミュニケーション刊:「勝負の世界」(1987年)より 引用筆者

 

大内九段は、「運命」という言葉を使われていますが、

なぜ、このような間違った手を指されたのでしょうか。

もちろん、錯覚はプロ・アマ問わず、人間ならば避けられないものには

違いありません。

あるいは…、想像するに…

大内九段は▲4五歩以下の変化を、

相手の王様の詰み(=王様が、どこにも逃げられない状態のことです)

に至るまで、深く読み進めるあまり、

“既に、▲4五歩―△同銀―▲4四歩打の”必然の手順“を指してしまっている”

そんな錯覚に陥ったのではないでしょうか。

これは、私の想像ですが、この種の錯覚は、プロ棋士には時々ある、とも聞きます。

あまりにも深く、かつ緻密に、

(中盤の変化の多い局面では、数百手も読み進めることがある、と聞きます)

指し手を読むために生じることなのですね。

ですから、数十手~何百手も読まない(読めない)アマチュアには、

このようなことは、まず、起き得ないことであり、

その心理状態も、われわれには、なかなか想像し難い面がある。…

これも、私の仮説ですが。

~~~~~

この勝負の結末は、「引き分け」という結果に終わりました。

その後、中原名人の王様が絶体絶命の窮地を脱出、

“逃げ出し”に成功したわけです。

そして、次に行われた指し直しの勝負で、大内九段は敗退、

中原名人は、辛くも名人位の防衛を果たしました。

あの▲7一角を打つ前の局面は、

先手がほとんど勝っています。

野球に例えると、

「10対零、9回ツーアウト、ランナーなし」……

いや、10点差かどうかは、別にして、ともかく圧倒的な大差なのです。

野球ならば、逆転、もしくは同点などということは、あり得ない状況です。

しかし、将棋は別です。

僅か、一手のことで、形勢はひっくり返ってしまいます。

また、終盤戦において、“どう指しても勝ち”と思える局面が時々ありますが、

勝利につながる手は、実は、その内の一手だけ、という場合もよくあるのです。

そして、“早く勝ちたい”という気持と、“安全に勝ちたい”という

二つの相反する心理が、交錯する結果、

焦り・迷いが生じ、逆転負けを喫する…

これは、プロ・アマ問わず、将棋においては、

誰もが、幾度となく経験したはずです。

 

それにしても、なんと、将棋とは、

誘惑と、陥穽に満ちたゲームなのでしょうか。

どんなに有利、優勢な局面であっても、

つねに、“断崖絶壁”の状態にいるのだ、ということを、

自覚せねばなりません。

「勝利」へとたどり着く道は、いつも、細い道が1本残されているのみ…

ここまで書くと、「浄土の真宗」における、「念仏道」と、

なぜか、私には、重なって見えてくるような気がします。

http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_513f.html

いや、またも“ヘボ将棋”の身で、くだらぬ“寄り道”をしてしまいました。…

 

ところで、いかに、御訪問者も少なく、かように辺鄙なブログとはいえ、

当の大内九段にしてみれば、“二度と見たくもない” 将棋を

(御本人にすれば、たぶん、そうだろうと想像するのです)、

取り上げてしまったわけですが、もちろん、申し上げるまでもなく、

八段、九段といえば、プロの最高峰、A級棋士であり、

我々からすれば、神様に等しい存在です。

非難とか、そういった中傷めいた意図は、毛頭、ございません。

 

むしろ、

どんなに勝勢の局面であっても、一手間違えば、

あッというまに、敗北へと転落していく、

 

これが、将棋なのだ」 

 

ということを、あらためて、世に広く知らしめた、

これこそが、この名人戦における、最大の“眼目”であったような気がします。

 

昔、ある人に、

「囲碁と将棋って、どちらが面白いのですか?」

なんて、訊かれたことがあります。そこで、私は、

「私は囲碁については、よく、知りませんし、

今は将棋の方を、好んではいますが、比べるならば、

囲碁は宇宙、将棋は人生』、という風に例えられると思っています」

と、答えたことがあります。

 

ならば、私流に申せば、

これが、将棋なのであり、これが、人生なのだ」ということになるでしょう。

さて、不世出の大棋士、大山康晴第十五世名人の棋風は、かっては、

「表芸は矢倉、裏芸は振り飛車」(後年は、逆になりましたが)

と言われていました。

大内九段が、最近どのような将棋を指されていらっしゃるのか、

不勉強につき、存じませんが、

ぜひ、「裏芸の居飛車」でもって、いや、振り飛車でもいいのですが、

(氏の名著、「5七銀左戦法」は私の”バイブル”でした)

5七銀左戦法 @将棋 棋書ミシュラン!

今一度、棋界において”怒涛のひと暴れ”をしていただきたい。

それが、かの時代を知る、“あるオールド・ファン”の願いなのです。

                    (長文乱文妄言多謝、この稿了)

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付記:

前回ご紹介しましたURLをもう一度、ご紹介しておきます。

当該図面と解説がアップされています。

”語り継ぐために・・・

及び、“タイトル通り” 忘れようとして。

「穴熊囲い」のURLを貼るのを、ウッカリしておりました(苦笑)。

穴熊囲い - Wikipedia いい命名ですネ。

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2009年11月 8日 (日)

忘れようとして(2)~名人位は、すぐそこにあった。大内延介九段

さて、“忘れ去る前に”----前回のつづきですね、

将棋九段:大内先生についてであります。

昭和50年(1975年)の第34期名人戦、

中原誠名人に対する挑戦者は、大内延介(のぶゆき)八段(当時)。

大内八段といえば、「穴熊囲い」の“パイオニア“として、有名ですね。

大内延介 - Wikipedia

「穴熊囲い」とは、王様を、将棋盤の一番隅のマス目に移動して、

まわりを、金・銀・桂・香で囲む構えのことです。

この囲いは、私が子供の頃は、素人の“縁台将棋”用とされ、

「実戦向きにあらず」とされていたものでした。

どういう経緯でもって、

そのアマチュアの“専売特許”であった「穴熊」が、

名人戦という、“ヒノキ舞台”にまで登場するようになったかは、

今回は割愛します。

 

さて、この第34期名人戦は、両雄33敗で、最終局に決着が持ち込まれました。

私の記憶では、その間に1局、「矢倉戦」があり、大内延介八段が

勝ちを収めた将棋があったはずです。

当時、解説の升田幸三名人が、

「大内君は、こんなに矢倉を上手に指すのに、

なぜ、ホラ囲い(=穴熊囲いの別名です)ばかりやるのだろう」

というような御講評があったと記憶しています。

ところで、「矢倉」は、中原名人の得意戦法。

米長邦雄永世棋聖(元名人)の言葉を借りれば、

「矢倉は、将棋の純文学である」

ということになります。

(「なぜ矢倉戦法が、“純文学”なのか」ということですが、

これはまた、難しい問題ですね)

 

この最終局ですが、挑戦者大内八段が、

優勢、いや、勝勢で終盤に入りました。

 

図面がないと、分りづらいので、本局の解説がなされているURL

ご紹介いたします。よろしければ、ぜひ、ご参照のほどを。

変化手順にも、触れられておられますので。

”語り継ぐために・・・

 

まず、先手の大内八段は、中原誠名人の飛車の頭に▲8二歩と打ちました。

飛車が横に逃げれば、大内陣は安泰です。

ここで、中原名人は、手洗いに席を立ちます。

 

私は、前回の記事で、「棋士の作法」ということを申し上げました。

http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-d7dc.html

このとき、中原名人は、“負け”を覚悟していたと思います。

~~~~~

まず心を落ち着かせて、終局後の、名人位を失ったことについての、

記者団のインタビューに対するコメントを考えている…

~~~~~

控室の棋士、記者、また対局者の大内八段自身も、そのように想像したことでしょう。

そして、その推理は100%当たっていた、と私も思います。

さて、対局室に帰ってきた中原名人は、ゆっくりと、△8二同飛と、敵歩を取ります。

ここで、大内八段は信じられない悪手を指します。

持ち駒の中から、角を取り上げて、

 

▲7一角打!

 

このとき、大内延介八段は、手中にしていた名人位を、失うことになります。

まず、▲4五歩と突き、△同銀と取らせて、▲4四歩打…それから▲7一角と打つ。

これで、先手の勝ちでした。

もちろん、そんなことは大内八段も百も承知。

なぜなら、ずっと▲4五歩以下の変化を,

相手の王様が、完全に動けなくなるまで、

数十手にわたり、(終盤ですから、そのくらいの手数だと思うのですが)

読み切っていたからです。

もしも、…(勝負の世界に「もしも」は禁句なのですが)

中原名人が、あの時、

 

席を立たずに、ノータイムで、

大内八段の▲8二歩を、△8二同飛と取っていたならば、

必ず、大内八段は▲4五歩と指していたはずなのです。

そして、「新名人」の誕生、また、

将棋界も、将棋技術の変化・発展も、

現在とは、異なった様相を呈しているかもしれません。

………(注:タイトル・段位は対局当時のものです)

                       (この項、つづく)

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2009年11月 1日 (日)

忘れようとして(1)~芹澤博文九段のこと(付記)

先週のことだったが、朝、会社へ出かける直前、

“生涯、忘れ得ぬであろう光景”を目にしました。

 

瞬間、そう感じたのです。

涙が出そうでした。

クルマの中でも、私は、懸命に涙をこらえていました。

 

では、いったいどんな光景だったのか…と、いうことになるのですが、

どうしよう―、やはり、今日は書かないでおきます。

別に、何の変哲もない、

よくある家庭内の出来事ではあると思うのです。

そのとき、思ったこと―

“人生とは、やはり、辛くて、悲しいものだ”ということ。

言葉を換えて言えば、

“経済も、歴史も、みんな名も無く、貧しい市民が築き上げてきたものであり

“にもかかわらず、経済、また、歴史の荒波を、一番先に受けるのも、

その貧しい市民にほかならない“ということ。

そんなことを考えていたら、切なくなりました。

民主党は、先の選挙で大躍進して、“得意の絶頂”にあるのでしょうが、

その民主党にせよ、自民党にせよ、

為政者の連中には、365日、つつましく暮らしている、

庶民のことなど、絶対に分かることはないのではなかろうか。

……。

閑話休題。

 

~~~~~~

芹澤博文九段が「天才」であったのは、いいとして、

では、なぜ、彼は名人になれなかったのか”

 

そんな旨のメールをいただいたのですが…

ひとつ、思い出したことがあります。

それは、以下のようなこと。

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

新聞将棋の観戦記でくだらぬのは、対局当日の天気がどうであったとか、

対局者の、昼食のメニューが「かつ丼」だったとか、そんなことしか書かれてない観戦記である。本当に知りたいのは、その将棋の急所はどこであったか、

その局面では、どう指すべきであったか、それを知りたいのである”

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

アマチュアの棋客においても、“たとえ、香車一本でも強くなりたい”

(“ごくごく僅かでも上達したい”ということを、将棋では、このように表現します)

と願う人々は、このように思ったものです。(かっては、私もそうでした)(苦笑)

だいぶ昔のこと、将棋雑誌で上記のような投稿だったか、記事だったかを

見かけた記憶があります。

阪神大震災以降、私は、新聞を購読していませんので、わからないのですが、

最近の新聞の将棋欄はどうなのでしょう。

 

さて、確かに、言われるように、最も肝心なポイントについては、

何も書いていませんでした。

 

というよりも、正直なところ、小生如きアマチュアの“ヘボ棋客”には、

あまりにも、難問過ぎて、「書けなかった」わけですね。

ではありますが、

“さっぱりわやくちゃ”の理念のもと、少しだけ綴ってみます。

芹澤博文 - Wikipediaにある如く、芹澤九段の言動については、

いろいろと問題があったのは事実のようです。

確か、米長邦雄永世棋聖(元名人)の言だったと記憶するのですが、

(間違いでしたら、どなたかご訂正してください)

 

名人位とは、単に盤上の技術とかではなく、“将棋の神様”が授けるものだ

 

そのような言葉があったと思います。

 

芹澤九段についてですが……

氏は、その裏も表も無い、あまりにストレートな言動ゆえ、

非常に誤解も多かった、とも聞きます。

Wikipediaを読みますと、

芹澤九段は、なんだか“大悪党”のように思われるかもしれませんが、

みなさんが、TV画面でご覧になられた如く、

“さっぱりとした、好人物だった”のような評もありますので、

そのようなことも、頭の片隅に留めておいていただきたい。

ですから、私の感想としては、

 

あるいは…、「将棋の神様」が、少し、“ヘソを曲げられた”のかも…

芹澤九段については、そんな風に思っています。

なんのご参考にもならなかったですね。

 

スミマセン。

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ところで、名人になれなかった人物をもう一人覚えています。

その棋士とは、大内延介九段。

昭和50年(1975年)の第34期名人戦、相手は、中原誠名人(当時)

でした。

当時、私自身、実際に盤に並べた記憶があるのです。

寄り道のついでに、

“忘れる前に”、その、中原-大内戦のこと、及び、

芹澤九段も、実感されたことであろう、

将棋の“怖さ”について、少しだけ、触れてみます。

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2009年10月12日 (月)

「将棋には、『理外の理』がある」~芹澤博文九段<その2>

(前回のつづきです)

~~~~~~~

その芹澤博文が、あるとき、激しく泣いた。

芹澤が屋台のオデン屋で飲んでいて、急に涙があふれてきたというのである。

そのとき、芹澤は、突如として、

 

「ああ、俺は、名人になれないんだな」

 

という思いがこみあげてきたのだそうだ。

~~~~~~~~~~山口瞳著「血涙十番勝負」より

 

さて、“ヘボ将棋”の身ではありますが、

芹澤博文九段と将棋のことについて、もう少し、気ままに書き進めます。

§棋士の作法。

将棋の対局で、自分に負けを言い聞かせるときが、棋士にとって、

最も辛い瞬間でしょう。

どんなに考えても、自分に“勝ち筋”が浮かばない、つまり、

どうしても、“一手足らない”―

言わば、“一手違い”で負けている、ことを確認したときなのです。

プロ棋士どうしの勝負では、上記のように、

「一手違い」の勝負になることが多いわけですね。

ちなみに、「一手違い」という言葉を、もう少し詳しく説明しますと、

最終の負けの時点で、

もしも、自分の手番であると仮定した場合、

実際の勝敗の結果とは逆に、“自分が勝っている”。

(=もしも、自分が手を指す順番ならば、先に相手の王様が取れる)

そういう状態のことを言います。

さて、実戦では、粛々と手を進めていき―

ともかく、さきほど読み切った「一手違い」の局面まで、指し進めるわけですね。

これは、“武士の作法”と同じで、

“首を差し出している”わけです。

 

(私が負けているのは、承知しています、さあ、どうぞ)

 

ですから、最後の局面で、相手に「負け」を宣告するそのときは、

“心、まるで穏やかなる湖面の如く”

いたって冷静になっているのが常です。

淡々と、かつ、胸を張って、ポイントの場面にさかのぼって、

自分の意見を語り始めます。

一方、勝ちを収めた相手は、顔面は紅潮、視線は盤上に落としたまま、

じっと、対手の話に耳を傾けています。

ですから、一見、どちらが勝者かわからない。

将棋を知らぬ記者が、勝者だと思って、間違えて敗者の方に、

「おめでとうございます」と言って、インタビューした、

という笑い話もあったとか。

 

§棋士の人生。

では、棋士の人生で、一番辛いときとは何か。

それは、

 

「自分は、名人にはなれないのだ」

 

と、悟った瞬間であると、いいます。

冒頭の一文は、芹澤九段が、作家:山口瞳氏に語ったという、

有名な逸話ですが、

その後も、芹澤九段の酒量はますます、増えていくことになります。

紛れも無く、彼の早逝(51歳で逝去)の因は、「酒」でした。

すべての棋士にとっての目標は、

 

「名人になること」

 

これに尽きる、と思います。

しかし、当然のことながら、全員が名人になれるわけではありません。

涙を呑まねばならぬ人の方が、圧倒的に多いのです。

 

比べるのが、突飛なことは、百も承知なのですが、

今、話題の鳩山由紀夫新首相は、1885年初代伊藤博文から数えて、

93代の内閣総理大臣です。

将棋の名人位の起源は、江戸時代までさかのぼりますが、

世襲制の時代には13人、実力制に変わってからは、12人。

「名人」を名乗った人は、合わせても、25名に過ぎません。 

名人位とは、このように、その歴史も、格式も、

“ケタはずれ”に重いものといえましょう。

「格式」だけではありません、

なにぶん、記憶が曖昧で、これも、芹澤九段の談だったような気がするのですが、

 

「こいつは、将来、きっと名人になる、といったような相手には、

上手の六枚落のハメ手まで教える…そこまでやるものなんですよ」

 

長くなるので、説明は省きますが、要するに、

棋士生活において、金輪際、必要のないであろう知識でさえ、

名人ともなれば、

身につけておかねばならないのです。

 

最後に、

先にご紹介した、芹澤博文 - Wikipediaにも記述が無いのですが、

芹澤九段が、よく色紙等にお書きになった言葉に、以下のようなものが

あったと、私は記憶しています。

それを、ご紹介して、拙稿を終えます。

 

「将棋は苦し 酒は楽し 人生は哀し」芹澤博文九段)

                   (長文乱文妄言多謝、この稿、了) 

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2009年10月 3日 (土)

「将棋には、『理外の理』がある」~芹澤博文九段<その1>

芹澤博文九段(1936~1987)、とおっしゃる将棋の棋士がおられました。

 

過日の山城新伍さんの訃報に接し、思い出したのですが、

芹澤さんは、その山城さんが司会をされていた、TVのバラエティー番組に、

レギュラーとして、出演なさっていたので、

覚えておられる方もいらっしゃると思います。

当時の棋士の内では、なかなかトークも機知に富んでいて、また、

番組収録時は、いつも、御令室とご一緒にスタジオ入りしておられました。

芹澤博文 - Wikipedia

棋風は、棋理に明るく、早見え・天才型、堂々たる居飛車の本格派。

デビューされたとき、“将来の名人は確実”といわれたほどの、逸材でした。

ところが、運命とは皮肉なもので、ついに、彼は名人になれませんでした。

ときに…、

芹澤九段はご存じなくても、つい先日、現役を引退された、

中原誠第十六世名人については、お名前を聞かれた方も多いと思うのですが、

このお二人、どちらも同門、つまり、高柳敏夫九段門下なのです。

そして、芹澤九段は、中原第十六世の兄弟子にあたります。

ここで……

ちょっと、申し上げますと、一般に、将棋における師匠は、

弟子に将棋の稽古はつけません。

もしも、将棋を指すとしたら、回数的には1回、あるいは2回のみ。

入門時に、実力を見るため、1回指します。

あとは、本人の努力次第。

弟子のやることは、掃除、洗濯とか、師匠の身のまわりの世話です。

何年か経って、仮に、将来的に見込みがない、と判断されれば、

「おまえは将棋指しには向かない。故郷へ帰って、次の仕事を考えろ」

となるわけです。

そこで、餞別の意味をこめて、“お別れ”の将棋を指します。

これが、2回目。

 

現在は、また状況は異なるのでしょうが、かっては、そういうものだったようです。

中原十六世にとって、幸運だったのは、前述のごとく、

兄弟子に、天才:芹澤九段が居たことでしょう。

若い頃、ずいぶんと、稽古をつけてもらったと聞きます。

もちろん、本人の素質・努力があったればこそ、なのですが、

中原十六世の将棋観の構築にとって、

芹澤九段は欠くことのできない存在であったと思うのです。

そして、中原十六世は、「将棋界の若き太陽」といわれ、

21歳にして、棋聖位に就き、

その4年後、大山康晴十五世名人より、名人位を奪取します。

その後、次々とタイトルを奪取していき、

永らく続いた“大山時代”にピリオドを打ち、

“中原時代”を築き上げてゆくことになるのです。

さて…

将棋には、「理外の理」がある

芹澤九段の言葉でした。

そこで、彼の創始した、「猪突銀戦法」をご紹介します。

 

後手番ながら、攻勢を企図し、先手に代わって将棋をリードしてゆきたい。

そのために、開発した戦法です。

しかし、攻勢を取る、というにもかかわらず、

飛車は下段に引いたまま(先手とは逆)、銀だけを最前線に繰り出していく、

という“アンバランス”な布陣。

「棋理には反しているが、これで後手が十分に戦えるはずだ」

それが、天才:芹澤九段の見解でした。

言葉では解りにくいので、図面を紹介します。

将棋を指される方は、是非、一度ご覧ください。

「H.SERIZAWA.doc」をダウンロード

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(なお、上記ファイルの引用元です。

        ↓

九段 芹沢博文の 猪突銀戦法 @将棋 棋書ミシュラン!

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2009年9月29日 (火)

続:「アヴェ・マリア~カッチーニを聴く」。平原綾香さん。~<それを聴くまえに>

荻野目洋子、という歌手がいます。

ここ数年、“休業中”ですが、「引退」はしていません、念のため。

彼女のデビュー当時、

「このタイプの歌手は、絶対にスキにはなれないだろうな」

そんな風に思っていました。

(詳細は、別の機会に)

私が彼女に“大注目”するキッカケになったのは、

皆様ご存知の、

ダンシング・ヒーロー」が大ヒットして、なおその後のことになります。

「てんけいのCDラック」(拙ブログ右下方)にあります、

アルバム「VERGE OF LOVE」を聴いてからでした。

さあ、それからは……

打って変わって、“タイヘン”なことになっていくのですが(苦笑)、

これもまた、別の機会に(笑)。

「可愛さあまって 憎さが百倍」などといわれますように、

つまるところ、

人間心理の「好き」と「キライ」は、“紙一重”なのですね。

つくづく、そう思っています。

 

さて、平原綾香さん、なのですが、

以前、「罪ほろぼしシリーズ」にも書きましたように、

私が、初めて、彼女のシングル、「ジュピター」を聴いたとき、

 

「これは、音大生の歌唱ではない」と、

 

某掲示板に書いたことがあります。

本田美奈子.さんのサイトではありません、他の歌手のです)

後になって、

平原さんは、「音大」といっても、「声楽科」ではなく、

「ジャズサックス専攻」と知ったのが、小生の“罪ほろぼし”の

“出発点”、となったわけですね。

今では、平原さんといえば、「てんけい・イチおし」の“筆頭格”です。

ホントに変れば、変るものだ。

自分でもそう思う。

それにしても、彼女の声は、ブレス音が耳につくし、

“喉の開け方が狭いのでは”という印象も有った。

さらに、どこか、息の“漏れている”ような気もする。

(学問的には「有気音」というのだそうです)

声、それ自体も、特に「美声」とはいえないし、

高音が出る、といっても、“か細すぎる”ではないか。

 

しかし、よく、これだけ“悪口”を書いたものですね(苦笑)。

とにもかくにも、

私的には、“常識はずれのvocal“のように思えました。

だが、やがて…、

平原綾香さんは、そういった常識を超越したところに

存在するのかもしれない、と思い直すようになっていったのです。

 

そういえば、最近のこと……

理外の理というものがある

と言い切った人物がいたことを思い出しました。

デビュー時、「神童」「天才」の名を、ほしいままにした、

将棋九段:芹澤博文氏です。

平原綾香さんの「AVE MARIA」のまえに、

芹澤九段のことを、思い出しつつ、書いてみようと思っています。

(あくまで個人的感想です、乱文、及び、妄言多謝。)

 

PS:ちなみに、荻野目洋子にかぎっては、私は、敬称はつけません。

  まあ、そういう“個人的習慣”です。それも、また別の機会に(爆)。

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2009年9月15日 (火)

「アヴェ・マリア~カッチーニ」を聴く。~Interlude(及び、民主党政権のこと)

さて、本田美奈子.さんの「AVE MARIA」について、駄文を綴ってきたが、

いよいよ、平原綾香さんの「AVE MARIA」について、

(例によって)「独断と偏見」、また、

「妄想と幻想」に満ち満ちた感想を書いてみるつもりである。

 

このブログ、平原さんはじめ、様々な歌手の方々が登場していて、

“オマエ、それでも本田さんのファンか”などの意見も頂戴しているが、

 

「母国語を研究するには、まず、外国語を勉強せよ」

 

というのが、私の“信条”でもあり、

このような手法でもって、おぼろげながらでも、

本田美奈子.さんの“輪郭像”へと迫ることが出来ぬか、

という目論見であった。

(と、ここまで書いて、やはり“言い訳”が半分くらい入ってますねー)

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さて、更新を休止している間に、「8・15」があり、また、衆院選も行われた。

選挙の結果は、皆様、ご存知のとおり。

結果を受けて、すぐに、拙ブログに書こうかと、思ったのだが、

“思っただけ”で、遂に、アップ出来ず。

さしあたって、ごく手短かに記す。

幹事長に、小沢一郎氏を起用したことは、

おそらく、みんな、“ビックリ”したことであろう。

自民党の面々も、民主党内部においてすらも、である。

小沢グループが党内での最大グループであることは確かだが、

私は、この「小沢氏」は、従前より、“信用出来ぬ人物”と言い続けている。

と、いうよりも、私とは、思想的に随分と隔たりがある、といったほうが良いかもしれぬが、

それはさておき、

マスコミも書かないから、“ゴマメの歯ぎしり”として言うのだが、

思い出してください、

かって、小沢氏―福田首相(当時)の会談で、

自民・民主の「大連立政権構想」が提案されましたね。

都議選敗北についての麻生首相に対する「総括」も結局、行われなかったが、

この、「大連立」を推し進めようとした、小沢氏自身が、

新幹事長就任とは、どういうわけか。

私が言いたいのは、まだ、この「大連立」の可能性にしても、

僅かながら有るかもしれない、ということである。

300議席超の民主党議員全部が同調しては、大変な事態になるが、

でなければ、小沢グループは、民主党を出て、自民党と合流するかもしれない。

これが、前に書いた

http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-2631.html

「政界再編」ということである。

新政権の財務大臣には、ようやくのこと、“本命視”されていた

藤井裕久氏に落ち着きそうなのであるが、

この組閣劇にも、小沢氏の“影“が見え隠れするようだ。

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さて、「アヴェ・マリア~カッチーニ」である。

このところ、物忘れがひどく、

それでなくても、“ITオンチ“を自認する身とあっては、

先日も、DVD-Rと、DVD-RAMを間違える始末。

“これではならじ”と、(よせばいいのに)

久々の音楽ファイルアップに挑戦してみる。

昔のココログのように、単純ではないので、困ったものだ。

私の大好きなアーチストにつき、

期間限定」ということにするかも、である。

やや、間奏部のメロディーが“勝ち過ぎ”の感もあるが、

至高の美しさの女声コーラス。

アヴェ・マリア~カッチーニ」です。

MUSIC - Windows Live

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2009年8月16日 (日)

8・15に思う~正座して聴きたい音楽(?)土居裕子さん、再び。

§森光子さんのこと。

年のせいで、記憶が、どんどんと、アヤフヤになっていくが、

これは、いたしかたない。

これも、“聞き書き”で、内容は、アヤシいところもあろうが、

大筋は合っているはずである。

森光子さんが、戦後直後、米駐留軍の処へ、歌を歌いにでかけたそうである。

つい、この前までは、英語の歌など、歌える状況ではなかったが、

変われば、変わるものだ。

いつものように歌っていると、長身の米兵が一人、何かブツブツつぶやきながら、

自分の方へ、歩み寄ってくるのである。

どうすれば、いいのか分からない。

森光子さん、といっても、もちろん、当時は、うら若き乙女だ。

恐怖感が、全身を包む。

近付いてきた米兵の言葉が、ようやく、聞き取れる距離になった。

Swing,swing!」と繰り返していた、というのである。

森さんは、とっさに、ぎこちないステップを踏み始めたそうなのであるが、

くだんの米兵、ようやく、「OK…」と言い残して、去っていったそうである。

今では、「笑い話」だが、そのときは、さぞ、コワかったに違いない。

 

「ああ、日本は戦争に敗けたんだって、そのときに実感しました」

 

とは、森光子さんの述懐であった。

どういうことかというと、

森さんが日本兵の慰問に行った際は、

兵士すべてが、居住いをピシッと正し、

全身の神経を集中させて、

森さんの歌を、一言たりとも、聞き洩らすまいと、

聴き入ってくれた、というのである。

戦争が終わり、こうして米軍のほうに赴くと、

私語は飛び交う、食事を摂る者はいる、席を立って歩きまわる兵士もいたであろう。

もちろん、彼我の軍を取り巻く状況には、”天と地”ほどの相違があったにしても、

それまでとは、180度変わった状況になってしまった。

ただ、似たような経験は、事柄こそ違え、

当時の日本人すべてが経験したことであろう。

「終戦」は、すべての事象における価値観を、一変させたのである。

§昨日は終戦記念日。

「『終戦記念日』、とは、何ごとか。はっきりと『敗戦記念日』というべきだ」

などいう意見が、最近聞かれますが、

“それは、どうか”、と私は思います。

昨年も書きましたが、

~~~~~~

“とにもかくにも、十五年にわたる戦争が終わった

少なくとも、夜が来たら、家の灯りはつけることができるのだ”

1945年当時の国民は、そんな気持ではなかったでしょうか。

「8・15」を、「敗戦記念日」といわずに、「終戦記念日」というのは、

「戦争」からの、このような「解放感」があったからではないか、とは私の推測です。

~~~~→http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/8_bdb2.html

上のような理由がひとつ。

 

「ヒロシマ・ナガサキ」は人類史上、例をみない残虐な事件でありますが、

さて、その「ヒロシマ・ナガサキ」の地から、

“報復のため、米国へ原爆を”なんて意見が出たでしょうか。

答えは、もちろん、「否」。

「核の犠牲者は、もう、我々で最後にしたい」

ここに私は、日本民族の、極めて高次元な、精神活動の所産を見る思いがする。

この「人類史上、例をみない残虐な事件」に対して、ですよ。

人類が「核の時代」に突入してしまった以上、

戦争には「勝者」も「敗者」もありません。

そういったこともふまえて、広島の原爆慰霊碑の碑文を、読まねばなりませんね。

さて、終わりに、詩人・作家の辻井喬氏の文章を、一部引用いたします。

~~~~~(引用開始)

自分の国の文化的伝統、それを表現するための言葉の美しさに

誇りを持っていない人が武器を持つと、容易に外国の司令官に

顎で使われてしまうに違いない、

吉田茂がもっとも深く考えたのはこの点であった。敗けた国が軍隊を持ったら、

戦勝国のいいように使われて犠牲者が出る。

だから、軍隊を持たずにいきたい。

戦争には敗けたが、外交で成功した国にならなければと考えていた時、

憲法の草案を見て、吉田茂は膝を打たんばかりにして喜び、

「これでいこう」と言ったという話が伝えられている。(後略)

~~~~~辻井喬氏のコラムより 日経新聞200958日夕刊より

衆院選挙は、既に始まっていますが、

選挙の後、

---------本当は、「選挙の前」にあって然るべきなのですが--------

政界再編が、当然、予想されます。

そうなれば、おそらく、選挙の結果では、

民主党が第一党になっているのでしょうが、-

その「第一党」の立場すら怪しくなってくるかもしれません。

「政界再編」における最重要議題は、「憲法9条」であるからです。

おっと、「本題」に戻らねば。

§再び、土居裕子さん、なのですが。

正座して聴く、なんてのは、戦時中でもあるまいし、

確かに言い過ぎ、ではありましたが、

土居裕子さんの歌唱を耳にすると、やはり、そんなことを思い浮かべてしまいます。

思わず、背筋が“ピン”と伸びる、っていうのかな

“歌の神様”ならばともかく、「完璧な歌唱」なんて、

われわれ人間には難しい、とは思いますが、

土居さんの歌は、発声、発音の美しさは、「限りなく完璧」に近い。

「端正」という言葉がありますが、歌の「端々」まで、細かい神経が行き届いています。

 

「日本語とは、こんなに美しいものだったのか」

 

そんなことを再認識できます。

ド素人の小生の言うことですから、アテにはなりませんが、

そんな想いがしています。

というわけで、御一聴のほどを。

さて、以前に、ご紹介したのは「春の唄」でしたが

http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ac90.html

おススメCDは、「ローレライ」。

<収録曲>

アニー・ローリー

ロンドンデリーの歌

美しき (スコットランドの釣鐘草)

ローレライ

懐かしのヴァージニア

おおスザンナ

金髪のジェニー

赤いサラファン

村の娘

エーデルワイス

この道

時計台の鐘

月見草の花

冬の星座

旅愁

ぶらんこ

ゆりかご

春の唄

どこかで春が

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素晴らしい選曲ですね。試聴、お申込はこちらから。

土居裕子オフィシャルサト『インカラー』

右下の「ローレライ」をクリック、

そして、次にDISCO-08をクリックしてください。

御紹介したHPからは、土居さんのブログへも、行けます。

これ、毎日、更新なさっていますね----

オイラとは、エラい違いじゃー(笑)。

それにしても、今回、「支離滅裂」だわねー。

あ、いつものことか(笑)。            (おしまい)

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2009年8月11日 (火)

「アヴェ・マリア~カッチーニ」を聴く。 本田美奈子さん。~<その2>

(前回からのつづきです)

§アンバランス感。

本田美奈子.さんのvocalは、あまりにも美しい。

しかも、同じ詞をrepeatする中で、歌唱表現に、

ごくごく微妙な変化を加えている。

他の歌手では、こうは、いかないかもしれない。

聴いていると、自然に、彼女の音楽世界に引き込まれてしまうのだが、

前述の如く、聴き終わったあと、

どこか、“満たされない”ような、「なにか」が、私には残る。

何故か。

その因は、どうも、2コーラス目以降に伴奏部に加わる、

ベース音のせいのようだ。

イントロに登場するチェロよりも、更に低い「地を這う」ようなベース音が

奏でられているのであるが、この音色の存在が、

「不吉なるもの」または、「不安定感」を

私の心に引き起こしているような気がしてならないのだ。

だから、本田さんの美しく澄み切ったvocalとの対比において、

実に「不条理な」、また、「アンバランスな感覚」に襲われるのである。

(もちろん、私は、アレンジャー:井上鑑氏の功罪を問うているのではない。

あくまで、私的な感想である)

当然のこと、カタルシスは、皆無ではない。

だが―

私がこの曲を、毎日、聴いていたことは、前に書いた。

この「どこか、満たされない思い」が、

繰り返し繰り返し聴いていた行為につながってしまったのであろうか。

 

当時の私には、本田さんの歌から、

“パワー”とか、“エネルギー” とかをもらった、という実感は持てなかったのだが、

今、こうして、想い出してみると、

“折れそうな心”を抱えながら、

毎日歌を聴き続ける、という行動に駆り立てたものが、

この曲特有の、“音楽のチカラ”だったのかもしれない。

と、なれば、やはり、この「AVE MARIAは、

私にとって、「恩人」である、といえよう。

ここにも、この楽曲独特の“逆説”、というか、

“二面性”の存在が見てとれる。

§人生―この「不条理」なるもの。

最初の文章において、私は、

http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-491c.html

 

「人生とはなんと不条理なものであろうか」

 

と、記した。

本田さんの歌う「AVE MARIA」は、

或は、この人生における「不条理なるもの」、即ち、「光」と「影」を、

そのまま歌い表しているのかもしれない。

本田美奈子.さんは、この彼女独自の「クラシック路線」の展開にあたり、

 

私は、このアルバムに、命をかけています

 

と、記者会見の席上で、毅然として言い切った。だが……

§最後に―。

しがないサラリーマンの、くだらぬ“愚痴”に付きあわされた、

本田さんも、さぞ、ご迷惑な話であり、

なにより、ここまで読み進まれた皆様方におかれても、

甚だ不快な感を抱かれた方もいらっしゃるであろうから、

そのことについては、まさに、忸怩たるものがあるのだが、

以上が、私の「AVE MARIA」に対する、包み隠しもしない、

全く正直な感想なのである。

ただひとつ、言えることは、

この「AVE MARIA」は、

これからも、聴く人々の心それぞれに、

嬉しいときも、悲しいときも、

さまざまな感動を呼び起こすことに違いない。

そして、私は、今しばらく、

 

本田美奈子.さんの遺されたもの、

そして、

遺そうとされたものについて、

 

想いを寄せてみたいと思っている。

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<追記>

本田さんの「アヴェ・マリア」のPV動画がこれ。

私が初めて目にしたのは、彼女が天界に還られてからのことだが、

とても、正視できなかった。

今でも、やはり、つらい。

http://www.youtube.com/watch?v=JgmBOJiSK_g

 

ここからは、まったくの余談である。

サラ・ブライトマンさんは、本田美奈子. さんにとっての“憧れの人”であり、

また、“目標のアーチスト”でもあった。ラ・ルーナ

 

サラ・ブライトマンさん 「ラ・ルーナ」 (2000年)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0017W7FBW/nifty0b5-nif1-22AVE MARIA

本田美奈子. さん 「アヴェ・マリア」 (2003年)

http://www.amazon.co.jp/AVE-MARIA-%E6%9C%AC%E7%94%B0%E7%BE%8E%E5%A5%88%E5%AD%90/dp/B00008Z6RW/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1249906703&sr=8-1

意匠がやや似ているからといって、“揚げ足”を取っているのではない。

逆に、“彼女のサラさんへ寄せる想いは、かくまでか”と考えたい。

そういえば、ジャケットの本田さんの写真は、上記に紹介したPVと異なり、

どこか、“素”の表情が見られるような感がして、前述のことと併せて、

私にはむしろ、微笑ましく思えるのだが――

所詮、筆者の、“思い過ごし”かもしれぬ。      

100%個人的感想です、乱文長文、及び、妄言多謝。)

                                     ―了― 

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«「アヴェ・マリア~カッチーニ」を聴く。 本田美奈子さん。~<その1>