§森光子さんのこと。
年のせいで、記憶が、どんどんと、アヤフヤになっていくが、
これは、いたしかたない。
これも、“聞き書き”で、内容は、アヤシいところもあろうが、
大筋は合っているはずである。
森光子さんが、戦後直後、米駐留軍の処へ、歌を歌いにでかけたそうである。
つい、この前までは、英語の歌など、歌える状況ではなかったが、
変われば、変わるものだ。
いつものように歌っていると、長身の米兵が一人、何かブツブツつぶやきながら、
自分の方へ、歩み寄ってくるのである。
どうすれば、いいのか分からない。
森光子さん、といっても、もちろん、当時は、うら若き乙女だ。
恐怖感が、全身を包む。
近付いてきた米兵の言葉が、ようやく、聞き取れる距離になった。
「Swing,swing!」と繰り返していた、というのである。
森さんは、とっさに、ぎこちないステップを踏み始めたそうなのであるが、
くだんの米兵、ようやく、「OK…」と言い残して、去っていったそうである。
今では、「笑い話」だが、そのときは、さぞ、コワかったに違いない。
「ああ、日本は戦争に敗けたんだって、そのときに実感しました」
とは、森光子さんの述懐であった。
どういうことかというと、
森さんが日本兵の慰問に行った際は、
兵士すべてが、居住いをピシッと正し、
全身の神経を集中させて、
森さんの歌を、一言たりとも、聞き洩らすまいと、
聴き入ってくれた、というのである。
戦争が終わり、こうして米軍のほうに赴くと、
私語は飛び交う、食事を摂る者はいる、席を立って歩きまわる兵士もいたであろう。
もちろん、彼我の軍を取り巻く状況には、”天と地”ほどの相違があったにしても、
それまでとは、180度変わった状況になってしまった。
ただ、似たような経験は、事柄こそ違え、
当時の日本人すべてが経験したことであろう。
「終戦」は、すべての事象における価値観を、一変させたのである。
§昨日は終戦記念日。
「『終戦記念日』、とは、何ごとか。はっきりと『敗戦記念日』というべきだ」
などいう意見が、最近聞かれますが、
“それは、どうか”、と私は思います。
昨年も書きましたが、
~~~~~~
“とにもかくにも、十五年にわたる戦争が終わった、
少なくとも、夜が来たら、家の灯りはつけることができるのだ”
1945年当時の国民は、そんな気持ではなかったでしょうか。
「8・15」を、「敗戦記念日」といわずに、「終戦記念日」というのは、
「戦争」からの、このような「解放感」があったからではないか、とは私の推測です。
~~~~→http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/8_bdb2.html
上のような理由がひとつ。
「ヒロシマ・ナガサキ」は人類史上、例をみない残虐な事件でありますが、
さて、その「ヒロシマ・ナガサキ」の地から、
“報復のため、米国へ原爆を”なんて意見が出たでしょうか。
答えは、もちろん、「否」。
「核の犠牲者は、もう、我々で最後にしたい」
ここに私は、日本民族の、極めて高次元な、精神活動の所産を見る思いがする。
この「人類史上、例をみない残虐な事件」に対して、ですよ。
人類が「核の時代」に突入してしまった以上、
戦争には「勝者」も「敗者」もありません。
そういったこともふまえて、広島の原爆慰霊碑の碑文を、読まねばなりませんね。
さて、終わりに、詩人・作家の辻井喬氏の文章を、一部引用いたします。
~~~~~(引用開始)
自分の国の文化的伝統、それを表現するための言葉の美しさに
誇りを持っていない人が武器を持つと、容易に外国の司令官に
顎で使われてしまうに違いない、
吉田茂がもっとも深く考えたのはこの点であった。敗けた国が軍隊を持ったら、
戦勝国のいいように使われて犠牲者が出る。
だから、軍隊を持たずにいきたい。
戦争には敗けたが、外交で成功した国にならなければと考えていた時、
憲法の草案を見て、吉田茂は膝を打たんばかりにして喜び、
「これでいこう」と言ったという話が伝えられている。(後略)
~~~~~辻井喬氏のコラムより 日経新聞2009年5月8日夕刊より
衆院選挙は、既に始まっていますが、
選挙の後、
---------本当は、「選挙の前」にあって然るべきなのですが--------
政界再編が、当然、予想されます。
そうなれば、おそらく、選挙の結果では、
民主党が第一党になっているのでしょうが、-
その「第一党」の立場すら怪しくなってくるかもしれません。
「政界再編」における最重要議題は、「憲法9条」であるからです。
おっと、「本題」に戻らねば。
§再び、土居裕子さん、なのですが。
正座して聴く、なんてのは、戦時中でもあるまいし、
確かに言い過ぎ、ではありましたが、
土居裕子さんの歌唱を耳にすると、やはり、そんなことを思い浮かべてしまいます。
思わず、背筋が“ピン”と伸びる、っていうのかな
“歌の神様”ならばともかく、「完璧な歌唱」なんて、
われわれ人間には難しい、とは思いますが、
土居さんの歌は、発声、発音の美しさは、「限りなく完璧」に近い。
「端正」という言葉がありますが、歌の「端々」まで、細かい神経が行き届いています。
「日本語とは、こんなに美しいものだったのか」
そんなことを再認識できます。
ド素人の小生の言うことですから、アテにはなりませんが、
そんな想いがしています。
というわけで、御一聴のほどを。
さて、以前に、ご紹介したのは「春の唄」でしたが
→http://bluesky1010.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ac90.html
おススメCDは、「ローレライ」。
<収録曲>
アニー・ローリー
ロンドンデリーの歌
美しき (スコットランドの釣鐘草)
ローレライ
懐かしのヴァージニア
おおスザンナ
金髪のジェニー
赤いサラファン
村の娘
エーデルワイス
この道
時計台の鐘
月見草の花
冬の星座
旅愁
ぶらんこ
ゆりかご
春の唄
どこかで春が
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素晴らしい選曲ですね。試聴、お申込はこちらから。
→土居裕子オフィシャルサイト『インカラー』
右下の「ローレライ」をクリック、
そして、次にDISCO-08をクリックしてください。
御紹介したHPからは、土居さんのブログへも、行けます。
これ、毎日、更新なさっていますね----
オイラとは、エラい違いじゃー(笑)。
それにしても、今回、「支離滅裂」だわねー。
あ、いつものことか(笑)。 (おしまい)
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